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『百二十一人目』 ~魔力を持って生まれた子〜  作者: 音


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歌う霧

エオリンへは、三国見から西へ十日だった。

行くと言ったとき、オルサは止めなかった。止めない代わりに、一つだけ言った。

「霧が出たら、動くな」

「霧ですか」

「あそこの霧は、晴れん」と彼女は言った。「何日も晴れん。晴れんうちに歩くと、向きが分からんようになる。向きが分からんと、時刻も分からんようになる」

「時刻もですか」

「そういう霧だ」

「オルサさんは、行ったことがあるんですか」

「ある」

「証言官のときですか」

「そうだ」と彼女は言った。「導石の契約でもめて、立ち会いに行った。行って、何も判定できんかった」

「なんでですか」

「通訳を通したからだ」

彼女は、右の耳のほうへ手をやりかけて、やめた。

「わしに分かるのは、共通語とアルディエル語だけだ。喋っとる者の母語でないと、精度が落ちる。通訳を挟んだら、何も分からん」

「じゃあ」

「座っとっただけだ」

十日目に、森へ入った。

森というものを、わたしはそれまで知らなかった。北の谷の木は、間隔を空けて立っていた。伐ったぶんだけ植えるので、林は同じ形のまま残る。あれは、人が並べたものだった。

ここは、並んでいなかった。

木と木のあいだに、また木があった。その下に低い木があり、その下に草があり、その下に苔があった。上を見ると、葉が重なって、空が見えるところがほとんどなかった。

灰海では、空が全部見えた。見えるのに、日の位置が分からなかった。

ここでは、空が見えない。見えないので、日の位置は分かりようがない。

どちらも、時刻の分からない土地だった。片方は何もないから分からず、もう片方は多すぎて分からなかった。

音が多かった。

鳥と、虫と、水と、葉。灰海では音が吸われた。ここでは、音が返って、重なって、どこから来ているのか分からなかった。

三日目に、霧が出た。

朝、目が覚めたときには、すでに出ていた。

出ていた、というより、そこにあった。動いていなかった。風がないのではない。風はあった。木の葉が動いていた。動いているのに、霧は動かなかった。

そのことに気づくまでに、少しかかった。

風が吹けば、霧は流れる。流れれば、薄いところと濃いところができる。灰海で焚火の煙を見たとき、煙はまっすぐ上がった。風がなかったからだった。

ここには風がある。あるのに、霧が動かない。

動かないものが、そこにあり続けていた。

わたしは、その場に座った。

オルサの言ったとおりにした。動かなかった。

動かないでいるのは、思っていたよりつらかった。

寒くはなかった。この森は暖かい。水も、葉から落ちるものを集めれば足りた。食べ物は三日ぶん持っていた。

つらいのは、体ではなかった。

じっとしていると、腹の底が焼けはじめた。メレの言ったやつだった。手を動かせば静かになる。動かすなと言われている場所で、手を動かすわけにいかなかった。

わたしは、指だけを動かした。膝の上で、編むふりをした。

一日目は、明るさで昼と夜が分かった。

二日目から、分からなくなった。

明るいのか暗いのかが、途中から曖昧になった。目を閉じても開けても、見えるものが同じくらいになった。眠ったのかどうかも、分からなくなった。

わたしは、数えた。

それしか、やることがなかった。

北の谷の柱を十九本。島の四十年。トルヴェクの二百三十六と百九十五と四十一と十一。灰海の杭、四列。

一通り数えて、また最初から数えた。

何度目かで、落とした。

落ちたことに、すぐには気づかなかった。

数え終わって、また最初から数えて、二度目のときに合わなくなった。合わないので、三度目を数えた。三度目でも合わなかった。

二度目と三度目が同じ数だったので、間違えたのは一度目のほうかと思った。

思ってから、逆かもしれないと気づいた。

どちらが正しいかを決める方法が、なかった。

島の四十年の、二十六年目と二十七年目のあいだが、抜けた。

わたしは、そこで止まった。

止まって、前後から埋めようとした。埋められた。前の年と後の年から、なだらかに繋げば、それらしい数が出る。

出した。

出してから、手が震えた。

老人が、同じことをした。前の記録者が言い終わる前に死んで、三年ぶんが抜けた。前と後ろから、それらしくなるように挟んだ。空けておくよりましだ、と言った。

わたしは、いま同じことをした。

同じことをして、しかも、それが本当の数かどうかを確かめる相手がいなかった。老人は死んでいる。島は海の向こうにある。

わたしは、その埋めた数を、別のところへ置いた。

頭の中の棚の、脇に作った棚だった。老人が入れた三年ぶんを、そこへ入れてあった。その隣に、自分が入れた二年ぶんを置いた。

置いてから、また最初から数えた。

置いたものが、脇の棚で二つになった。

老人の三年ぶんと、わたしの二年ぶん。どちらも、それらしく挟んだ数だった。

わたしのほうは、自分で入れたと分かっている。老人のほうも、あの人が入れたと聞いている。

聞いていることを、次に渡すときに、一緒に渡さなければならなかった。

渡す相手が、いなかった。

霧が晴れたのは、四日目か五日目だった。

どちらか分からなかった。

晴れたときに、わたしは自分の座っていた場所を見た。

草が、少し倒れていた。倒れ方が、一方向だった。それだけの間、動かないでいたということだった。

立ち上がると、脚が痺れた。

痺れが取れるまで、その場に座り直した。座り直したところで、また数えた。

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