三国見
メレが死んだのは、わたしが村へ戻って十一日目だった。
埋めたのは、灰海とは反対側の斜面だった。名を訊かない村では、墓に彫る名もない。石を置くだけだと、三年前に聞いていた。
三年前、その話をしたのはメレだった。
咳のしない夜が一度あって、端の家の老人が咳をしないまま朝になった。埋めたのは、その斜面だった。掘るのは若い者で、掘っているあいだ誰も何も言わなかった。
今度は、掘るのがトゥーだった。
わたしは、石を置いた。
置いてから、その石を覚えた。斜面のどのあたりか、どの石の隣か、上に何本目の木があるか。覚えても意味がないことは分かっていた。それでも覚えた。
覚えたものが、また一つ増えた。
北の谷の柱を十九本。島の四十年。トルヴェクの四つの数。灰海の杭の四列。そこへ、斜面のどのあたりかが加わった。
数ではないものを覚えるのは、久しぶりだった。
トゥーは、掘るほうを手伝った。掘っているあいだ、何も言わなかった。
埋め終わってから、彼が言った。
「行くのか」
「行く」
「そうか」
彼は、櫓のほうへ戻っていった。
わたしは、その背中を見ていた。訊かれなかった。三年前も訊かれなかった。この人は、たぶん一生誰にも何も訊かない。
訊かないというのは、この村では優しさだった。
別れ際に、彼は一つだけ何かをした。
篩の枠から布を外して、投げてよこした。三年前と同じだった。あのとき投げてよこしたのは、洗ってあるものだった。洗ってあるということは、自分の使っていたものだということだった。
今度のは、新しかった。
新しい布が村に入るというのは、買ったということだった。買ったのは、たぶん去年の袋の代金だった。
わたしは、それを受け取った。
「あんたのは」
「もらう」
三年前と、同じ返事だった。
三国見へ着いたのは、それから十日後だった。
灰海の南の縁を回って、東と南へ折れる街道の交わるところに、その集落はあった。三つの国の境が寄り集まっているので、そう呼ばれるのだと聞いた。
境が集まっているというのは、どの国も端だということだった。
端は、遠い。遠いところへ兵を出すのは割に合わない。割に合わないので、三つとも手を出さない。手を出さないところに、人が集まる。
灰縁の村と、同じ理屈だった。あそこは、取りに来る値打ちがないから誰の土地でもなかった。
値打ちがないのと、割に合わないのは、少し違った。違うが、結果は同じだった。
灰縁の村とは、まるで違っていた。
家が多い。人が多い。通り過ぎる者が多い。荷を担いだ者、馬に乗った者、隊を組んだ者。誰の領土でもないのに、誰もがそこを通っていた。
誰の領土でもないというのが、通る理由だった。
関がない。税がない。名簿がない。
名簿がないというのが、いちばん大きかった。
灰縁の村で、メレは四十年、白と記録されたまま生きた。教会は帳面で世界を見る。帳面に済と書いてある者は、目の前で火を噴いていても済んでいる。
ここは、帳面そのものがなかった。
済も未も、書かれていない。書かれていない者は、探しようがない。
だから集まる。集まるから、宿がいくつもある。
宿は、いくつもあった。
その中の一つに入ったのは、看板が出ていなかったからだった。看板を出さない宿は、たいてい安い。灰縁の村とロヴァニスで、そういうことを覚えていた。
戸を開けると、土間があって、その奥に卓が並んでいた。
土間の隅に、石の台があった。
見覚えのある形だった。ロヴァニスの道の角に並んでいたものと同じで、上に窪みがある。
窪みには、何も置いていなかった。
置く者がいないのか、置いたものを誰かが持っていくのかは、分からなかった。
人がいた。思っていたより多かった。看板を出していないのに、埋まっていた。
「泊まるか」
奥から声がした。
女だった。年は、五十を過ぎているように見えた。髪が半分白い。背が高くもなく低くもなく、痩せてもいなかった。
「泊まります」
「一晩なら、ここだ」
彼女は、階段の下の隅を顎で示した。部屋ではなかった。板の間の、いちばん狭いところだった。
狭いのは構わなかった。三年、狭いところで寝ていた。灰縁の村の掘ってあるところ、北の谷の木の下、船の荷のあいだ、坑夫小屋の板の間。
板の間は、そのどれよりましだった。
ましなところで寝ると、かえって眠れないことがあるのを、わたしはそのころ知りはじめていた。
「銭は」
わたしは、持っているものを出した。ロヴァニスで替えたものだった。
替えたのは、ベルグと一緒に行った日だった。あのとき、替える者が取るからだと彼は言った。取られるのに替えるのは、替えないと麦が買えないからだった。
三国見では、どこの銭でも通った。誰の土地でもないので、どの国の銭も等しくよそのものだった。
女は、その銭を見た。
見て、少し目を動かした。
「あんたは、遠くから来た、と言った」
わたしは、その言い方に引っかかった。
わたしは、まだ何も言っていなかった。
言っていないのに、言ったことにされていた。
聞き違いかと思った。三日いて、聞き違いではないと分かった。
その晩は、まだ分からなかった。板の間に荷を下ろして、靴を脱いで、それから土間へ戻って飯を頼んだ。
「何を食べる、と言った」
彼女は、そういう言い方をした。




