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『百二十一人目』 ~魔力を持って生まれた子〜  作者: 音


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縁を回る道

灰海の北の縁には、関がない。

関がないのは、置く値打ちがないからだった。北縁を回る道は、荷を運ぶには遠すぎ、兵を通すには水が足りず、逃げるにはあまりに具合がよかった。それでも人が通らないのは、通った者がその後どうなるかを、通った者の顔を見た者がみんな知っていたからだった。

関を置く値打ちのない道は、逃げる者にとって一番いい道になる。教会もそれは知っている。知っていて置かないのは、置かなくても人が減るからだった。

エルネスは荷馬車を捨てた。

牛と車を、縁の手前の集落で売った。売った銭で買ったのは、水袋と、干した魚と、布だった。布は分厚く、目が詰まっていて、袋一つぶんあった。

銭は残らなかった。北へ着いてからどうするのかと訊いたら、着いてから考えると言われた。着かない可能性のほうを先に片づける、という順番で物を買う男だった。

「歩きだ」と彼は言った。「車の轍は残る。轍は読まれる」

歩きはじめて半日で、わたしは布の意味を知った。

風はないのに、灰は舞う。歩けば足が地面を叩き、叩けば粉が持ち上がる。持ち上がった粉は落ちてこない。風がないということは、押し流すものがないということで、一度浮いたものはそこに留まりつづける。

自分の踏んだ灰の中を、自分で歩いていくことになる。

先を歩く者ほど得をする。エルネスは、わたしを前に歩かせなかった。

エルネスは布を裂いて、わたしの口と鼻に何重にも巻いた。自分にも巻いたが、わたしより薄かった。

「あんたのぶんが薄い」

「おれは大人だ」と彼は言った。「入るぶんが同じでも、体が大きいほうが薄まる」

その理屈が正しいのかどうかは分からない。ただ、彼は自分のぶんを巻き直すたびに、少しずつ布を減らしていった。

日が判然としない土地では、時刻が分からない。エルネスは歩数で測っていた。決めた歩数を歩いたら止まり、水を口に含み、飲み込まないでしばらく口の中に置いてから飲んだ。喉に灰が張りつくのを剥がすためだった。

「そんなに水があるの」

「ない」と彼は言った。「だから、こうやって飲む」

食い物は日に一度だった。干した魚を裂いて、噛まずに口の中で戻してから飲む。噛むと口が開く。口が開けば入る。灰海では、飲み込むことより口を開けないことのほうが大事だった。

夜がどれなのかも分からなかった。空全体が均等に暗くなり、均等に明るくなる。星が出ない。月も出ない。

眠るのも難しかった。横になると、地面の灰が顔の高さに来る。エルネスは寝るときだけ布を二重にして、そのぶん朝がつらそうだった。厚くすれば吸うぶんは減るが、息が足りなくなる。どちらかを選ぶ道だった。

彼は休むときに、必ず自分の歩いてきたほうへ足を向けて寝た。

「向きを忘れると、戻る」と彼は言った。「戻ったのに戻ったと分からないまま歩く。そういう死に方をした者がいる」

その死に方をした者を、わたしたちは見た。

道の脇に灰の盛り上がったところがあって、エルネスがそこで足を止めた。盛り上がりの端から、布のようなものが出ていた。彼は近寄らなかった。

「掘るな」

「掘らない」

「掘る者がいるんだよ」と彼は言った。「持ち物が残ってるからな。掘って、そのぶん長く留まって、隣に盛り上がりが増える」

わたしたちは歩き続けた。しばらく行ってから振り返ると、盛り上がりはもう見えなかった。同じ色のものの中では、形だけでは何も分からない。

四日目か、五日目に、彼が咳をしはじめた。

村の大人たちの咳とは違った。村の咳は長く、乾いていて、順番が決まっていた。エルネスの咳は短く、深く、咳いたあとで息を吸う音のほうが大きかった。

「布を厚くして」

「いい」

「いいわけない」

彼は歩きながら片手を上げて、それで話は終わりだという合図をした。

その日から、彼の歩数が短くなった。決めた数を歩く前に止まるようになり、止まる回数が増えた。水を口に含んでいる時間も長くなった。

わたしはそのことを口に出さなかった。出せば、彼は歩数を戻す。戻して、そのぶん早く終わる。

そのあとしばらくして、彼は言った。

「おれはもう吸ってる」

「え」

「灰縁の村に、何年いたと思う」

わたしは彼の指を見た。籠を編む手だった。指の先まで、まだ色があった。

「じゃあ、なんで一緒に来たの」

エルネスは答えなかった。歩数を数えていたのかもしれない。しばらくしてから、彼は数を数え終えたような口調で言った。

「北へやる道を知ってる者が、村に一人しかいないからだ」

「それだけ」

「それだけだ」

わたしは彼のあとを歩いた。歩くたびに灰が浮いて、浮いた灰の中を彼が歩き、その中をわたしが歩いた。

そのうち、自分の息の音が変わった。

吸うと、喉の奥のどこかが薄く鳴るようになった。痛みはなかった。ただ、笛の中に紙が入っているような、そういう鳴り方をした。

わたしはそれを、エルネスに言わなかった。

言わないでいるのは、思っていたより簡単だった。

村では、誰も他人の咳を数えなかった。数えれば、数えられた側は自分の残りを知ることになる。知ったところで何ができるわけでもない。だから数えない。数えないというやり方を、わたしは村でひと月そこら見て育っていた。

灰の中では、その育ち方が役に立った。

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