四十年
始まったのは、その次の日からだった。
三日で渡す、というのは、死ぬときの話だった。生きているあいだは、少しずつ渡す。少しずつ渡しておいて、最後の三日で全部を並べ直す。そういう手順になっていた。
「最後の三日で全部やらないんですか」
「やれん」と老人は言った。「三日で渡せるのは、受け取る側の場所が出来ておるときだけだ。場所がないところへ入れても、こぼれる」
「場所って、なんですか」
「並べる場所だ」と彼は言った。「頭の中に棚を作る。棚が出来ておれば、あとは順に置いていくだけだ。棚がなければ、置いた端から落ちる」
「並べ方から先に覚えろ」と老人は言った。
わたしたちは、修繕場の裏に座った。誰も来ない場所だった。老人が来るのに時間のかかる場所でもあったが、それでもそこを選んだ。
「一年が一つの塊だ」と彼は言った。「塊の中に、盟が並ぶ。盟の中に、遠征が並ぶ。遠征の中に、出た者と、帰った者と、持ち帰った量が入る」
「盟は、四百あるんですよね」
「ある」
「四百ぜんぶ覚えるんですか」
「覚えん」と老人は言った。「盟約会に代表を出した盟だけだ。年によるが、多くて八十、少ない年で四十だ」
「それでも多いです」
「多い」
「盟約会に出なかった盟のことは、覚えなくていいんですか」
「覚えん」
「その年に何かあっても」
「出んかった盟に何があったかは、うちの記録には入らん」と老人は言った。「出た者だけが数えられる。数えられん者のことは、記録者も知らんでいい」
わたしは、その言い方を頭の中で置き直した。
出なかった者は、いなかったことになる。灰縁の村と同じだった。名を訊かない村では、いなくなった者の話ができない。
彼は、地面に石を並べはじめた。
「並べ方を工夫すると、減る」
石は、五つずつ組にして置かれた。
「盟の名は、覚えん」と彼は言った。「順番で覚える。盟約会に座る順は、票の多い順だ。だから、票の多い順に並べれば、名前は要らん。前から何番目、で済む」
「でも、順番は毎年変わりますよね」
「変わる。だが、全部は変わらん」と老人は言った。「上のほうは、たいてい同じだ。動くのは真ん中から下だ。動いたところだけ覚え直せばいい」
「上のほうが動かないのは、なんでですか」
「票の多い盟は、次の年も多い」と彼は言った。「票が多ければ、いい船を出せる。いい船が出れば、取れる。取れれば票が増える」
「じゃあ、下は」
「下は上がらん」
彼は、下のほうの石を指で押した。押された石は、列から少しずれた。
「ずれるだけだ」
わたしは、その石の並びを見ていた。
「北の谷でも、似たことをしてました」
「どんなだ」
「柱に刻むんです。取った量を、列にして。列の頭に、誰の持ち分かの印を入れます。名前じゃなくて、印です」
「なぜ名前を書かん」
「みんなが知ってるからです」
老人は、そこで少し笑った。
「同じだな」
「同じですか」
「知っておることは、書かんでいい」と彼は言った。「書かねばならんのは、忘れるものだけだ」
わたしは、南の名簿を思い出していた。
あれには、全部書いてあった。名前も、父の名も。知っていることまで書いてあった。
知っていることを書くのは、知らない者に渡すためだった。誰に渡すのかといえば、その土地を知らない誰かにだった。
書いてあるものは、その土地を知らない者にも使える。それが、書くことの意味だった。
彼は石を組み替えた。
「量は、そのまま覚えるな。前の年との差だけ覚えろ」
「差だけですか」
「四十年ぶんの量を全部覚えるのは、無理だ」と老人は言った。「だが、去年より多いか少ないか、どのくらい違うかなら、覚えられる。あとは、いちばん古い年の量を一つだけ覚えておいて、差を足していく」
わたしは、その方法を頭の中でやってみた。
やってみて、すぐに分かった。差だけを覚えるやり方では、途中で一つ落とすと、そこから先が全部ずれる。
「途中で落としたら、どうなるんですか」
老人は、しばらく答えなかった。
「ずれる」
「戻せますか」
「戻せん」
彼は石を一つ、列から抜いた。抜いた場所が空いた。
「だから、落とすな」
わたしは、その空いたところを見ていた。
空いたところは、ほかのところと同じに見えた。石が一つないだけで、列そのものは列のままだった。
見ただけでは、そこに何かがあったのかどうかが分からない。
分かるのは、抜いた本人だけだった。
「落としたことは、あるんですか」
老人は、抜いた石を手の中で転がしていた。
「その話は、あとでする」
その日から、わたしは毎日そこへ通った。
朝は船の修繕をして、昼を過ぎてから裏へ回る。老人はいつも先に来ていた。来るのに時間がかかるので、早く出るのだった。
覚えたものは、寝る前に一度、頭の中で通した。
北の谷の柱を、十九本。それが済んでから、島の四十年を、覚えたところまで。二つを続けて通すのに、はじめは一刻近くかかった。そのうち、短くなった。
短くなったのは、慣れたからではなかった。
並べ方を、自分で作り直しはじめたからだった。
老人のやり方は、票の多い順に並べるものだった。あの人は盟約会でそれを読み上げるので、座る順と同じにしておくのが早い。
わたしは、それを取った量の順に並べ直した。
読み上げるときには、票の順に戻さなければならない。戻す手間が増える。それでも、量の順に並べておくほうが、わたしには入りやすかった。
なぜ入りやすいのかは、そのときは考えなかった。
考えていれば、もっと早く気づいていた。




