本心曝け出すのって結構勇気がいること④
第三校舎と呼ばれる校舎には、理科室やコンピューター室、社会科教室など、移動教室で使用する場所ばかりがあるため、お昼休みや放課後は人通りがかなり少なく、他の場所に比べて静かな空間を維持し続けている。そのため、南雲さんが俺と話すために第三校舎を選択したのには納得がいった。それ以外のことは未だにモヤモヤしたままだが。
指定された渡り廊下前に辿り着き、この後に起こるであろう悪い展開を妄想しては震え、また別の妄想をしては震えを繰り返し、視線もキョロキョロと絶え間なく動かし、バッグの肩紐をギュッと握りしめ……傍から見たら挙動不審そのものである。
休むことなく動き続ける俺の視界が前方を向くと、先程まで映り込まなかった人影を描く。遠目でも美しさが伝わるシルエット──間違えるはずがない、南雲さんだ。
南雲さんは俺がいることを把握し終えると、一度辺りを見渡し、俺の元へと駆けてきた。校舎から渡り廊下へ彼女が飛び出すと、春の風が艶めく黒髪を靡かせ、美しさをさらに際立たせる。
「ごめんなさい、北山くん。待たせてしまって」
「あ、いや、全然! お、俺も、ついさっき、その、きましたので!」
頭を大きく左右に振って、南雲さんに言葉を投げつける。
『ごめん、待った?』『俺も今来たとこ』一度はやってみたいと思っていたやり取りを、まさかこんなところでできるとは。もう少し落ち着いたシチュエーションでしたかったが。
「あまり人に見られたくないから、このまま第三校舎に入って話したいのだけど、いい?」
「も、ももももちろん! はい! お、俺は、大丈夫、です!」
背筋を正して南雲さんの問いに答える。「ありがとう。ついてきて」南雲さんは俺の前を歩き第三校舎へと向かう。俺はバッグの紐を強く握り直して、後をついて行った。
立て付けが悪くなっているであろう扉が耳を塞ぎたくなるほどの音を上げ、俺の不安を煽る。
校舎内は外から聞こえてくる声が微かに聞こえるくらいで、俺と南雲さんの足音の方が大きいと感じるほどに静かだ。
いつもならこの静けさが俺の心を落ち着かせるものだが、状況が状況なだけに、心臓の音がいつもよりはっきりと聞こえて居心地が悪い。早く帰りたい気持ちでいっぱいだ。
南雲さんは迷うことなく階段を上がっていく。俺も何も言わずに後をついていく。
何も言葉を交わすことなく、南雲さんは屋上へと通じる扉の前、踊り場で足を止めた。
ここは、俺がほぼ毎日一人でお昼を食べている場所だ。なぜ? どうしてここに? もしかして、俺がここでお昼食べてるの知ってるのか? 一人で食べてて悲しいねとか言ってくるのか? まだ何も言われてないのに精神にダメージが蓄積されていく。
「本題に入る前に……ごめんなさい。急に呼び出して」
俺に振り返り、頭を下げる南雲さん。なぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。精神にまたダメージが入る。このままでは、本題に行く前に俺が倒れる。
「あ、や、気にしないでください! 俺、この後なんにもないので! 用事とか何も! だ、だから、南雲さんはお気になさらず、なんでも、その、も、もうしてください!」
緊張でうまく言葉が出てこず、スラスラと話すこともできない。そんな情けない俺を見たにも関わらず、南雲さんは「ありがとう、北山くん」と軽く微笑んでくれた。
俺と関わった人間は、俺の中身を見ると苦笑いを浮かべて、その後関わろうとしてこなくなる。でも、南雲さんは無理して笑っているようには見えない。少なくとも、こんな情けない俺を今は受け止めてくれている。
彼女の行為が、俺を少しばかり落ち着かせてくれる。彼女の笑顔が、俺を癒してくれる。
しかしながら、脳が言っている。これ以上可愛い南雲さんの笑顔を浴び続ければ、癒しを通り越して死ぬぞと。薬は用法・用量を間違えてはいけない。これもまた然り。
「で、そ、その、南雲さん! あ、あの、本日は、どのようなご用件で、しょうか!」
「……」
南雲さんから、すぐに返事は返ってこなかった。顔を俯かせ、言いにくそうにしている。
南雲さんの反応を見るに、俺に対して何か悪口を言ったりだとか、そういうことではなさそうだ。となると、『この前教室で見たことは忘れてほしい』だとか『あのことは誰にも言わないでほしい』辺りなのではないだろうか? もしそうであるなら、俺が南雲さんに伝える言葉はもう決まっている。『安心してください、南雲さん。俺、絶対に誰にも言いません。というか、言う友達いません。墓の中まで持っていきます』だ。
「……この前、放課後の教室で見た件で話があって」
きたきたきた! ついに予想通りの展開が来たぞこれ!
俺が言う言葉はすでに決まっている。焦る必要はない。頭の中で何度もシミュレーションしたし、怒られるようなポイントはどこにもない。安全にこの場を乗り切れる、はず!
「あの日、北山くんに見られてから、私ずっと考えてたの」
南雲さんは顔を上げずに言葉を口にする。
この後の展開は頭の中で何度も再現されているので、俺の表情は実に晴れやかだ。
「こんなこと言っても、北山くんに迷惑がかかるだけなんじゃないかって。だから言わない方がいいんじゃないかって。でもね、なぜだか不思議と『北山くんなら大丈夫。北山くんなら全てを受け止めてくれる』って、思ってる自分もいて」
「……ん?」
あの時のこと忘れてルートをまっすぐ突き進んでいたはずなのに、途中でレールが切り替わったように感じた。
いや、俺の気のせいだよな? 俺は黙って南雲さんの言葉に耳を傾ける。
「本当に不思議よね。私たち、話したのはあの日が初めてだったのに。でもね、日が経つごとに『北山くんなら』って思いはどんどん強くなって……今日あなたの顔を見て、話して、確信したの。やっぱり、北山くんなら大丈夫って」
顔を上げて、俺をまっすぐ見つめる南雲さん。
今、はっきりと、レールが切り替わる音が聞こえた。
「北山くん。あなたに、本当の私を見てほしいの」
「……本当の、私……?」
なんのことだか訳もわからず、俺は南雲さんのセリフを繰り返した。急激な路線変更を行なったため、脳内に住む小さな俺たちは大混乱だ。
これからどうすればいいのか、何を言えばいいのか、この場に居続けていいのだろうか、次々と降り注ぐ疑問の雨にも対応することができず、額から汗が大量に噴き出し、視線があっちこっち飛んでいき目が回る回る。
「……え? あ、え? ん? んん?」
あからさま混乱を表に出す俺を気に止めず、南雲さんはなぜかブレザーを脱いだ。そのまま動きを止めずにシャツの袖を捲り、これまたなぜか、ボタンに手をかけ外した。
本体の俺も、小さな俺たちも、一斉に動きを止める。脳内の大型スクリーンに突如として映し出された映像は……一足先にシャツを脱ぎ去った、南雲美月さん。
北山晴臣という存在は、一瞬にしてゆでダコと化した。
「え、あ、え、えぇ⁉︎ あ、いや、な、ななな南雲さん⁉︎ 南雲さん⁉︎」
両の手を駆使して、大慌てで顔を覆い隠す。
手、あっつぅ! 顔もあっつぅ! 今何がどうしてこうなった⁉︎ というか本当の私って何⁉︎ どういうこと⁉︎ え、あ、そういうこと⁉︎ そうなんですか⁉︎ そうなのですか、南雲美月さぁぁん⁉︎
「北山くん……」スクリーンに映し出された南雲美月さんが甘く囁くたび、身体の熱は上がっていく。頭のてっぺんから、蒸気機関車の如く白い煙が出ている気がする。
なんだこれはなんだこれはなんなんだこれは⁉︎ 俺がいる世界は地獄だったはずだろ⁉︎ これじゃラブコメじゃないか、ラブコメ! 『クラスのクール系女子が俺にだけ本性見せてくる』っていうラブコメじゃんか! いやラブコメにしても急展開すぎるって! こんなの読者ついてけないよ! 十八禁本じゃねぇかってツッコミくるよ!
見ちゃダメだ見ちゃダメだ見ちゃダメだ……! わかってはいるのに、ゆでダコと化した小さな俺たちは正常な判断ができない。「止まるんじゃねぇぞ! 突き進めぇ!」「いけぇー! 抱けぇー!」「今日が俺の卒業式じゃぁぁ!」などと乱暴に言葉を吐き出しながら、俺の右手中指をスライドさせる指示を脳に伝達する。
右目に微かに映り始める、南雲美月──いけませんいけませんいけませんよ南雲美月さんんんん! そういうことはもっとお互いを知ってからです! もっと互いを愛し合ってから……じゃない、と……。
右目に映る南雲さんは、俺に背を向けてしゃがみ込み、バッグの中を漁っている。
もちろんシャツは着たままだ。
『違う。これは違う。勘違いするなよー。絶対に違うからなー』脳内に大きく放送を流し、落ち着くように促す。
「やっぱ起こる訳ないよなぁ」「夢のまた夢だよ」「ないないない。南雲さんが俺にとか、絶対にないって」先ほどの暴走っぷりを一瞬で忘れたのか、いつもの気弱モードに戻った小さな俺たちは、身体の熱を平熱へと戻し、心を落ち着かせる作業に戻っていく。
興奮冷めた俺は、黙って南雲さんの行動を見守る。バッグの中から横に長い黒のポーチを取り出した南雲さんは、ふふっと小さく笑う。不思議なことに見たことあるポーチだ。いや、見たことあるどころか俺も持ってるぞ、あのポーチ。
見覚えのあるポーチから姿を現したのは、知らない人はいないのではと思うレベルで有名な、液晶画面の左右に取り外し可能なコントローラーがついたゲーム機。
南雲さんは液晶画面からコントローラーを取り外すと、床に画面を立てかける。が、「高さが足りぬ」と呟き、バッグの中から教科書類を取り出すと、床に積み上げ、その上に液晶画面を立てかける。
「うん。さっきよりは良い」
俺の隣まで下がって高さを確認し終えた南雲さんは、腰に手を当てて自身の仕事に満足したようだ。
「はい、北山くん」
南雲さんは、右手に持っていたコントローラーを俺に差し出す。
「北山くんは、ゲームする人?」
「え? あ、ま、まぁ、その……お、俺も持ってるから、その……このゲーム機……」
「なら、説明は不要ね」
「いや、あの……な、南雲さん? あの、なんでこれ、ゲームを……?」
「さっき言ったでしょ? 本当の私を見てほしいって。そのためには、ゲームをするのが一番手っ取り早いかなって」
ニコッと俺に笑みを浮かべて、床に座り込む南雲さん。
とりあえず俺も南雲さんの真似して床に座り込む。
まだ状況整理が上手くできていない。一体なんでこんなことになってしまっているんだ? 訳もわからぬまま、隣に座る南雲さんにチラリと視線を送ってみる。
買ってもらえたゲームを今から始めるような、楽しみにとっておいた好物を今から食べるような──ワクワクワクワク、この言葉が南雲さんの身体全体から溢れ出ているように見える。
喜びを抑えきれていない南雲さんを見ていると、どうして南雲さんが俺にとか、なんでこんなことにとか……全部、どうでもよくなった。
今は、南雲さんと一緒に楽しみたい。
「さぁ、始めるよ! レッツ、パーティーターイムッ!」
右拳を力強く突き上げて、南雲さんは液晶画面の電源を付けた。




