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『百二十一人目』 ~魔力を持って生まれた子〜  作者: 音


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46/96

紙

天幕の跡が、木の下に残っていた。

杭の穴が四つ、四角に並んでいる。そこだけ土が踏み固められていた。

一年経っても、そこだけ草が生えていなかった。

天幕を立てた場所は、しばらく草が戻らない。踏み固められた土は水を通さないので、根が入らない。建物を建てない土地に、建物の跡だけが残っていた。

去年、わたしはそれを見て、最初の一手だと思った。いま見ると、跡というより印に見えた。ここへ来たという印だった。去年、南の司祭がそこに天幕を立てた。建物を建てない土地で、真っ先に建てた。

袋を運ぶ者たちが下りていったあと、わたしはそこへ行った。

穴のそばに、木の箱が置いてあった。

蓋が開いていて、雨が入っていた。中身は膨れて、貼りついて、束になっていた。

紙だった。

南の紙だった。北の峡でも、この島でも、紙は見なかった。紙は南から来る。運んでくるのは教会か、商人だった。

箱は、書記が両手で運んでいたものだった。重かったのは紙が重いからではなく、箱が厚かったからだと分かった。厚い箱に入れて運んでくる。運んできて、置いていく。

置いていったのは、使い終わったからだった。

わたしは、いちばん上の一枚を、破らないように剥がした。

籍だった。

名前が並んでいた。上に本人の名、その下に父の名。書記が並んだ若い者に訊いて、書いたものだった。書いたそばから枝が伸びる。一人書けば、その者の父が書ける。父が書ければ、父の兄弟が書ける。

わたしは、その伸び方を目で追った。

若い者が並んで名を言い、父の名を言った。父の名を言えば、その父の子は全員がそこに繋がる。並ばなかった兄弟も、並ばなかった母も、名前だけは書ける。

籍を作るのに、全員を並ばせる必要はなかった。一人並べば、家が一つ書けた。

だから、若い者から順に並んだ。並ばせたのではない。南へ出るには籍が要ると言っただけだった。

わたしは、それを読んだ。

読める字だった。南の文字で、南の書き方で書いてある。この谷で、これを読める者は一人もいない。読める者がいないので、置いていかれたのだった。

半分ほど剥がしたところで、手が止まった。

父の名の欄に、この土地の名ではないものが混じっていた。

一つではなかった。

アスクスン。ヴィグドッタ。ヴァルグホルムの名を持つ者が、二人。

わたしは、それを何度も読み直した。

書記は、聞いたとおりに書いたのだと思う。この土地の名も、島の名も、書記にとっては同じくらい知らない音だった。知らない音を、聞いたとおりに文字にした。

だから残った。

意味を分かっている者が書いたら、たぶん書かなかった。あるいは、書いてから別のところへ報せた。分からないまま書いた者だけが、そのまま残した。

わたしは、その名の並びをもう一度見た。

灰狼盟。ヴァルグホルム生まれ。シグリ・アスクドッタ。

同じ名の付け方をしていた。

わたしは箱の中の紙を、片端から見ていった。膨れて読めなくなっているところが多かったが、読めるところだけを拾った。

拾い集めた結果は、はっきりしていた。

この谷の家のうち、いくつかは、島の側から人が入っていた。何代か前に、女が来たか、男が来たか、どちらかだった。来た者の名が父の名の欄に残っていて、その子と孫がこの谷にいる。

いた、と言うべきだった。若い者はもう南へ出ていた。

わたしは、その紙を折って懐へ入れた。

入れてから、なぜそうしたのかを考えた。

読める者は、この谷にいない。この島にもいない。読めるのは、南から来た者と、わたしだけだった。

司祭は、これを読んで書いた。書いて、置いていった。置いていったのは、要らないからだった。籍を作るのが目的で、作った証しは聖都へ持ち帰る写しのほうにある。ここに残った下書きには、値打ちがない。

値打ちがないものの中に、それは書いてあった。

斜面を下りるあいだ、わたしはずっとそれを考えていた。

血が繋がっているから襲うな、というのが正しいのかどうかは、分からなかった。繋がっていなければ襲っていいのかという話になる。

けれど、知らないままやっているのと、知ってやっているのは、違うはずだった。

違うはずだと思ったこと自体が、南のやり方かもしれなかった。名前を書いて、書いたものを見せて、それで何かが変わると思うのは、書ける者の考え方だった。

北五峡には、人の名簿がなかった。毎年、割るときに数えて、割って、忘れる。誰が誰の子かは、みんなが知っていた。知っているから書かない。

書かない土地では、島から人が入ったことも、みんなが覚えていた。覚えていて、それでも毎年襲われた。

覚えていることは、何の役にも立たなかった。

書いたものが役に立つかどうかを、わたしはまだ知らなかった。ただ、書いたもののほうは、持ち歩けた。

船へ戻ったのは、日が落ちきってからだった。

袋は積み終わっていた。思っていたより少なかった。谷から見たときには山のように見えたのに、船に積むと、麦の遠征のときの三分の一もなかった。

三分の一もない量が、あの谷の冬の全部だった。

積んでいる者たちは、少ないと言っていた。少ないというのが、この島では悪い年を意味する。

同じ量が、谷では一冬ぶんだった。

シグリが船尾にいた。

わたしは、老人のところへ行った。

「訳してもらいたいことがあります」

老人は、わたしの顔を見た。

「谷で何かあったな」

「ありました」

彼は杖をついて立ち上がり、シグリのほうへ顎をしゃくった。

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