谷の上
海から入って、峡を三つ通り過ぎた。
通り過ぎるとき、船は沖を走った。南三峡には守りがいる。守りがいるところは通るだけで、寄せない。
守りがいるというより、買ってくれる相手がいるということだった。船の材木を売る峡を襲えば、次の年に木が買えない。だから沖を走る。
沖を走っているあいだ、岸から見えていたはずだった。見えていて、何も起きなかった。四隻の長船が沖を通っていくのを、南三峡の者は毎年見ている。見て、何もしない。
自分のところへ来ないと知っているからだった。
四つ目の峡から先が、北五峡だった。
わたしには、それが分からなかった。海から見れば、どの峡も同じに見えた。切れ込みがあって、両側が高くて、奥に水が入っている。ただ、船が近づくにつれて、違いが見えるようになった。
家が少なかった。
家というより、水際に舟を上げる場所があるだけだった。舟は小さかった。峡湾船でも、長船でもない。二人か三人で漕ぐ、魚を獲るためのものだった。
その舟が、上げたまま朽ちているものが何艘かあった。
使う者がいなくなった舟は、そのまま置かれる。片づける者もいないということだった。
南三峡では、斜面に家が並んでいた。ここには、まばらにしかない。それも、屋根が低くて、地面に埋まっているように見えた。
「上へは行かないんですか」
「行く」と老人が言った。「あそこの者は、水際に住んでおらん。奥の谷におる」
船は峡の奥へ入り、そこから川を上がった。上がりきったところで、竿でも進めなくなった。
そこから先は、歩きだった。
わたしは、その谷の上がり口を知っていた。
グリムが立っていた場所だった。荷を一つ持って、下り口の斜面を指して、行けと言った場所だった。
わたしは、そこを、今度は上がっていた。
四人ではなかった。二度目の遠征に、捕虜は三人しかいなかった。背の高い女と、小さい男の子と、わたし。ランはいない。
先に下りる仕事は、この谷ではなかった。船を着ける岸がないからだった。歩いて上がるあいだ、盟の者は散らばらなかった。斜面は狭く、道は一本しかない。
一本しかない道を、二十人ほどが列になって上がった。
その列の中で、わたしは道を知っている唯一の者だった。知っていることを、誰にも言わなかった。訊かれなかったからでもあるし、言えば道を訊かれるからでもあった。
道を知っている者は、道を訊かれる。老人がそう言っていた。
上がるあいだ、何度か曲がりがあった。曲がるたびに、次に何が見えるかをわたしは知っていた。知っているとおりのものが見えた。それが、いちばんこたえた。
登りきったところで、谷が見えた。
太い木が、間隔を空けて立っていた。
伐ったぶんだけ植えるので、林は同じ形のまま残る。ヨルグがそう言っていた。増えないが、減らない。
木は、あった。
木の下に、人がいなかった。
風よけの壁だけの住処が、まだそこにあった。皮が張ってあったところは破れて、枠だけが残っている。掘ってあるところの入り口には、板が渡してあった。渡してある板の上に、去年の落ち葉が積もっていた。
積もっているというのは、去年の秋から誰も上げ下ろししていないということだった。
掘ってあるところは、冬に人が入る場所だった。入れば板を外す。出れば戻す。毎日それをやる。落ち葉が積もる暇がない。
去年の冬、ここに人が入らなかった。
わたしがいた冬には、入っていた。梯子で下りると土の壁に囲まれた低い部屋があって、真ん中に炉があった。順番で誰かが起きて、火を守っていた。
一年で、そうでなくなっていた。
盟の者が散らばって、住処を見て回った。
わたしは動かなかった。
老人は登ってこられなかったので、船に残っていた。だから訳す者がいなかった。盟の者が何か言い合っているのが聞こえたが、意味は分からなかった。
分からなくても、言っていることは分かった。
誰もいない。
誰もいないというのは、この島の者にとっては悪い報せだった。
人がいなければ、蓄えの場所を訊けない。訊けなければ、探すしかない。探すのは時間がかかる。時間がかかるほど、帰りが遅くなる。
彼らは、人を取りに来たのではなかった。それでも、人がいたほうが早く済むのだった。
わたしは、木のあいだを歩いた。
自分が寝ていた木を探した。根元に毛皮を置いていってくれた、あの木だった。すぐに見つかった。木は覚えている。人が減っても、木の間隔は変わらない。
その先に、記録小屋があった。
建っていた。
屋根が落ちていなかった。壁も残っていた。厚い戸は閉まっていて、外から見るかぎり、去年と何も変わっていなかった。
わたしは、そこへ走った。
戸に手をかける前に、それが見えた。
戸の板に、紙が貼ってあった。
雨に打たれて端が反っていたが、字は読めた。南の文字だった。
わたしは読んだ。
目録番号と、区分と、それから、その建物が何であるかが書いてあった。
祭具、と書いてあった。
わたしは、その二文字をしばらく見ていた。
去年、あの司祭は木の下でこう言った。目録がそうなっている、柱に刻まれた記号を恒久の建物に納めて祀るものは祭具として扱う、書いてある以上そう扱うほかない、と。
わたしは、祀っているのではないと言った。雪が乗ると潰れるから建物を建てないこの土地で、記録だけは濡れると読めなくなるから屋根を作った。それだけだと言った。
司祭は、筋が通っていると言った。筋が通っているかどうかで決まるものではない、とも言った。
紙は、そのとおりのことを言っていた。
その下に、もう一行あった。
内部什器のうち、古年次のものは聖都へ移送済み。




