杭
一人で歩いて、二日だった。
覚えのある道だった。三年前、逆向きに歩いた。あのときは十歳で、前の日から何も食べていなくて、牛の足跡の水を飲んだ。
同じ道を、いまは食べて歩いていた。
食べているのに、体は軽くならなかった。
三年前は、空腹で頭に膜が張って、足を出すことと足を出そうと考えることのあいだに間が空いた。いまは、間は空かない。空かないかわりに、息が続かなかった。
トルヴェクの山で足りなかった息が、平地でも足りなくなっていた。
街道に出ると、荷馬車が通っていた。東へ行く車は麻袋を積み上げて、車輪が軋むほど重い。袋の縫い目から灰色の粉が細く漏れて、通ったあとの道に薄く尾を引いている。西へ戻る車は空で、軽い音を立てて速く走っていた。
同じだった。
三年前と、一つも変わっていなかった。
変わっていないのは、道と車だけだった。
数は変わっていた。三年前は、東へ行く重い車と西へ帰る空の車が、ひっきりなしにすれ違っていた。いまは、間が空いた。
石の陰から数えていたころのわたしなら、その差を数で言えたと思う。あのときは数えなかった。数える理由がなかった。
わたしは、その空の車に手を上げた。乗せてくれと言った。御者は何も訊かないで、顎で荷台を示した。
灰の匂いは、覚えているものと同じだった。乾いていて、少し甘くて、喉の奥に引っかかる。
咳が出た。
出てから、それが灰のせいだけではないことに気がついた。この三年で、わたしの喉は変わっていた。灰海の北の縁を歩いて、海の上で濡れて、山で薄い息をした。
布は、持っていた。
トゥーがくれたものではない。あれは島へ行くときに使い切った。買ったものだった。
買ったのは、ロヴァニスだった。あの街では、布も数えて売っていた。目の細かさで値が違い、細かいほうが高かった。
灰縁の村では、布は洗って使い回すものだった。洗ってもとれない灰が、繊維の奥に残っていた。
同じものを、片方は買い、片方は洗っていた。
村が見えたのは、その日の夕方だった。
掘り出した灰の山と、篩にかける櫓と、袋を積む小屋。土壁の家が、それを囲んで並んでいる。垣根はない。柵も、門も、見張り台もない。
家の数が、減っていた。
三年前は四十戸ほどあった。数えると、三十を少し超えるくらいしかなかった。減った家は、壊してあった。壊した跡に、土壁の残りが低く残っている。
壊すのは、材を使うためだった。
この土地に木はない。家を建てる木は、東から買う。買えないので、空いた家を壊して、その材で残った家を直す。
家が減るというのは、人が減っただけではなかった。減った人の家が、残った人の屋根になっていた。
車が停まって、わたしは降りた。
誰も、こちらを見なかった。
いや、見た者はいた。見て、それきりだった。この村では、それが普通だった。
三年前、わたしはこの村へ来たとき、同じように見られた。籠を運ぶ手を止めて、こちらを見て、それから仕事へ戻った。新しい子が来たときにどうするかが、この村では決まっていた。
決まっているとおりに、彼らは見た。
決まりは、まだ生きていた。
わたしは、灰海のほうへ歩いた。
縁までは、村から半里ほどある。歩いていくと、地面の色が少しずつ変わった。土に灰が混じり、混じる割合が増えて、しまいには灰だけになる。
風がなくなるところが、境だった。
そこに、杭が並んでいた。
縁に沿って、腕の長さほどの木の杭が、間隔を空けて打ってある。あの杭より奥へ行った者は、その日のうちに戻らないことがある、と言われていた。
わたしは、その杭の前に立った。
そして、後ろを振り返った。
杭は、一列ではなかった。
いまの列より手前に、もう一列あった。古い杭で、上のほうが折れて、根元だけが地面から出ている。
そのもっと手前にも、あった。
さらに手前にも、穴があった。杭は残っていない。穴だけが残っていた。埋め戻していないので、丸い窪みがそこにある。
わたしは、その窪みの列を目で追った。
四列あった。
四列目は、わたしがここにいたころにはなかった。
三年前、杭は一列だった。少なくとも、わたしが見ていたのは一列だった。手前に古い列があることに、あのときは気づいていない。
気づかなかったのは、探していなかったからだった。
探していないものは、目の前にあっても見えない。ベルグが言ったとおりだった。あるはずのないものは、見えても見えない。
いちばん古い列から、いまの列まで。四つの列が、村のほうから灰海のほうへ向かって並んでいるのではなかった。
逆だった。
いまの列が、いちばん村に近かった。
杭は、外へ動いていた。
灰海が、内へ寄っていた。
わたしは、そこにしばらく立っていた。
三年前、灰縁の村へ買い付けに来た司祭に、村の男が言った。
縁は動きます。毎年、少しずつ内へ寄ります。掘ったところは崩れて、崩れたところからはもう出ません。
司祭は、書く手を止めなかった。
痩せるものだな、何でも、と言った。
わたしは、いちばん古い杭穴のところへ戻った。
窪みは、浅くなっていた。灰が入って、埋まりかけている。あと何年かで、分からなくなる。
分からなくなれば、そこに杭があったことも消える。消えれば、縁がどこにあったかも消える。
誰も数えていないものが、あと何年かで、数えられなくなるところだった。
そこから、いまの杭まで、歩いた。
数えながら歩いた。




