下る道
谷を出てから、わたしは数を数えながら歩いた。
覚えたものを落とさないためだった。柱の順に、列の長さを、頭の中で並べ直す。歩数に合わせて一つずつ送っていくと、忘れにくかった。忘れたところがあると、そこで数が詰まる。詰まったら止まって、詰まったところをもう一度たどる。
柱は十九本あった。一本が一年で、いちばん奥が古い。古いほうから数えて七本目までは、列の長さがほとんど同じだった。八本目で少し落ちて、九本目で戻った。十本目からあとは、戻り方が毎回足りなくなっていった。
その並びを、わたしは歩きながら口の中で唱えた。声に出すと忘れにくかった。誰もいない道だったので、声に出した。
道の途中で、何度も止まった。
ヨルグの通った道を、逆に辿っていた。彼が指した水の場所と、休む場所と、通ってはいけない斜面を、順に思い出しながら下りた。一つだけ、どちらの斜面だったか分からなくなった場所があって、そこでは低いほうを選んだ。低いほうは遠回りだった。
三日目に、雪が降りはじめた。
その日から、夜に寝る場所を探すのが仕事になった。木の下は駄目だった。枝から落ちてくる雪がいちばん冷たい。岩の風下側で、地面が乾いているところを探す。乾いた地面は、雪の下でも手を入れれば分かる。
北五峡で覚えたことが、道の上で役に立っていた。あそこでは誰も、これを教えてくれたわけではなかった。ついていって、見ていただけだった。
北五峡の冬より早い雪だった。標高が違うのだから当たり前なのに、そのときはそれが分からなくて、季節を間違えたのかと思った。
雪の中で、わたしは腕の内側に手を当てた。
刻んだところは、あの日から一度も痛まなかった。ただ、そこの皮膚だけが硬い。押すと、押した形が残らないで戻る。ほかの場所より弾かない。指の先の白いところと同じもので、それが腕にも出はじめていた。
一つ使った。あと三つ。
その数を、わたしは柱の列と一緒に数えていた。柱の数は増えないし、減りもしない。腕のほうは減る。減るものと減らないものを、同じ頭の中に並べておくのは、思っていたより落ち着かなかった。
ヘルヴィは、二つのうち一つは残せと言うだろうと思った。まだ二つ目も刻んでいないのに、三つ目のことを考えていた。
グリムなら、刻むなと言う。あの人は、持ち出すのは頭だと言った。頭で足りるなら、そのとおりだった。
けれど、頭は走らない。
隘路を抜けたところに、荷を運ぶ道が通っていた。
そこまで来ると、人に会うようになった。会うのは、たいてい荷と一緒だった。塩と、鉄と、干した魚。北へ上がる荷と、南へ下りる荷が、同じ道ですれ違う。
誰もわたしを止めなかった。子供が一人で歩いていても、この道では珍しくないらしかった。
一度だけ、南へ下りる荷の男が、干した木の実をくれた。礼を言うと、何か短く返された。分からなかったので、頭を下げた。
その男は、こちらがどこの子かを訊かなかった。この国では、訊く者と訊かない者がはっきり分かれていた。訊くのは籍を持っている側で、訊かないのは持っていない側だった。
峡の入り口が見えたのは、雪が本降りになった日の午後だった。
ヘルヴィの峡は、海のほうへ長く切れ込んでいる。上から見ると、水が細く奥まで入り込んでいて、その両側の斜面に家が並んでいた。家は屋根が低く、地面近くまで下りている。伏せた舟が並んでいるように見えた。
その形を、わたしは覚えていた。
覚えていたのに、上から見下ろしたとき、何かが違っていた。
しばらく分からなかった。
煙だった。
冬の峡で煙が上がっているのは、当たり前だった。炉を焚いているのだから、どの家からも上がっている。上がっているのに、いつもと違っていた。
家から出ていなかった。
家と家のあいだから出ていた。
屋根の穴から出る煙は、細くてまっすぐ上がる。家と家のあいだから出る煙は、太くて、横へ広がる。灰海で焚火の煙を見ていたころに、それを覚えた。まっすぐ上がるのは、抜けるところが決まっているからだった。
決まっていない煙は、太い。
わたしは斜面を駆け下りた。途中で足を取られて転んで、雪の中を滑って、木の根で止まった。止まったところで顔を上げた。
峡の奥に、船が入っていた。
船は細長かった。この土地の峡湾船よりも細くて、低かった。低いというのは、水に沈んでいる部分が浅いということだった。あんな浅い船で海を渡れるものかと思ったが、それは現に、峡のいちばん奥まで入り込んでいた。
一隻ではなかった。
四隻あった。二隻が奥まで入り、二隻が入り口の側で止まっている。止まっているほうは、水の上で少しずつ位置を変えていた。出るときのために向きを保っているのだと、あとで知った。
峡の入り口は狭い。狭いところを塞げば、中の者は水からは出られない。塞いでいた。
わたしは木の根に掴まったまま、そこを見ていた。
斜面の下のほうで、人が走っていた。走っている者と、走っていない者がいた。走っていない者は、地面に伏せているか、動かないでいるかのどちらかだった。
音が遅れて届いた。
雪の日の音は、届くまでに時間がかかる。峡の壁に当たって、返って、重なって、それから上へ来る。何を言っているのかは分からなかった。言葉ではないものも混じっていた。
わたしは、刻む家のほうを探した。
斜面の少し上、屋根の低い、窓のない建物。あの厚い戸。
そこから、まだ煙は上がっていなかった。
わたしは、しばらくそこを見ていた。
見ているあいだに、峡の底の煙が一つ増えた。増えた場所は、ヘルヴィの家のあたりだった。
わたしは木の根から手を離した。




