年に幾つ
その晩、わたしは数えた。
六日ぶんの取引高が、頭の中にあった。日によって違うが、動く幅はそう大きくない。六日ぶんを足して、六で割れば、一日あたりが出る。
一日あたりに、一年の日数を掛ければ、一年ぶんが出る。
出た数は、わたしがそれまでに扱ったどの数よりも大きかった。
大きすぎて、意味が分からなかった。
桁が多いと、頭の中で持ちにくい。
北の谷の柱の列は、長くても指で数えられる長さだった。島の持ち帰り量は、麦の袋の数だった。袋なら、目に見える。
取引所の数は、目に見えるものと繋がっていなかった。
わたしは、それを袋に直そうとした。直せなかった。石は袋で運ばない。木の箱で運ぶ。箱九つが麦の遠征九百回ぶんだと、老人は言った。
そこから逆に辿ろうとして、途中で分からなくなった。
大きい数は、そのままでは何も言わない。北の谷の柱がそうだった。列の長さだけを見ても、長いか短いかしか分からない。並べて、比べて、初めて形になる。
比べる相手が、要る。
わたしは、腕の内側を見た。
彫った線が、四つの数を持っていた。
坑が二百三十六。止まったのが百九十五。鳴っているのが四十一。まともに出るのが十一。
比べるには、桁が違いすぎた。坑の数と、取引される石の量は、単位が違う。
一つの坑から、年にどれだけ出るのか。それを知らないと、繋がらなかった。
わたしは、それを知らなかった。
ドラに訊けばよかった。
訊かなかったのは、そのときのわたしが、繋げる先を持っていなかったからだった。坑の数を聞いて、それを何と比べればいいのかを知らなかった。
比べる相手が出てきてから、訊きたいことが分かる。
訊けるときには、訊きたいことがない。訊きたくなったときには、訊く相手がいない。
そういうことが、これまでに何度かあった。
翌日、わたしはまた取引所へ行った。
ベルグは来なかった。麦の積み込みがあった。行くなとも言われなかったので、行った。
板の下に立って、しばらく見ていた。
そのうち、隣に人が来た。
若い女だった。二十歳を少し過ぎたくらいに見えた。地味な色の服を着ていて、腕に厚い板を抱えている。板には紙が挟んであって、そこへ何か書きつけていた。
彼女は、板を見上げて、書いた。見上げて、書いた。
床の誰も板を見ていない中で、その人だけが見ていた。
見上げて、書いて、また見上げる。同じ動きを繰り返していた。
書いているのは、紙だった。紙に書くというのは、あとで読むということだった。
わたしは、その人の手元を横から見た。字は細かかった。細かいのに、揃っていた。毎日同じ形で書く者の字だった。
わたしは、しばらくその横に立っていた。
女が、こちらに気づいた。
「なにか用」
共通語だった。この街の者は、ほとんど共通語を使った。人種が混ざりすぎていて、それしか共通のものがないのだった。
「見てました」
「なにを」
「板です」
彼女は、少し笑った。
「珍しい子ね。ここで板を見てる人は、私くらい」
「みなさん、見ないんですか」
「見なくても分かるからよ」と彼女は言った。「あの人たちは、値が動いた瞬間に床の声で分かる。板は、あとから確かめるためのもの」
彼女は、自分の手元の紙を見た。
「私は、確かめるほうの仕事だから」
「確かめて、どうするんですか」
「合っていたら、何もしない」と彼女は言った。「合っていなかったら、書き直させる」
「間違うんですか」
「毎日は間違わない。月に一度くらい」
彼女は、板を見上げた。
「月に一度でも、直さないと積み上がるから」
わたしは、老人の入れたそれらしい数のことを考えていた。
積み上がったものをあとから直す方法を、この街は持っているらしかった。
「なんのお仕事ですか」
「検分官」と彼女は言った。「セリーナ・ビランチ。秤の家」
「秤」
「家名が秤なの。うちは代々、量る仕事をしてる」
「代々って、どのくらいですか」
「祖父の祖父まで数えられる」と彼女は言った。「その前は分からない」
「書いてないんですか」
「書いてある」と彼女は言った。「うちの家の帳面にはね。ただ、そこから先は、たぶん量る仕事じゃなかったと思う」
「なんでですか」
「秤という家名を名乗ったのが、その人だからよ」
彼女は、少し笑った。
「家名は、仕事から作るの。仕事を始めた人が、最初に名乗る」
わたしは、その名を覚えた。
「わたしはアステです」
「家名は」
わたしは、少し止まった。
北で名乗った家名は、この街では意味を持たない。持たないうえに、北の家名だと分かる。
「ありません」
セリーナは、そのことに何も言わなかった。この街には、家名のない者が多いらしかった。
「一つ、訊いていいですか」
「どうぞ」
「あの、いちばん上の段の右の数は、取引高だと聞きました」
「そう」
「あれは、一日ぶんですよね」
「一日ぶん」
「じゃあ、一年ぶんは、どこかに書いてありますか」
セリーナの手が、止まった。
彼女は、初めてわたしの顔をちゃんと見た。
「あなた、いくつ」
わたしは、答えた。
彼女は、しばらく何も言わなかった。
「一年ぶんは、板には出ない」と彼女は言った。「出ないけど、ある。取引所が年に一度まとめる」
「見られますか」
「見られる」と彼女は言った。「壁に貼ってあるから」
彼女は、建物の奥のほうを指した。
「ただ、あれを見に来る人も、ほとんどいないわ」
「なんで見ないんですか」
「見なくても分かるからよ」と彼女は言った。「去年と同じくらい、と思ってる」
「同じですか」
「たいてい同じ」
彼女は、廊下のほうを見ていた。
「たいてい同じものは、誰も確かめない。確かめないから、違ってきても気づかない」




