後でやるかもは二度とやらないから、やると決めたらお早めに③
モジモジモジモジ、クネクネクネクネ、モジクネクネモジ。
急にどうしたんだ、この人? さっきまでの暖かな雰囲気はどこへいった?
「あ、あの、南雲さん? どうしたん──」
最後まで言わせまいと、南雲さんは俺の両の手を、自身の両の手でぎゅっと握りしめた。
「へ……⁉︎」
「お願い、北山くん……! 私、北山くんに入部してほしいの……!」
上目遣い、きらりと輝く眼、少々高め設定されている甘えた声、そして──
「ダメ……かな?」
軽く首を傾げて、トドメの一撃。
なんとまぁズルい女。こんなことされたら断れないって絶対わかってやってるよ。
「ふふっ……! どう、北山くん? 私のような可愛い子に、こんな可愛くお願いされたら断れないでしょ?」
言うなぁ! そういうこと言っちゃうところ、素直で可愛いって思っちゃうからぁぁ!
「言葉が出ないようね。まぁ当然と言えば当然よね。昨日、鏡の前で一時間ほど練習したのだから。あなたがこうなることはすでにもう決まっていたのよ」
やめろぉぉ! わざわざ休みの日に一時間も俺のために……とか思ったら、ますます可愛く見えてくるでしょうがぁぁぁ! 可愛いの波が俺を呑み込む! 可愛いに溺れる! これ以上の可愛いはキャパオーバーです! 身がもたないよぉぉ!
「とか言ったものの、無理して入部はしなくていいからね? まだ何曜日に活動するかとか決めてないけど、少なくともあなたの自由時間を奪うことになるんだから。先ほどのやりとりは忘れてもらっていいし、断ってもネチネチ何か言ったりとかしないから安心して」
「いや、あの……あれを忘れろは、その……む、無理です……」
「ごめんごめん。一度やってみたかったものですから。北山くんもやってみたいことだったり言ってみたいセリフあったら、遠慮なく言ってね。いつでもお相手いたしますから!」
手をギュッと握りしめたまま、にっこりと笑みを浮かべてくれる南雲さん。ギュッと握りしめたまま「私のやりたいことに付き合ってくれて、ありがとうありがとう」と、軽く頭を下げる南雲さん。彼女の行動一つ一つが、全部可愛く思えてしまう。
改めて気づいたが、俺はもう南雲美月という沼に腰辺りまでどっぷり浸かっているんだろうな。もう彼女が何をしようと可愛く思えてしまうし、何を言われようと全てを肯定してしまいたくなる。つまり、答えはもう決まっている。いや、あの言葉を言われる前から。
「北山くん、別に今日中に答えを出さなくてもいいからね? 今日は持ち帰って、家でゆっくり考えるでも──」
「な、なぐ、南雲、さん……!」
「はいはい、なんでしょうか?」
「あ、あの、その……にゅ、入部届は……ど、どこに、あります、か……?」
弱風でも飛んでいきそうな弱々しく小さな声、それでも南雲さんはしっかり受け止めてくれた。一瞬目を大きく見開いて驚きの表情が見えたけど、それはすぐに暖かな笑顔に上書きされて、握ってくれている両の手に、ほんの少し、力がこもった。
「一週間くらいで、やっぱりやめますは無しだからね?」
「も、もちろんです……!」
「もう一度伝えるけど、部活に入ったらあなたの自由時間が少なくなるよ? 大好きなゲームする時間が」
「で、できなくなるわけじゃないので! だ、大丈夫です!」
いつもなら、自分の思いを伝えるのなんて、怖くてたまらない。
でも、なんでだろう? 今は、俺の思いを南雲さんに早く届けたい。
「お、俺、その、相談部、すごくすごく素敵だなって思います! 南雲さんの考えも、すごく素敵で……! 俺、南雲さんとの偶然の出会いには、本当に感謝してるんです……! 南雲さんと話すようになるまでは、その、が、学校に来るの、あんま楽しくなくて……で、でも、それが今は、ほ、放課後、めちゃくちゃ楽しみにしてる自分がいて……!」
俺の手にも力が入る。熱が上がる。
止まらない。言葉が、次々と吐き出されてく。
「あ、あの時、放課後一緒に遊んだ後の、と、とも、友達になってくださいってやつ、あれ、あの時、俺も、その……い、一歩踏み出せた気がして……! いつもいつも、やる前からなんでも諦めてた俺が……! だからきっと、南雲さんなら、俺以外の人の背中も、押してあげられると思うんです! そ、それで、その……あ、あの、お、俺……俺、南雲さんのこと……お、烏滸がましいって、わかってるんですけども! お、俺、あなたのこと、近くで応援したいって、お、お、思い、ました! だ、だから、え、えっとぉ……!」
急にとんでもなく恥ずかしくなってきた。何言ってんだろ、俺……? なんか気持ち悪いこと言ってないか……? え、近くで応援したいって、よく考えたら気持ち悪くないか? 俺、もしかしてやってしまったのでは……?
先ほどまでの勢いはどうしたのか、細く小さく情けなくなっていく俺の声。
南雲さんに入部してほしいと言われたからって、調子に乗りすぎた。勢いに任せすぎた。
やはり慣れないことはするものではない。今すぐに、入部して欲しいとお願いされたあの頃くらいにまで戻りたい。
「ふ、ふふふっ……!」
南雲さんも顔を俯かせて笑っていらっしゃる。
血の気が引くとは今の状態を言うのだな。このままどこかへと消えてしまいたい……。
「近くで応援したいって……! 北山くんって、思っていたよりも熱い人なんだね……! でもね、応援してくれるのはすごく嬉しいんだけど、私は後ろで応援してもらうよりは、私の隣で、私のこと支えてほしいな」
握りしめた両の手が、胸の位置まで高度を上げる。
「……お、俺が……ですか?」
「うん。今あなたの前にいる私は、結構勢い任せなところあるでしょ? だから、やりすぎることがあったりしたら『南雲さん落ち着こう』って止めてもらえると助かるなぁって」
「……」
「逆に、北山くんは私に比べると勢いなくて、何をするにも立ち止まって考えて、立ち止まっては考えて、みたいなタイプだと思うから、そういう時は私が『北山くんやっちゃおうぜ!』って背中ドンって押してあげるから」
「……──」
喉奥まで上がってきた言葉を、無理やり飲み込んだ。
いつもいつも、何かある度に自分を低く見る。俺なんかが、俺みたいなやつがって。
相手の立場になって考えてみた。あなたならできるって思って、信頼して、声かけて、頼んで……それなのに、いつもいつも『そんなことない』『できるわけない』『無理だって』否定する言葉ばかり並べてきて──そんなことばかり言われたら、不安になるよな、本当に頼んで大丈夫なのかなって。心配になるよな、自分のしてることは間違いなんじゃないかって。ガッカリするよな、下ばっかり見てて自分を見てくれてないんだって。
もっともっと、周りを見なきゃ。
自分のこと、客観視しなきゃ。
視野を、広くもたなきゃ。
そうしなきゃ、自分のことも、自分のことを信用してくれてる人のことも、傷つけてしまう気がする。
「……お、俺、南雲さんの言うように、やる前から『うまくいくわけない』って、よくないことばっかり考えちゃって、よく立ち止まる奴です……。だ、だから、その……そんな時は、遠慮なく、バシッと、背中ぶっ叩いて、進ませてください! 俺も、南雲さんが突っ走りすぎだって思ったら、落ち着けって声かけます! が、頑張ります‼︎」
勢いよく頭を下げる。
必要以上に声がデカくなった。恥ずかしくて南雲さんの顔が見られない。
自分の意思に反して小さくなったり大きくなったりする声、スラスラと出てこない言葉、逃げるようにすぐに逸らす目、見てくれだけがデカい極小の心……改めて自分を見ると、欠点だらけだ。
誰も買わないようなボロボロの商品、誰も目を向けてくれない、手を伸ばしてくれない。
それなのに、目の前の少女はキラキラ輝く瞳で見つめてくれる。あなたがいいと手を伸ばしてくれる。
こんな俺にも、彼女の目を引く何かが、手に取りたくなる何かが、きっとあるんだ。
ボロボロの俺にも、誰にも負けない輝きを放つものが──
「こちらこそ‼︎ 私も北山くんに支えられてばかりにならないように頑張っていきます‼︎ 私も北山くんをいっぱい支えていきます‼︎ 二人で相談部を盛り上げて行こうね‼︎ 改めてよろしくね‼︎ 北山くん‼︎」
先ほどの俺の声が小さいと感じてしまうクソデカ声で、距離感考えずに言葉を乱暴に吐き出す南雲さん。瞳のキラキラをこれでもかと強め、ぎゅっと握りしめている両の手を、ブンブンブンブン大きく上下に振る振る振る振る──
このままでは俺の肩が死ぬ。勢いよくどこかへ飛んでいく。鞭のようにしなり続ける両腕も、中から骨やら血液やら様々なものが勢いよく皮膚を貫き飛び出してきそう。
まさかこんなにも早くこの言葉を使う時が来るとは。
「な、なぐ、南雲、さんっ! お、おち、落ち着いてっ、くだっ、さいぃぃっ!」
「あっ、ごめんごめん。嬉しくてつい。あと、手もごめんね。ずっと握りっぱなしで」
「あ、や、て、手は、その、全然! はい! だ、大丈夫、です!」
ようやく離れた手と手。手首から指先まで、手のひらがじんわりと汗で濡れているのがわかる。触れられてるのが手の甲で本当に良かった。
「じゃあ北山くん! 早速部活動を始めましょう!」
「え? い、今からですか?」
「そう! 今から!」
「あ、は、はい。いいですけど……な、何するのでしょうか……?」
「それはもちろん、部室の掃除よ!」
力強く指さされた部室へ、俺の視線もつられていく。
そういやあの部屋、埃まみれだった。あそこで部活動なんて、絶対肺によろしくない。
「わ、わかりました。あの、掃除道具って──」
埃まみれの部室から視線を南雲さんへ戻すと、彼女はすでに俺のそばから離れて、背を向けて駆け出していた。
「え? あ、な、南雲さん⁉︎」
「私、バケツと雑巾借りてきまーす!」
「あ、は、はい! わかりました!」
俺に向かって大きく手を振った南雲さんは、もう一度俺に背を向けて小さくなっていく。
廊下を駆けるのはよろしくない行為なのだが、廊下を駆け出してしまうほど部活動が楽しみなんだろうな。そう思うと、自然と笑みが溢れてしまう。その楽しみな部活動には、俺もいる。そう思うと、嬉しいけど、やっぱりちょっと恥ずかしい気持ちだ。
南雲さんが俺の視界から完全に消える。ポツンと一人、廊下で佇む。
目の前に伸びる、長い長い一本道。いつもいつも、置いていかれるばかりだった。
周りの人は俺を置いて、振り返ることなく歩いていく。俺もみんなに置いていかれたくなくて、一歩踏み出してみても、みんなと違って、その歩幅はとても小さなもので。
周りができることが、俺にはうまくできなかった。不器用だし、要領も悪いし、おまけにうまくコミュニケーションがとれないし。
ガッカリさせて、イライラさせて、ヘコヘコして、自分を下げて……歩くことが怖くなって、無理だってすぐ諦めるようになって、目を背けて、一人で下向いて──
「やっぱり、まだ夢なんじゃないかって疑っちゃうよ」
軽く頬をつねりながら、俺は埃まみれの部屋へ足を踏み入れた。
俺が一歩、一歩と歩くたびに、埃が舞い上がる。それが陽の光に照らされて、小さな星々のような輝きを放つ。
汚いって思われてる奴らも、こんなふうに輝くことができるんだ。
だから、俺もきっと……。
これからお世話になる机に目をやる。先ほど南雲さんが指で書いた『やばい』の文字から、目が離せない。ジッと見つめていると、不思議と彼女の顔が鮮明に浮かび上がる。
俺は右人差し指を伸ばして、南雲さんの筆跡を追いかけた。
女の勘とかいうよくわかんないもので俺みたいなやつに近づいて、本当の自分を晒して、友達になって、部活やろうと誘って……周りの人が見たら、やばい人だって思われてしまうのだろうか? 周りと違うことをやってるんだから、そう思われても仕方ないよな。
俺も、女の勘とかいうよくわかんないものを信じて、言われること全て疑うことなく後ろついていって、お前単純すぎてやばいぞとか言われそうだ。
「やばい者同士、もっと仲良くなれたらいいな」
やばいをなぞり終えた俺は、顔を上げて部室を見回す。
気弱な俺は、いつもマイナスな妄想ばかりを脳内に描き出す。今も、この部室で何をやらかしてしまうのだろうか、そんな不安が俺を包む。
でも、本当に不思議なことなんだけど、南雲さんがいてくれたら、なんだか大丈夫な気がしている。どれだけ不安なことが思い浮かんでも、彼女がいてくれたら乗り越えられる気がする。南雲さんと一緒なら、怖くてたまらなかった一歩を、踏み出せる気がする。
「ほんと、不思議な人だよな。南雲さんって」
なんとなく。そんな気がしたから。明確な理由なんてない。だからちょっぴり怖いし不安だけど、彼女はそんな不安を置き去りに、前を真っ直ぐ見て駆け出してしまう。
そして、急に立ち止まって、振り返って『北山くん、こっち!』と、大声で、笑顔で、手を振って、俺を呼んでくれる。
そんな笑顔で呼ばれたらさ、怖がってる自分がバカらしく思えてくるし、単純だから君の笑顔がもっと近くで見たいって思っちゃうんだよ。
俺の一歩は、周りに比べたらとても小さいものだ。みんなに笑われるくらい、小さな一歩だ。でも、こんな小さな一歩でも、一歩は一歩だ。前に進んでいるんだ。
『これくらい小さな一歩でもいい。この小さな一歩で、今まで見えなかった道が見えるかもしれない』彼女が言っていた言葉を胸に──
「これから、よろしくお願いします」
俺は部室に向かって頭を下げた。
小さな一歩を、踏み出すために。




