一度
島へ戻るまでに、また五日かかった。
行きより長かった。荷が重いからだった。麦の袋を積んだ船は沈み、沈んだぶん遅い。掻き出す水の量も増えた。
戻った港は、出たときの岸とは違った。もっと奥まったところで、両側が岩だった。船を並べて繋ぐ場所が決まっていて、その順番も決まっていた。
順番は、前の年の戦功で決まると老人が言った。票の多い盟の船が、いちばん出やすい場所に繋ぐ。出やすい場所というのは、次に出るときに先へ行けるということで、先へ行けばまた取れる。
取った者が、次も取りやすいようにできていた。
北の谷では、割り方を間違えた年はみんなで飢えた。ここでは、間違えた者だけが沈んでいく。
麦は、その場で降ろされなかった。
降ろす前に、数えられた。
わたしは、それを見ていた。動けるようになったばかりで、まだ立っているのがやっとだった。荷の上に座って、下で行われていることを見ていた。
袋を運ぶ者がいて、数える者がいて、数えた数を言う者がいた。言う者は、老人だった。
彼は、数えた数を口に出して繰り返していた。繰り返しながら、指を折らなかった。折らないで覚えていた。
口の動きを見ていて、やり方が分かった。
数をそのまま覚えるのではなかった。袋を運ぶ者の順番と、その者が何度往復したかを覚えていた。人と回数なら、数より少ない。少ないものを覚えて、あとから掛ける。
わたしが柱の列を歩数に合わせて送っていくのと、似ていた。
覚える者は、覚えやすい形に直してから覚える。誰にも教わらないで、同じところへ行き着いていた。
数え終わると、彼は岩の上に立って、それを言った。
長く言った。数だけではなかった。誰が何をしたかも言っていた。言葉は分からなかったが、名前だけは聞き取れた。シグリの名が何度か出た。ほかの名も出た。
そのあいだ、盟の者は黙って聞いていた。
聞いている顔を、わたしは見ていた。
聞いているのに、確かめている顔ではなかった。自分の名が出るのを待っている顔だった。出れば、それが今年の自分になる。出なければ、今年は出なかったことになる。
一人だけ、途中で顔を上げた者がいた。上げて、また下げた。何かが違っていたのだと思う。違っていても、何も言わなかった。
言えば、老人の言ったことが間違いになる。間違いになれば、記録者が要らなくなる。要らなくなったあと、誰が覚えるのかという話になる。
誰も、書いていなかった。
紙もなかった。板もなかった。柱に刻む者もいなかった。この島には、記録小屋がなかった。あるのは、この老人一人だった。
言い終わると、老人は岩から下りた。
わたしのところへ来て、腰を下ろした。
「一度だ」と彼は言った。
「はい」
「あと二度」
「はい」
彼は港のほうを見ていた。荷が降ろされていた。
「訊いてもいいですか」
「訊け」
「さっき言ったことは、全部、覚えてるんですか」
「覚えとる」
「去年のも」
「覚えとる」
「その前も」
「覚えとる」
わたしは、彼の横顔を見た。
「全部でどのくらいですか」
老人は、初めて答えるのに間を置いた。
「四十年ぶんだ」
「四十年」
「わしが記録者になってからだ。その前のは、前の記録者が覚えておった。あれが死ぬときに、わしに全部言った。三日かかった」
「三日、喋りっぱなしで」
「そうだ」
「途中で寝ないんですか」
「寝る」と老人は言った。「寝て、起きて、続きを言う。続きから言えるように、順番を決めてある」
「どんな順番ですか」
「古いほうからだ」
わたしは、記録小屋の柱のことを考えていた。あれも、奥が古くて手前が新しかった。
古いほうから並べるというのは、どこでも同じらしかった。新しいほうから並べると、途中で足すたびに全部ずれる。
わたしは、その三日のことを考えた。
死にかけている人間が、四十年ぶんの数を喋る。聞いている人間が、それを覚える。書いたものは残さない。書けないからだ。
「それ、減りませんか」
「減る」と老人はあっさり言った。「わしが受けたときも、いくらか落ちておった。落ちたところは、わしのほうで埋めた」
「埋めたって」
「それらしい数を入れた」
わたしは、彼のほうを向いた。
「それでいいんですか」
「よくない」と彼は言った。「よくないが、空けておくよりましだ。空いておると、そこに好きな数を入れる者が出る」
彼は杖で地面を叩いた。
「わしが入れた数は、わしが入れたと分かっておる。わしが死ねば、それも分からんようになる」
港では、麦の袋が並べられていた。運ぶ者が、順に肩へ載せていく。
「あんたは、読めるんだったな」
「読めます」
「書けるか」
わたしは、少し考えた。
「少しなら」
「書いたら、どうなるんですか」
「知らん」
「知らないって」
「この島で書いたものを見た者がおらん」と老人は言った。「見たことのないものが持ち込まれると、どうなるかは分からん。良くなるかもしれんし、そこから先は書いた者が全部を決めることになるかもしれん」
彼は杖を持ち直した。
「南では、書いておるんだろう」
「書いてます」
「うまくいっとるか」
わたしは、答えなかった。
「わしもそう思う」と老人は言った。
そのあと彼は何も言わないまま、ずいぶん長いこと、港のほうを見ていた。
わたしは、自分の頭の中の柱を数え直していた。奥から手前へ、十九本。落ちているところは、まだ一つもなかった。




