二つ目
彼女は包みを床へ下ろし、戸を閉めた。閂を落とした。
厚い戸に閂があるのを、わたしはそのとき初めて知った。記録を置く小屋に閂をかける理由は、盗まれないためではなかった。壊されないためだった。
壊しに来る者がいると想定して建ててある。いつからそうなのかを、わたしは訊かなかった。訊いている場合ではなかったし、答えは分かる気がした。
この峡は、初めて焼かれるのではない。
「座れ」
台はもうなかった。板を外すのに邪魔だったのか、脇へ寄せて倒してあった。わたしは床に座った。
ヘルヴィは布を広げて、鉄を並べた。前に見たときより少なかった。持ち出す用意をしていたときに、いくらか包みへ入れてしまったらしかった。
「腕を出せ」
「同じところですか」
「反対だ」
わたしは右の袖をまくった。
彼女はわたしの腕を取って、内側を親指で押した。前と同じところを探していた。探し当てて、そこへ印をつけた。
「湯はない」
「いいです」
「よくはない。皮が硬いまま彫ると、あとで盛る」
彼女は自分の水袋の水を手のひらへ出して、わたしの腕を濡らした。それだけだった。
外で音がした。
近かった。峡の底ではなかった。斜面の、この建物より少し下のあたりだった。
ヘルヴィは手を止めなかった。
「何を刻むんですか」
「決めた」
「教えてください」
彼女は鉄を持ち上げて、火にかざそうとして、火がないことに気づいた。炉に火が入っていなかった。板を外すのに手を取られて、焚いていなかった。
彼女は鉄を口の中へ入れた。しばらくそのままでいて、それから出した。
「それで大丈夫なんですか」
「よくない」と彼女は言った。「火で焼くのは、鉄を清めるためじゃない。熱いほうが早く入るからだ。冷たいのを入れると、時間がかかる」
「じゃあ」
「痛い時間が長くなるというだけだ」
「教える」と彼女は言った。「今度のは、隠すやつじゃない」
「じゃあ」
「上げるやつだ」
わたしは彼女を見た。
「腕が上がって、脚が速くなって、鉄をまともに受けても折れなくなる」と彼女は言った。「彫らんと言ったやつだ」
「二日、動けなくなるんですよね」
「なる」
彼女は鉄の先をわたしの腕へ当てた。
「だから覚えとけ。これは逃げるためのものじゃない。逃げるだけなら、走ればいい。子供の脚でも、雪の斜面ならたいてい逃げられる」
「じゃあ、何のためですか」
「一度だけ、勝つためだ」
鉄が入った。
前より痛かった。皮が硬いまま彫ると盛る、と彼女が言ったのは本当だった。線が引かれる先から、その両側が持ち上がってくるのが分かった。
「一つ目は使ったか」
「使いました」
「どこで」
「街道です。盆がありました」
「そうか」
彼女は線を継いだ。
「よく使った」
外の音が、また近くなった。今度は、何かを叩く音が混じっていた。木を叩く音だった。
ヘルヴィは顔を上げなかった。
「使うときのことを言う。一度しか言わん」
「はい」
「上げるやつは、上がる前に落ちる」
「落ちる」
「開けてから、上がるまでに、ほんのわずか間がある」と彼女は言った。「その間、体は逆に鈍い。開けた瞬間に飛びかかろうとして、そこを打たれて死んだ者を、わたしは見てる」
「じゃあ、どうすれば」
「開けて、数えろ」
「いくつ」
「三つだ」と彼女は言った。「三つ数えるあいだ、動くな。動かないで待って、それから使え」
「三つのあいだに打たれたら」
「打たれる」とヘルヴィは言った。「だから、打たれない場所で開けろ」
「打たれない場所って、どこですか」
「そんな場所はない」と彼女は言った。「ないから、作れ。物陰でも、相手が背を向けたときでもいい。三つ数えるあいだだけ、自分が誰にも触られない場所を作る。それができんなら、使うな」
「使わなかったら」
「使わないで済むなら、それが一番だ」
彼女は線を継いだ。
「わたしが彫った者で、いちばん長く生きたのは、四つ刻んで一度も使わなかった男だ」
線が組み上がった。
彼女は鉄を布へ置いて、わたしの腕を持ち上げ、明かりのないところで目を近づけた。指で撫でて、確かめた。
「終わりだ」
わたしは腕を下ろした。
「二つ使った。あと二つだ」
「はい」
「二つのうち、一つは残せ」と彼女は言った。「三つ目まで刻んだ者は、たいてい四つ目も刻む。刻めるものがあると、使う理由のほうが後から出てくる」
「残したまま死んだら、無駄になりませんか」
「無駄になる」
「それでも残すんですか」
「残せと言ってる」とヘルヴィは言った。「無駄にして死ぬ者と、使い切って死ぬ者がいて、後のほうが早い」
外で、戸が叩かれた。
厚い戸だった。叩かれてもすぐには壊れなかった。
ヘルヴィは立ち上がり、床の包みを背負った。それから、外して床へ置いたままの三枚を拾って、わたしのほうへ押しつけた。
「持て」
「これは」
「生きてる者の板だ」
「持って行って、どうするんですか」
「持ってろ」
「返しに来ればいいんですか」
「来なくていい」とヘルヴィは言った。「その三人が死んだら、あんたが焼け」
「どうやって、死んだと分かるんですか」
「分からんだろうな」
彼女は壁のほうへ行って、いちばん奥の柱に手をかけた。板ではなく、柱だった。
「あんたの板は、そこの列にある」と彼女は言った。「取っていくか」
わたしは自分の板を見た。
線が二組、彫ってあった。
「置いていきます」
ヘルヴィは、そのとき初めてこちらを見た。
「なぜだ」
「持って出たら、わたしが死んだときに誰も知りません」
彼女は何も言わなかった。
それから、壁に手をついたまま、こちらを見ないで言った。
「知ったところで、どうということもないと言ったろう」
「言いました」
「あれは嘘だ」
戸が、また叩かれた。




