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『百二十一人目』 ~魔力を持って生まれた子〜  作者: 音


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荷と一緒に

荷が出る朝、村の誰も見送りに出なかった。

冷たいからではない。荷が出る朝に人が集まるのを外から見られれば、その荷に何か載っていると教えることになる。そういうことまで手順になっている村だった。

荷が出るのは決まった日ではなかった。買い付けの司祭が来る日は決まっているのに、荷が出る日は毎回ずらす。ずらしても袋の数は同じだけ出るから値には響かない。響かないところだけをずらす、というのが、この村が長くやってきたやり方だった。

メレは井戸のところにいた。桶を引き上げていて、わたしが前を通っても顔を上げなかった。

「行くのか」

「うん」

「そうか」

それだけだった。何歩か行ってから、後ろで彼女が言った。

「布は替えろ。染みたやつは効かない」

振り返ると、彼女はもう桶を運んでいた。石のようになった指が縄を掴んでいた。

それきり彼女は振り向かなかった。この村で人が減るとき、残る者はみんなそういう別れ方をした。桶を運びながら、あるいは籠を編みながら、手を止めないで済ませる。

井戸から櫓までのあいだに、村の者と何人かすれ違った。誰も何も言わなかった。籠を運ぶ手を止めた者もいなかった。ひと月そこら一緒に篩を回した相手の顔を、わたしはそのときちゃんと見た。見たところで、名前は一つも知らなかった。

トゥーは櫓の下にいた。篩の前に立って、わたしの持ち場のほうを直していた。わたしがもう来ないのだから直す必要はなかった。

「じゃあ」

彼は手を止めなかった。

「北は寒い」と、前にも言ったことを言った。それから少し考えるような間があって、続けた。「灰は、寒いところのほうが軽い」

「どういう意味」

「知らない。おれが来たとき、そう言われた」

彼は篩の枠に手をかけたまま、しばらくそのままでいた。

「持ってけ」

投げてよこしたのは、布の切れ端だった。灰よけに使う厚手のもので、洗った跡があった。洗ってあるということは、新しいのを分けてもらったのではなく、自分の使っていたものだということだった。

「あんたのは」

「もらう」

そう言って、彼は初めてこちらを見た。目のふちが赤かった。灰が入ればそうなる。この村では毎日そうなる。だからそれが何のせいかは、誰にも分からない。

彼は篩から手を離し、袖で顔を拭って、それきり櫓のほうを向いた。わたしは荷馬車のところへ行った。

連れて行くのは、食事の前に胸の前で環を描きかけてやめる、あの男だった。荷台に麻袋を積み直しながら、わたしを見もしないで顎で乗れと示した。

村が見えなくなるまで、彼は何も言わなかった。

荷台には麻袋が積んであった。中身は灰だった。北へ行くのに東へ売る灰を積んでいるのは、途中の集落で売り払うからで、荷のない車で街道を行くほうがよほど目立つ、というのが彼の言い分だった。

灰の山が地平の下へ沈み、櫓の先だけがしばらく残って、それも消えてから、彼はようやく口を開いた。

「名前が要る」

「え」

「村を出たら要る。訊かれて答えられない子供は目立つ。目立つ子供は覚えられる。覚えられた子供は、あとで照らし合わされる」

彼は御者台からこちらを振り向かないで話していた。

「なんでもいい。ただし一つに決めて、最後まで同じものを使え。途中で変えたやつはだいたい捕まる」

わたしは荷台の縁を握っていた。

「アステ」

「聞いた」と彼は言った。「その名で行け」

「聞いたって、いつ」

「あの朝だ。あんたが袋の間から引っぱり出されて、名を訊かれて、答えたときだ」

「小屋の外にいたの」

「村の全員が外にいた」とエルネスは言った。「あの日、家の中にいた者は一人もいない。中にいると、中に何かあるように見えるからな」

わたしは、あの朝のことを思い出していた。櫓が止まって、村じゅうが声を立てないまま動いた、あの手際のことを。

しばらくして、彼は付け足した。

「家名は」

「ない」

「北へ行けば要る。向こうは家名で人を並べる国だ。ないままだと、それはそれで目立つ」

わたしは答えられなかった。

「まあ、いい」と彼は言った。「向こうで訊かれたら、母親の名を言え。北はそういう並べ方をする」

わたしは母の名を知らなかった。

父は母を呼ぶのに名を使わなかった。おまえ、と言うか、何も言わないで用件だけを言うかのどちらかで、市場の女たちは奥さん、と呼んだ。母が自分の名を口にするところを、わたしは一度も見ていない。

そのことに、荷馬車の上で初めて気がついた。

呼ばれない名前は、無いのとどう違うのだろうと思った。

母は自分の名を憶えていたはずだった。憶えていて、毎日使わないと決めていた。北の言葉と同じやり方だった。使わないでいるものが、母の中にはいくつもあったことになる。

わたしに残していったのは、そのうちの一つだけだった。鉄が一本。

「おじさんの名前は」

「道では、おれのことをエルネスと呼べ」と彼は言った。「それがおれの名かどうかは訊くな」

道は西へ向かっていた。灰海の縁に沿って、掘り出した山の裾を回り込むように続いていて、車輪の下でずっと乾いた音がしていた。

「北へは、山を越えるの」

「越えない」とエルネスは言った。「回る」

「なにを」

彼は鞭の柄で、右手のほうを指した。ずっと右手には、平らで、灰色で、端の見えないものがあった。

「これを」

「回るのに、どのくらいかかるの」

「知らん」

「知らないの」

「戻ってきた者の話しか聞いてないからな」とエルネスは言った。「行ったきりの者が何日かかったかは、誰も知らん」

牛が首を振った。轍の下で、乾いた音が続いていた。

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