能ある鷹だって曝け出す時は曝け出す
授業の終わりを知らせるチャイムが学内に響き渡り、我がクラスもチャイムに負けぬ賑やかさを増していく。
俺はクラスの騒がしさに混じることなく自席から立ち上がり、トイレへと向かう……前に、前の席に座る南雲さんにチラッと視線を向けた。
南雲さんも俺と同様に、クラスの喧騒に混じることなく自席に座り静かに本を読んでいる。
放たれている凛とした美しさは思わず見惚れてしまうほどで、見つめているだけで心臓が鼓動を早めていく。
「おい、お前声かけてこいって……!」
「いやいや無理だろ、お前が行けって……!」
廊下側でたむろしている男子たちが、南雲さんをチラチラ見つめながら互いの背を押し合っている。
見た目の美しさから、南雲さんとお近づきになりたいと思っている男子生徒は少なくはない。しかしながら、完璧すぎるからこその近づき難さというか……仮に声をかけられたとしても、淡々とズバッと放たれる言葉と続かない会話が男子たちの心を軽々とへし折っていくため、彼女の元へ駆け出す男子はもういない。眺めているだけで充分ですという、もはや信仰対象みたいになりつつある。
しかしながら、彼らは知らない。凛とした美しい姿で静かに本を読んでいる近づき難いクール系美少女である南雲美月が、実は──
「デデーン。突然ですが、部室にトラが現れました。さぁ北山くん、どうします?」
放課後、部室の掃除の続きを行なっていた南雲さんは、突如額に『トラ』と書いた紙を貼り付け、俺の目の前で仁王立ちを始めた。
「……え? な、なに……? どういうこと、ですか……? え、え……?」
「グルルル……! ガルルルル……!」
「ちょっ、待っ……! な、南雲さん! 説明を! お願いですから説明をお願いします!」
両手を上げてジリジリ近づいてくる南雲さんに対して、俺は両手と頭をブンブン大きく振って説明を要求。
南雲さんは動きを止めてやれやれと言いたげな表情を浮かべながら、額の紙を取り外して机に置いた。
「北山くん、勝負の世界に待ったは無しよ。でも、今回は初回だから大目に見てあげる」
「あ、ありがとうございます……! ……え? さっきの勝負、だったんです、か……? なんの勝負……?」
「北山くんは、アニメばかりじゃなくてニュースもちゃんと見てる?」
「あ、はい。あ、朝学校行く前とかは、よく」
「最近のニュースで、『クマによる被害』が報道されることが多いなって思わない?」
「それは、はい、思います」
「私たちが住んでいる地域は、クマの被害は今のところないわ。でも、この先もずっとないとは言い切れない。それに、私たちが旅行に行った時に遭遇するってこともあり得なくはないでしょ? だから、今のうちに『もしクマに出会ってしまったらどうするのか』を知っておいた方がいいと思うの。対策を知っているのと知らないのでは、仮に出会った時の生存率が大きく違うと思うしね」
「た、確かに、それはそう……な、南雲さん」
「なに?」
「……クマの対策、ですよね……?」
「うん」
「……それ、トラって書いてますよ?」
「うん」
「……え? あ、あの……え? 知ってて、あの……え?」
「北山くん、最近のネットは何事にも攻撃的だと思わない? 私たちがクマの対策をするためだと言っても『不謹慎だ!』『被害者のことを考えたことあるのか!』とかそんな攻撃的な言葉ばかりが飛んでくるの。私たちにそんな気持ちがなくったってね。だから、私は北山くんがそのような攻撃的な言葉を受けないように、日本では野生でいないトラに置き換えて、対策を考えようと思ったの」
「な、なるほど。え、えっと、その……は、配慮していただき、ありがとうございます……?」
「いいのよ、気にしなくて。部員を守るのが部長の役目だからね!」
誇らしげに胸を叩く南雲さん。
とても可愛い。眩しい。直視できない。
改めて思う。勇気出して入部してよかったって。
そして、南雲さんにはこの言葉をお伝えしたい。
「あ、あの……な、南雲、さん」
「はい、なんでしょう?」
「あの、その……この、これからのやり取りを、ネットに上げる気なのでしょうか……?」
「ううん。そんなつもりないけど」
「でしたら、その……トラじゃなくてクマのままでも、その、いいんじゃ……? 俺たち以外、見ないわけだし……」
「……確かに。それもそうね」
俺の言葉に納得してくれた南雲さんは、机に置いた『トラ』を大きくバツ印で上書き。『クマ』と改めて書き直して、またペタリと額に貼り付ける。
「デデーン。突然ですが、部室にクマが現れました。さぁ北山くん、どうします?」
両腕を大きく上げてクマのポーズ。可愛い。これ以上俺を惑わさないでくれ。
目頭を強く抑えて、ニヤけそうになる気持ちを必死に抑え込む。
教室にいる時とは雰囲気が全く違うし、何をしてくるのか全く読めないし……でもそこがギャップというか、南雲さんの可愛さを倍増しているというか……いかんいかんいかん! これ以上こんなこと考えてると抑えられない! 別のことを考えろ! そう、今俺の目の前にはクマがいるんだ。そのクマに対して俺は──
「判断が遅いっ!」
突如聞こえてきた声に慌てて目を開ける。
すでにクマは距離を詰めてきており、人一人入れぬ距離に。
「え⁉︎ ちょっ、な、なぐ──」
距離の近さに、顔を真っ赤に染める俺。
クマはそんな俺を気にすることなく俺の両手首をガッチリ掴み、身動きを封じる。
どうにかして振りほどこうと試みるが……このクマ、思ってたより力強い……!
南雲さんが近くにいる+触れられているという嬉しさと恥ずかしさと緊張でガチガチになり動けない。そこに力が強いまで加わってしまったら、もうどうすることも……。
弱者の俺はなす術なく力に屈し、ゆっくりと体勢を崩され……そのまま、押し倒された。
「ガオォォ! グルルル!」
未だ恥ずかしげもなくクマになりきっていらっしゃる南雲さん。さらに縮まった距離に、もう何も考えられず硬直し続ける俺──無抵抗の人間を前にして、クマは「ガオォォ!」と力強い雄叫びを上げ……俺の胸元に、顔を埋めた。
「ゲームオーバー……! 北山くんはクマに心臓をパクリといかれましたとさ。さぁ、こんなことにならないように、しっかり対策考えよう!」
俺から離れ、ビシッと力強く指差しした南雲さんは、なぜか満足げな顔をして俺に背を向けた。
南雲さん南雲さん、俺はあなたにお伝えしたいことがあります。
あなたが今知るべきことは、クマの対策ではありません。
異性に対しての、距離感です……。




