本心曝け出すのって結構勇気がいること①
高校に入学して、早いことに一ヶ月が経過した。俺は制服のシャツの袖を捲って、一生懸命自転車を漕いで学校へと向かう。時刻は、午後六時を少し過ぎた頃。
大寝坊をぶちかましたわけではない。ゴールデンウィーク中にやらなければいけない課題を引き出しに入れっぱなしにしてしまったという、お茶目な理由だ。
校門を抜けると、グラウンドやら体育館やら、あちらこちらから仲間や自身に発破をかける声で溢れかえっていた。放課後になってからだいぶ経つというのに、なぜあれほどの大声が出せるのだろうか? 俺だったら、声を出すどころか今頃倒れているだろうな。
自分の体力の無さに苦笑いを浮かべながら自転車置き場に愛車を止めると、俺は駆け足で下駄箱へと向かう。
校舎内は外とは違い静けさに包まれていて、廊下はまだ電気がついているものの人の気配は感じられず、階段を上がる音がはっきりと聞こえて少しばかり不気味だ。
俺が所属する一年二組がある二階へと辿り着き、一組を通り過ぎようとしたところで、俺は足を止めた。目的地である二組の教室内から、蛍光灯の灯りが廊下に漏れている。まだ誰かが教室に残っている可能性が……最悪だ……。
小さくため息を吐き出して、俺は音を立てないように気配を殺して二組の教室へと近づいた。
イケイケ陽キャたちが残っていたらとても嫌だが、二階も一階同様に静けさに包まれている。単に電気の消し忘れという最高に嬉しい結果が待っているに違いない。
身を低くして、扉から少し顔を出して中の様子を伺った。
「……」
残念ながら、教室内の電気は消し忘れではなく必要であるから付けられていることが一目で分かった。
窓際の席に座り、静かに本を読む一人の女子生徒──触れてみたいと思わせてくる腰下まで伸びた黒の艶めく髪。大きく盛り上がりシワを作る胸元と黒のタイツに包まれたおみ足は男子を釘付けにし、百七十は超えているであろう高めの身長と凹凸がはっきりとしている体型は女子を憧れさせる。そして、近づくのが烏滸がましいと思わせてくる凛とした美しさ。
容姿端麗という言葉がこれほど似合う人はそう多くはいないはずだ。彼女を含め、あの窓際の席だけ本の世界からやってきたのではないか、そんなあるわけもない夢物語を思わず描いてしまうほど美しい。
南雲美月──幻想的な彼女に見惚れていると、南雲さんは静かに本を閉じて立ち上がった。我に返った俺は慌てて頭を引っ込める。
もしかして、見ていたことがバレたのか? いや、目は合ってなかったからバレてはいないはず。とにかく、南雲さん帰りそうだし十分くらいトイレにこもって再度またこよう。
今後の予定を明確に立てた俺は、教室に背を向け、音を立てないように──
「罪を背負いし下の者よ こうべを垂れよ」
「……ん?」
俺は再度、身体に止まれと命令を出す。
今のセリフ、教室から聞こえてきたよな? でも、教室には南雲さんしかいなかったはずだ。つまり、さっきのセリフは南雲さんが……?
背を向けた教室に再度向き直り、恐る恐るまた顔を覗かせる。椅子から立ち上がった南雲さんに歩き出す気配はなく、その場で目を閉じて右手を胸の前に突き出していた。
「我は地に立つ者 汝らの上に立つ者なり 敬い 恐れ 記憶に刻め」
俺に見られていることを知らずに、南雲さんは凛とした態度で言葉を続ける。
その姿に、俺はまたも目を奪われ、そして輝かせた。
間違いない。あのセリフは、原作はライトノベル、コミカライズもされてアニメが絶賛放送中の『魔法使いは今日も寝る』のキャラ『乾緋色』の魔法詠唱だ!
まさか南雲さんもマホネルを知っていたなんて……!
開け放たれた窓から入り込む風が、南雲さんの美しい髪を靡かせる。
俺が住む世界には、魔法なんてものは存在していない。ハッキリとそのことを理解しているにも関わらず『南雲さんならもしかしたら』と妄想してしまう。彼女の幻想的な雰囲気と、空気を読んで強く吹き始めた風が、俺の妄想をさらに加速させていく。
「背に刻まれた罪を手に跪け 罪の重さに嘆け 震えろ」
「汝らの足枷を我に示せ 汝らの自由を我に賭けろ 汝らの力を 我によこせ」
「我 地に立つ者 貴様らの罪ごと 全てを焼き払ってやる」
髪が、スカートが、俺の心が、大きく大きく揺れ動く。
もちろんのこと、この後の展開はお察しの通り、何も起こらない。
どれだけカッコよく、それっぽく詠唱ができていたとしても、現実世界では魔法なんて便利なものは使用できない。南雲さんの手のひらから炎が出て教室を焼き始めるなんて、そんなこと起こるはずもない。
強く吹いた風も収まり、南雲さんも言葉を止め、教室は先ほどと同様静けさに包まれる。
「かっこいい……!」
感嘆の言葉が、口から漏れた。
普段から、ラノベを読んでは妄想に耽り、アニメを見ては妄想に耽りなんてことを繰り返してきたからだろうか。俺の目にはハッキリと炎が描かれていた。吹き込んだ風が、熱を届けてくれた。
憧れていたアニメの世界に迷い込んでしまったようなドキドキが、大好きなヒロインが目の前に存在しているかのようなトキメキが、これから俺と南雲さんとで何か始まるのではないかというワクワクが、様々な感情が俺の身体の熱を上げていく。
話してみたい、南雲さんと。近づいてみたい、南雲さんに。
弱気な自分では到底叶えることができない願いが浮かび上がってくる。普段であれば『そんなことできるわけがない』と一蹴するのに、魔法にかけられたかのように『もしかしたら』と明るい未来ばかりが浮かび上がってくる。自分が主人公になった気分になってしまう。今の俺なら、もしかしたら──
「……」「……あ……」
都合のいい妄想に耽っていたせいで、反応が遅れてしまった。
現実に帰ってきた頃には、南雲さんは黙ってじっと俺を見つめていた。




