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『百二十一人目』 ~魔力を持って生まれた子〜  作者: 音


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戻らない

船が出るのは、朝だった。

麦を積み終えて、綱を解くばかりになっていた。ベルグが袋の数を最後にもう一度数え、線を引いた紙を懐へ入れた。漕ぎ手の二人が、櫂の座に着いた。

わたしは、岸に立っていた。

三年前、この島へ着いたとき、わたしは荷と一緒に降ろされた。降ろされて、右か左へ分けられた。右へ行った者は働かされ、左へ行った者はその場に座らされた。

いま、わたしは自分の足で岸に立っていた。

立っていられるようになるまでに、三年かかった。

「乗れ」とベルグが言った。

「乗りません」

彼の手が、綱にかかったまま止まった。

シグリが船尾から立ち上がった。立ち上がって、こちらを見た。

「なんだと」

「戻りません」

ベルグは、綱を放した。

「あんた、盟の者だぞ」

「はい」

「三度出て、帰った。わしが数えとる」

「はい」

「記録者だ」

「はい」

彼は、そこで言葉を切った。切ってから、言い直した。

「四十年ぶんを、あんたが持っとる」

わたしは、うなずいた。

それが、この話のいちばん重いところだった。

老人は三日かけて渡した。渡し終わる前に喋れなくなって、口だけを動かした。たのむ、と三度言った。何を頼まれたのかは、いまも分からない。

分からないまま、わたしは受け取った。

受け取ったものを持って、いま岸に立っていた。

島には、書いたものがない。

紙がない。板もない。柱に刻む者もいない。四十年ぶんは老人の頭の中にあって、そこからわたしの頭の中へ移った。

移ったものが出ていけば、島にはもう何も残らない。

教会が北の谷から古い柱だけを運び出したときと、形が同じだった。減り方の分かるところだけが、外へ出ていく。

「置いていけると思うか」とベルグが言った。

「思いません」

「じゃあ、乗れ」

「乗りません」

シグリが、船縁を跨いで岸へ下りた。

彼女は、わたしの前まで来た。背は高くない。わたしのほうが、この三年で伸びていた。同じくらいの高さで、目が合った。

「言え」と彼女は言った。

「島へ戻ると、あと二年で条約が切れます」

シグリは、何も言わなかった。

「切れたら、みんなが殴っていい世の中になります。島がどうなるかを、盟約会で考えてるって聞きました」

「聞いた」

「そのあいだ、わたしは読み上げます。毎年、去年あったことを読み上げます」

わたしは、言葉を選んだ。選んでも、うまく言える気がしなかった。

「読み上げると、そのとおりに決まります」

彼女の目が、少し動いた。

「去年、わたしが減っていると言いました」とわたしは言った。「そのあと、島は取れるだけ取ることに決めました。二月かかっていたものが、一月で決まりました」

「決まった」

「わたしが言わなかったら、二月かかってました」

シグリは、しばらく黙っていた。

「それが、戻らん理由か」

「違います」

「なんだ」

「まだ分かっていないことがあります」とわたしは言った。「なぜ減るのかを、わたしはまだ知りません。知らないまま読み上げると、また同じことが起きます」

「知ったら、戻るのか」

わたしは、答えられなかった。

答えられないのが、答えだった。

シグリは、それ以上訊かなかった。

この人は、答えられない相手をそれ以上追わない。追っても出てこないと知っているからだった。島では、そういうやり方をする者のほうが少なかった。

追わないのは、優しいからではない。追う時間が惜しいからだった。

シグリは、それを見ていた。見て、それから後ろの船を振り返った。

「四十年ぶんは」

「持っていきます」

「持っていって、どうする」

「分かりません」

「落とすかもしれん」

「落とすかもしれません」

彼女は、こちらを向き直った。

「島には、それしかない」と彼女は言った。「土地がない。畑がない。書いたものもない。あるのは、覚えとる者だけだ」

「知ってます」

「その者が出ていく」

「はい」

シグリは、袖の中で手を握ったようだった。上着の布が動いた。

わたしは、腕の内側に手を当てていた。線が三つ。あと一つ。

彼女なら、袖をまくって使える。使えば、わたしは立っていられない。上がった相手に、上がっていない者は勝てない。

彼女は、まくらなかった。

「なぜ止めないんですか」

「止めて、どうする」

「連れて帰れます」

「連れて帰った者が、正しく読み上げるか」とシグリは言った。

わたしは、答えられなかった。

「あの爺は、四十年、正しく読み上げた」と彼女は言った。「間違えた数も、正しく間違えた。あれは、そういう者だった」

彼女は、船のほうへ歩きだした。

「あんたも、そういう者だと思っとる」

わたしは、その言葉に返す言葉を持たなかった。

正しく間違える、というのは、たぶん、この人がいちばん高く見ているものだった。腕に六つ刻んで、五つ目は何もしない刻みで、それでも刻んだ。負けた年に持ち帰るものがなくても、出たことは残さねばならない、と。

その人が、わたしをそう見ていた。

見られているとおりに振る舞えるかどうかは、別の話だった。

歩きかけて、止まった。

「戻れとは言わん」と彼女は言った。「言わんが、戻ればいい」

船が出た。

わたしは、岸に立っていた。腰に巻いた綱と、袖の中の針と、腕の内側の線。それだけを持っていた。

持っているのは、それだけではなかった。

四十年ぶんの数を、わたしは持って、岸に立っていた。

船が小さくなるまで、動かなかった。

見えなくなってから、頭の中の四十年を、いちばん古い年から順に通した。

落ちていなかった。

落ちていないことを確かめても、確かめ返してくれる者がいなかった。それが、この日から先のやり方になった。

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