本心曝け出すのって結構勇気がいること②
「……」「……」
南雲さんの詠唱に見惚れてしまい、妄想の世界に入り込んでしまっていた俺──現実に帰ってきた時には、南雲さんと目があってしまっていた。
風が吹いていないにも関わらず、明るい未来はどこかへと吹き飛んでいき、代わりと言わんばかりに『南雲さんにゴミを見るような目で見つめられる』『コソコソ見てるとか気持ち悪いなどと罵詈雑言を浴びせられる』『最低と一言をもらってその後一切目を合わせてくれなくなる』などといった恐怖の未来が次々と浮かび上がっていく。
瞬時に恐怖を表情に描く俺とは違い、南雲さんの表情は全く変わらない。普段と変わらぬクールな雰囲気を纏ったまま、一歩、一歩、俺に向かって歩みを進め始めた。
世界がゆっくり動いているように感じる。対照的に、心臓は今日一番の速さで動く。
汗が額から流れ落ちていくのがハッキリとわかる。荒れていく呼吸音も、ハッキリと。
南雲さんが一歩一歩と近づいてくるたびに、身体が大きく揺さぶられているようだ。
動きたくても動けない。凍ってしまったかのように身体はカチカチで、俺はその場に力無く尻餅をついた。
「北山くん、よね? 同じクラスの」
情けなく尻餅をつく俺の前で立ち止まり、変わらぬ表情のまま淡々と言葉を口にする南雲さん。怒っているのか悲しんでいるのか、恥ずかしがっているのかもわからない。
感情が全く読み取れない言葉の温度に、俺の不安はさらに大きく膨らんでいく。
「あ、や、あ、あの、あの……!」
緊張と恐怖で言葉がうまく出てこない。早く何か言わないと、そう急かせば急かすほど、脳内で言葉が混じり合う。どの言葉が適切なのか、そもそもこれは日本語として成り立っているのだろうか、早く言葉を吐き出さないと怒られる、でも変なこと口にしたら怒られる、どうしたらいいどうしよう何をすればなんでこんなことに──
目まぐるしく言葉を浮かべる脳内についていけず混乱し、ただただ南雲さんを見上げる俺。一刻も早くこの場から立ち去りたいが、それすらもできない。高身長の自分が見下ろされ、さらに見ていられないほど情けない姿であたふたしている現状から、羞恥も湧き上がってくる。
「見てたよね、さっきの?」
簡易な質問ですら、俺は答えることができない。
瞳が潤み始めたのが分かった。きっと言われる『見た目と違って弱いんだね』とか、そんなことも色々と。あぁ、どうして俺はこんなにも弱いんだろうか。どうして俺は──
「どうだった?」
「……へ?」
表情を変えずに、再度俺に質問を投げかけてくる南雲さん。
想像していた罵詈雑言はいくら待っても飛んでくる気配はなく、俺は呆気に取られた。
南雲さんは何も言わない俺に首を軽く傾げると、その場にしゃがみ込み、俺と目線を合わせてきた。
「さっきの、見てたんでしょ? よかったら感想聞かせてくれない?」
「か、感想……?」
「そう、感想。良いことでも悪いことでも、なんでもいいから」
「あ、や、え、えっと……!」
「ごめんなさい。よくわからないものを見せられて急に感想求められても、言いにくいよね。さっきのセリフは『魔法使いは今日も寝る』っていう──」
「あ、いや、そ、それは、その、し、知ってます! その、俺も見てる、から……マホネルは……その……!」
「そうなのね。なら、ぜひ感想を聞かせて欲しいのだけど、いい?」
表情を変えずに、じっと俺を見つめてくる南雲さん。
目線を合わせてくれているおかげで、南雲さんの整った美しいお顔がこれでもかと近づき、先ほどとは違った羞恥が湧き上がってくる。
「え、えっと、その……す、すごく、その……か、かっこよかった、です……! あの、なんと言いますか、マホネルの世界に入ったような気がしたというか、南雲さんも登場人物の一人に見えたというか……あと、その、ま、魔法が、えっと、ほ、本当に出てきそうだったというか……と、とにかく、すごかった、です……!」
恥ずかしくて目が合わせられず、あっちこっち視線を飛ばしながらもなんとか感想を口にする。拙いながらも、思ったことは伝えられた。あとは怒られないことを祈るだけだ。
恐る恐る南雲さんの顔色を伺う。先ほどから何も変化がない。
これはどっちなんだ? 良いのか? 悪いのか? 心臓に悪いから早く結果を……!
「ありがとう。私も、さっきのはすごく上手くいったと自画自賛するレベル。風もいいところで吹いてくれたしね。言い終わったあと、心の中で『決まった……!』って高らかにガッツポーズしちゃった」
「あ、そ、そうですか……!」
「悔いがあるとすれば、動画に残せなかったことね。あのレベルのものは、そうそうできることじゃないし。あっ、北山くん、動画撮ってたりしない?」
「ど、動画? いやいや撮ってるわけないじゃないですか! 南雲さんの許可ないのに!」
「それもそうよね。もう一回、いい風吹いてくれないかな?」
膝に手をついて立ち上がり、窓の方へと駆けていく南雲さん。
俺はその場からまだ動けず、立ち上がることなく南雲さんを視線で追いかける。
なんだろう? なんというか、南雲さん普段と少し違うというか……? 喋ったの今日が初めてで誰かと話してるところ聞いたことある程度なんだけど、もっとこう、必要なことしか口にしない印象というか……話し方は普段通り淡々としてたけど。上手く表現することはできないが、とにかく俺が普段教室で見かける南雲さんとは、違う気が──
「ねぇ、北山くん」
「は、はいぃぃ! な、なんでしょうか⁉︎」
気を抜いていたので、呼びかけに大袈裟に反応してしまった。また羞恥が湧き上がる。
「北山くんは、どうして教室に戻ってきたの?」
南雲さんはすでに帰りの支度を済ませており、スクールバッグを肩にかけて、先ほどと変わらぬ表情で俺にまた簡易な質問を投げかけてきた。
俺もまた先ほどと変わらず、あたふたしながら口を開く。
「あの、その、あ、あれです! ゴールデンウィークの課題を、その、全部引き出しに入れっぱなしで帰ってしまいまして! それを、その、と、取りに……!」
自分の醜態を晒し、スラスラとそれを説明することもできない。
情けなくてため息しか出てこない。高校生になったというのに、未だこんな……。
目の前にいるのは、周囲が浮かべるイメージを一切崩すことがない、完璧な人間。
対して俺は、身長が高いだけでなんの取り柄もない。気は弱いし、スポーツに関しては何も上手くできないし、誰彼構わずビクビクして、ヘコヘコして、他人の顔色ばかり伺っている。
周囲のイメージ通りに振る舞うことができず、ガッカリされて、孤立して……。
同じ空間にいるというのに、目視できているというのに、南雲さんとの間には果てしない距離を感じてしまう。差を感じてしまう。
圧倒的な差が、俺の心を締め付ける。『ダメなやつだダメなやつだ』と、耳がどこからか声を拾い始める。
脳内に次々と浮かび上がるのは、情けない、頼りない、ただデカいだけの自分。
あぁ……俺ってやつは、本当にダメなやつだ……。
落ち込む感情とリンクするように、顔が俯き、また瞳が潤み──
「ふ、ふふっ……!」
「……え?」
前方から聞こえた笑い声に、脳内のダメな自分達はかき消されていく。
何事かと顔を上げると、思った通り南雲さんが笑っていた。
予想通りの出来事なのに、俺は目を丸くして南雲さんを見つめる。
「そうね……! 全部忘れちゃったのなら、慌てて取りに来るよね……!」
初めて見た、南雲さんが笑ってるところ。
入学してから今日に至るまで、教室では一度も笑ってるところを見たことがない。
いつも凛とした表情で、微笑んでいるところだって見たことがなかった。
そんな南雲さんが、今──
「ふふふ……! ぜ、全部……! 全部って……!」
流石に笑いすぎではないだろうか。そんな面白いことではないと思うんだけど……。
顔を背けて小さく笑い続ける南雲さんにどう対応していいのか分からず、ただ見つめることしかできない。ここにきて、人とのコミュニケーションを怠ってきた弊害が出た。この状況をうまく対応できたなら、きっと南雲さんと仲良くなることだってできただろうに。
仕事のできない自分に呆れてため息を一つ。改めて南雲さんを見つめると、笑い終えた南雲さんは感情が読み取りにくい凛とした表情ではなく、軽く微笑んでいた。
普段見ることのない可愛らしい表情に、俺の胸は大きく跳ね上がる。
「ねぇ、北山くん」
俺の名を呼んで、仲の良い友達の元へ近づくように、軽い足取りで迫ってくる。
普段の俺なら、南雲さんが近づいてくるのに比例して後ずさるところだが……南雲さんの微笑みに、目を、そして心を奪われてしまった俺が、その場から動けるはずもなく──
「あなたって、意外とドジっ子さんなのね」
ニコッと眩しい笑顔を放ち、右人差し指で俺の胸を軽くちょこんと突いてきた。
美しくて可愛らしい南雲さんが手の届く範囲にいて、普段見せない可愛い表情を見せ、さらには俺に触れてきて……女性どころか人と関わる機会がほとんどない俺がこのコンボに当然耐えられるわけがなく、顔を真っ赤に染め上げながら「へぁ……⁉︎」と恥ずかしい声が漏れた。
「じゃあね、北山くん。またゴールデンウィーク明けに」
小さく手を振って、階段へと歩みを進める南雲さん。俺は南雲さんに言葉を返すこともできず、視線を合わせることもできず、前方を見つめ続けることしかできなかった。
せっかく別れの挨拶をしてくれたというのに、それに対してなんの反応もできなかった。いつもであれば即刻反省会を開くのだが、今俺の脳内はとある疑問で埋め尽くされている。
「な、なぐ、南雲、さん……! な、なんで……? どうして、俺に……?」
真っ赤な顔そのままで、突かれた胸をギュッと両手で押さえつける。
恥ずかしいであろう秘密を見られたというのに、どうして俺に笑顔を見せたのだろうか? どうして俺に優しい対応してくれたのだろうか? 俺、もしかしてどこかで南雲さんと話したことあったのか? ラブコメでよくある、知らぬうちに助けてて恩を感じていたとか? いや、そんな夢のような話があるわけがない。もしかしてこれは夢か? そうだ、夢だ。きっと夢だ。間違いなく夢だ。こんなこと、あるはずがない。
自分が立つこの空間が現実なのか夢なのかを確かめるために、頬を引っ張って確かめたいところだが、両の手は先ほど突かれた胸を押さえつけたまま離れようとしない。心臓が強く鼓動するたびに、南雲さんの笑顔が脳内に浮かび、今世紀最大の疑問すらも上書きしていく。
北山くん。北山くん。南雲さんが何度も俺を呼んでくれる。笑顔を向けてくれる。
心臓が、破裂しそうだ。
結局俺はその場で十分ほど動けず、何をしに教室に戻ってきたのかも忘れ、下駄箱で靴を取り出したところでようやく課題のことを思い出し、大慌てで教室へと戻った。




