三度目
三度目の遠征は、冬の初めだった。
行き先は、南だった。麦の遠征と同じ方角で、同じ川ではなかった。もっと東へ回った。
「川じゃない」と老人が言った。彼は港まで見送りに来ていた。船には乗らなかった。
「じゃあ、どこですか」
「船を取る」
「船を」
「南の船が、東から西へ通る道がある」と彼は言った。「石を運ぶ船だ」
「石」
「石だ」と老人は言った。「食えん」
「食えないものを、なんで取るんですか」
「売れるからだ」
「売る相手がいるんですか」
「おる」と老人は言った。「食えんものほど、高く売れる。食えるものは、みんなが持っておる。食えんもので、みんなが欲しがるものが、いちばん高い」
わたしは、その理屈を並べ直した。
麦は食える。だから、どこにでもある。どこにでもあるものは、安い。
食えないのに、みんなが欲しがるもの。
海の上で待つのは、村を襲うのとまるで違った。
四隻が、島の陰に入って動かなかった。動かないまま、二日いた。漕がないので、体は楽だった。楽なぶん、寒かった。
二日のあいだ、誰も声を出さなかった。
声を出さないのは、聞こえるからではなかった。海の上で二日待つあいだに喋りはじめると、そのうち誰かが苛立つ。苛立った者が動くと、船が揺れる。揺れは遠くから見える。
黙っているのは、船を見えなくするためだった。
北の谷でも、灰縁の村でも、人は黙っていた。理由は毎回違ったが、黙り方は似ていた。
三日目の朝に、見張りが声を上げた。
それからは、速かった。四隻が同時に出て、二隻が前へ回り、二隻が後ろから寄せた。相手の船は、こちらより大きかった。大きいが、遅かった。荷を積んでいるからだった。
大きい船が遅いのは、荷のせいだけではなかった。深いからだった。
こちらの船は浅い。浅いので、風と潮の影響を受けやすい。受けやすいということは、うまく使えば速いということだった。
深い船は、まっすぐしか走れない。まっすぐ走る相手を両側から挟むのは、難しくなかった。
船縁に人が並んで、投げるものを投げた。矢も来た。
わたしたち三人は、船の底に伏せさせられていた。先に下りる場所がないので、この遠征では出番がなかった。
それでも、音は全部聞こえた。
板を通して聞こえる音は、外で聞くのとまるで違った。
木が木に当たる音が、いちばん大きかった。人の声は、そのあいだに挟まって、途切れて聞こえた。
何かが板に当たる音が、二度した。二度目のあと、上で誰かが動いた。動いた重さで、板が撓んだ。
わたしは、その撓みの下で伏せていた。
終わってから、荷が移された。
木の箱だった。麻袋ではなかった。箱には縄がかけてあって、縄には印がついていた。荷を運ぶ者が、その印を確かめてから移していた。
わたしは、伏せたまま、その印を見ていた。
南の文字だった。
読めた。
積み出しの港の名と、荷の種類と、目方が書いてあった。荷の種類のところに、二文字あった。
導石。
聞いたことのない言葉ではなかった。灰縁の村で、司祭が代金を置いていくときに、その言葉を使うのを聞いた気がした。あのときは、銭の単位のことだと思っていた。
箱は、思っていたより小さかった。
小さいのに、運ぶ者が二人がかりだった。重いのだと分かった。
全部で、九つあった。
九つとも、同じ大きさだった。
同じ大きさの箱を九つ作るというのは、中身が同じものだということだった。ばらばらのものを運ぶなら、箱もばらばらになる。
九つとも同じにしてあるのは、数えやすくするためだった。
数えやすくしてあるということは、誰かが数えるということだった。
島へ戻る道で、わたしは箱の脇に座らされていた。荷が濡れないように押さえておけと言われた。押さえながら、印の文字を読み直した。
同じ印が、九つとも同じ場所についていた。
目方だけが違った。
わたしは、その九つの目方を覚えた。覚えるつもりはなかったのに、覚えてしまった。癖になっていた。
島へ着いて、箱が降ろされたとき、盟の者の様子が違った。
麦のときは、担いで運んで、並べて、それで終わりだった。今度は、降ろした場所から動かさなかった。人が周りに立った。
シグリが来て、箱の一つを開けさせた。
中には、藁が詰めてあった。藁の中に、布に包んだものが並んでいた。
包みを一つ、彼女が取り上げた。
布を開いた。
石だった。
灰色がかった、拳より小さいものだった。表面に何もついていない。磨いてもいない。ただの石にしか見えなかった。
シグリは、それをしばらく見ていた。
それから、老人のほうを向いて、何か言った。
老人が、こちらへ杖をついてきた。
「訳せと言われた」
「わたしにですか」
「あんたに訊けと言われた」と老人は言った。「箱に字が書いてあるだろう。何と書いてある」
わたしは、答えた。
「積み出した港の名前と、中身と、目方です」
「中身は」
「導石、と書いてあります」
老人は、その言葉を伝えた。
シグリは、石を持ったまま動かなかった。
それから、短く何か言った。
「食えるか、と訊いておる」
「食えません」
老人は、それを伝えなかった。伝えるまでもなかった。
「一つ、言っておく」と老人は言った。「これは、麦の百倍で売れる」
「百倍」
「箱一つでだ」
わたしは、九つの箱を見た。
「じゃあ、九つで」
「麦の遠征を、九百回やったのと同じだ」と老人は言った。「そんな遠征はない。四十年やっても、そこまでは行かん」
彼は、杖の先で箱の一つを軽く叩いた。
「わしは四十年、麦の数を覚えてきた。四十年ぶんが、この箱の中に入っておる」




