常在
村へ着いたのは、その日の夕方だった。
家は、木でできていた。地面から高く上げてあって、下を水が通っている。屋根が深く、庇が長い。雨が多い土地だった。
地面から上げてあるのは、水が来るからだった。
灰縁の村の家は、土壁で、地面に直接建っていた。北の峡の家は、屋根が地面まで下りていた。北の谷は、掘ってあるところへ入った。島は、囲いだけだった。
土地が違えば、家の建て方が違う。当たり前のことなのに、そのときは、それが少し不思議だった。
同じ人間が、同じものから身を守るために、これだけ違うものを建てる。
人が、こちらを見た。
見て、笑った。
笑ったのが、わたしにはよく分からなかった。灰縁の村では見て、それきりだった。北の谷では、見て仕事へ戻った。島では、数えられた。
ここでは、笑って、それから何か言った。
笑われるのが、久しぶりだった。
三年で、笑いかけられた覚えがほとんどなかった。灰縁の村では笑わなかった。北の谷でも笑わなかった。島では笑われたことがあるが、あれは別の笑い方だった。
わたしは、どういう顔をすればいいのか分からなかった。
分からないまま、頭を下げた。
言葉は分からなかった。
分からないのを見て、その人は共通語に切り替えた。
「迷った子だね」
「はい」
「霧に当たったか」
「当たりました」
「何日いた」
「分かりません」
その人は、うなずいた。分からないのが普通だという顔だった。
「何日いても、平気なんですか」
「霧では死なん」と彼女は言った。「死ぬのは、動いた者だ。動いて、迷って、水のないところへ入って死ぬ」
「動かなければ」
「腹は減る」
「じゃあ」
「腹が減っても死なんくらいの間で、たいてい晴れる」
彼女は、そう言って、また笑った。
「あんたは、動かんかったね」
「はい」
「賢いね」
村の中を歩いて、わたしは何度か立ち止まった。
止まったのは、見たことのないものがあったからではなかった。
見たことのあるものが、違っていたからだった。
水を汲んでいる女がいた。桶を井戸に落として、引き上げる。引き上げるときに、縄を持っていなかった。
桶が、上がってきていた。
女は、片手を桶のほうへ向けていた。それだけだった。井戸端で世間話をしながら、片手を向けたまま、桶を上げていた。
誰も、見ていなかった。
わたしは、見ていた。
見ているのが、わたしだけだった。
灰縁の村で、盆が光った子は連れて行かれた。北の峡で、刻んだ者は腕を出して歩いた。出さない者は袖を下ろした。島では、腕に線があることが、そのまま人の位だった。
ここでは、桶が上がっていた。
上がっているのを、誰も見ていなかった。
その先で、子供が走っていた。走りながら、手に持った木の実を宙に放って、落ちてくる前にもう一つ放っていた。三つが、宙で回っていた。
落ちなかった。
わたしは、そこに立って、それを見ていた。
「珍しいか」
後ろから、声がした。
さっき話しかけてきた人だった。年寄りの女で、名をアオレといった。
「あの子は、有脈者ですか」
「そうだね」
「あの人もですか」
「そうだね」
「みんなですか」
「みんなではない」とアオレは言った。「四人に一人くらいだ」
わたしは、その数を聞いた。
大陸のほかの土地では、十人に一人もいない。灰縁の村では、盆が光った子は連れて行かれた。北の峡では、刻んだ者だけが使えた。島では、刻印が数えるためのものになっていた。
ここでは、四人に一人が、井戸端で世間話をしながら使っていた。
四人に一人というのは、この村の三十人ばかりのうち、七、八人ということだった。
そのくらいの数の者が、毎日、少しずつ使っている。
一つの村で、それだけ。村は、この森にいくつあるのか。
わたしは、そこまで数えて、数えるのをやめた。
やめたのは、桁が見えたからだった。
「隠さないんですか」
「なぜ隠す」
わたしは、答えられなかった。
「隠せんのだよ」とアオレは言った。「うちのは、止められない」
「止められない」
「あの子が木の実を回しとるのは、やっとるからだ。あれは止められる」と彼女は言った。「そうではないほうがある」
彼女は、自分の胸のあたりに手を当てた。
「息をするのと同じだ。やろうと思ってやっとるのではない。やめようと思っても、やまん」
「痛くないんですか」
「痛くない」
「疲れませんか」
「疲れん」
「じゃあ、どうやって、あることが分かるんですか」
アオレは、少し考えた。
「よそへ出た者が、言う」と彼女は言った。「森を出ると、何かが軽くなると言う。戻ってくると、また重くなると言う」
「重いんですか」
「重いというのがどういうことかは、住んどる者には分からん」
「それは、なんですか」
「なんだろうね」と彼女は言った。「霧が晴れんのも、たぶんそれだ。この土地の者が住んどるから、晴れん」
わたしは、その言葉を聞いた。
聞いて、頭の中の四十のないものを思い出した。
灰海には、季節がない。雨がない。風がない。木がない。草がない。虫がない。
ここには、全部あった。
多すぎるほどあった。
同じものの、両端だった。
片方には何もなくて、片方には多すぎる。
多すぎるほうから、少しずつ出ていっている。出ていったものがどこへ行くのかは、分からない。
分からないが、行き先の一つは知っていた。
石になって、山で磨かれて、大陸じゅうで使われる。




