署名のない土地
三日目に、その話が出た。
出したのは、トルヴェクだった。
トルヴェクが出すのは、筋が通っていた。
あの国は、エオリンから原石を買っている。買えなくなれば、磨くものがなくなる。磨くものがなくなれば、あの街は終わる。
坑が四十一だと信じている者にとっても、十一だと知っている者にとっても、エオリンの割当は同じだけ大事だった。
だから、あの卓だけが本気だった。
「エオリンの席が空いています」と、そちらの卓の者が言った。共通語だった。「導石の輸出割当は、この条約の中心です。産地の署名がないまま更新するのは、いかがなものでしょうか」
天幕の中が、少し静かになった。
わたしは書いた。書きながら、オルサの手を見ていた。
上がらなかった。
嘘ではなかった。トルヴェクは、本気でそれを言っていた。
本気だが、正しくはなかった。
産地の署名がないまま更新するのはいかがなものか、と彼は言った。言い方が、心配しているようだった。
心配しているのは、エオリンのことではなかった。買えなくなることだった。
嘘ではないというのは、そういうことも含んでいた。
ロヴァニスの卓の者が答えた。
「あちらには、署名できる者がおりません」
「探していないのでは」
「探しました」と彼は言った。「三年前から探しています。環座は年に一度開かれますが、決議に強制力がありません。村ごとに意見が違い、代表を出す仕組みそのものがない。誰を連れてきても、ほかの村が認めません」
オルサの手が、上がった。
当てて、下りた。
わたしは、そこへ印をつけた。
嘘だった。どこが嘘なのかは、分からない。探したという部分か、三年前からという部分か、仕組みがないという部分か。虚聴は、そこまでは分けない。
分けないので、印だけをつけた。
つけた印は、あとで読み返すときに要る。どの一文に嘘が混じっていたかが分かれば、その一文の中のどこが怪しいかを、こちらで考えられる。
考えるのは、わたしの仕事だった。聞くのは、この人の仕事だった。
二人で一つになっていた。港の梁と荷車で、二人が別々に数えていたのと同じだった。
「では、割当はどうなさる」とトルヴェクが言った。
「前の割当を、そのまま延長します」
「産地の同意なしにですか」
「同意がないので、変更もできません」とロヴァニスの者は言った。「変更しないというのは、いちばん穏当な扱いです」
わたしは、その言葉を書いた。
穏当、という言葉が使われるのを、この七日で何度か聞いた。使うのは、たいてい何もしないことを勧めるときだった。
何もしないことに名前をつけると、それが一つの案になる。案になれば、ほかの案と並べて選べる。選べるようにしてしまえば、選ばれる目がある。
言葉のうまい者は、そういうやり方をした。
わたしは、その言葉を書いた。
書いてから、一度だけ手が止まった。
前の割当を延長する。変更しない。同意がないので変更もできない。
聞いているだけなら、控えめな言い方に聞こえた。
けれど、五十年前に決めた割当を、あと五十年そのまま使うということだった。
五十年前より、石は減っている。減っているのに、出す量は同じ。同じ量を出しつづければ、残りが減る速さは同じにならない。速くなる。
五十年前の割当は、五十年前の残りに合わせて決めたはずだった。
決めた者は、たぶん、二百年もつと思っていた。ロヴァニスの壁に貼ってある確認埋蔵量を年間取引高で割れば、二百年になる。わたしも割った。
割った数が正しくないことを、わたしは知っていた。
知っているのがこの天幕の中でわたし一人かどうかは、分からなかった。
わたしは、それを書き足したくなった。
書き足さなかった。
立会人の記に書けるのは、そこで言われたことだけだった。言われていないことを書けば、それは記録ではなくなる。
そこで、初めて分かったことがあった。
わたしは、この七日、一度も自分の考えを書いていない。書けない。書けば、記録が壊れる。
三年半、頭の中で並べてきたものが、この板の上には一つも載らない。
載らないところに座って、載らないものを持ったまま、載るものだけを書いていた。
アルディエルの司祭が立った。
「エオリンについて、一つ申し上げます」
天幕の中が、また静かになった。
「あの土地の民は、導石の輸出を罪と考えております。彼らの信仰がそう定めている。署名を求めるということは、罪を犯すことに署名させるということです」
「では、どうせよと」
「求めないのが、慈悲でしょう」
オルサの手が、上がった。
わたしは、印をつけた。
そのとき、初めて分かった。
嘘というのは、事実を偽ることだけではなかった。
この人は、エオリンの信仰のことを正しく言っていた。取りすぎてはならない。輸出は罪である。そのとおりだった。
正しいことを言って、それを使う理由が別のところにあるとき、それも嘘だった。
署名を求めないというのは、エオリンを条約の外へ置くということだった。外へ置かれた土地は、守られない。守られない土地に、二日後から誰でも入れる。
慈悲、と彼は言った。
わたしは、その言葉をそのまま書いた。
そのまま書くというのは、そこに何も足さないということだった。
足さないと、読んだ者にはただの一行に見える。慈悲でしょう、と司祭が言った。それだけの行になる。
足したくなった。
足せば、記録ではなくなる。
わたしは、慈悲、という字を書いて、そのあとに何も書かなかった。




