粉
雪が消えたあと、南から人が上がってきた。
塩でも鉄でもなかった。
先に来たのは知らせだった。谷を上がってきた男が、木の下で息を切らしながら何か言い、それを聞いた者たちが順に立ち上がって、掘ってあるところへ入っていった者を起こしに行った。
グリムは動かなかった。皮を扱う手を止めて、しばらく谷の下を見ていた。
「来た」
「なにがですか」
「南三峡でやっていたことを、こっちでもやるそうだ」
「なにをやってたんですか」
「籍を作る」
「せき」
「名簿だ」とグリムは言った。「南では、人はみんな名簿に載ってるんだろう」
「載ってます」
「ここには、ない」
彼は皮を畳んだ。
「柱には刻んでる。だが、あれは人の名簿じゃない。取った量の記録だ。人が何人いるかは、割るときに数えるだけで、書き残しはせん」
「じゃあ、この土地に何人いるか、どこにも書いてないんですか」
「書いてない」
「誰も知らないんですか」
「毎年、割るときに数える」と彼は言った。「数えて、割って、忘れる」
その日のうちに、彼らは着いた。
司祭が一人と、書記が二人と、槍を持った男が十人ほど。それから、荷車が一台。荷車には、天幕を張るための棒と、布と、木の箱が積んであった。
木の下に、彼らは天幕を立てた。
建物を建てない土地で、彼らは真っ先に建てた。それが最初の一手だということが、見ていて分かった。
天幕の中には卓が入り、卓の上に箱が置かれた。箱の中身は見えなかったが、書記が両手で運んでいた。重いものだった。
わたしはそれを見て、灰縁の村へ来ていた買い付けを思い出していた。あのときも、灰を買いに来るのに司祭が来て、護衛が人を数えていた。数える者は、いつも先に足場を作る。
司祭は若くなかった。灰縁の村へ来ていたあの司祭より、いくらか若い程度だった。彼はこちらの言葉を話し、話し方は丁寧だった。
「この土地の者は、輪環教の籍を持たない」と彼は言った。「持たないので、什一税も納めない。そのこと自体を、わたしは咎めに来たのではない」
木の下に、人が集まっていた。誰も座らなかった。
「王が改宗を望んでおられる」と司祭は続けた。「北の峡が籍を持たないままでは、国が二つあるのと同じだからだ。それだけの話だ」
グリムが前へ出た。
「籍とは、なんだ」
「名簿に載ることです」
「載ると、どうなる」
「祝福を受けられます」と司祭は言った。「そして、税を納めていただく」
「納めなければ」
「納めない者の名は、名簿から外れます」
「外れると」
司祭は少し黙った。
「外れた者は、この国の者ではないことになります」
「この国の者だったことがない」とグリムは言った。
「それは違います」と司祭は言った。怒ってはいなかった。「王の土地にお住まいです。ずっと前からそうです。ただ、書かれていなかっただけで」
「書かれていなければ、そうではない」
「いいえ」と司祭は言った。「書かれていなくても、そうなのです。書くのは、そのことを確かめる作業にすぎません」
グリムは黙った。
わたしには、そのやりとりの意味が分かった。この人たちは、書くことで作っているのではないと言っている。もともとあったものを、書き写しているだけだと言っている。
そう言われると、断る言葉がなくなる。
グリムは杖をついたまま、動かなかった。
その日、天幕の前に卓が出された。
書記が名簿を広げ、名を訊いて書きつけていく。並ぶ者はいなかった。しばらく誰も動かなかったが、日が傾くころに、一人が並んだ。それから、また一人。
わたしは太い木の陰から見ていた。
並んだのは、若い者だった。若い者は、南三峡へ働きに出る。出るには籍が要る。要るというのは、そういうふうに作られたということだった。
並んだ若い者が名を訊かれて、答えて、書記がそれを書いた。書いたあとで、書記は顔を上げてもう一つ訊いた。
父の名だった。
若い者は答えた。答えると、書記はそれも書いた。
これで、その者は誰かの子になった。誰かの子になれば、その誰かも書ける。一人書けば、そこから枝が伸びる。
木の下で見ていた年寄りの何人かが、そこで立ち去った。
その晩、グリムは炉の前で何も言わなかった。
わたしが黙っていられなくなって訊いたのは、夜が更けてからだった。
「南三峡では、どうなったんですか」
彼はしばらく答えなかった。
「みんな載った」
「それだけですか」
「載っただけなら、それだけだ」と彼は言った。「載らなかった者が、いくらかいた」
「どうなったんですか」
グリムは炉の火を見ていた。
「死んだ者は、埋めるものだと思うか」
「え」
「南三峡では、埋めなかった」
わたしは何も言えなかった。
「載らないまま死んだ者は、名簿にない。名簿にない者の骨を土に入れると、その土地が汚れると、あちらの坊主は言うそうだ」
彼は木を足した。足しすぎだった。
「焼いて、粉にして、撒いた」
わたしは、灰海のことを考えていた。
灰縁の村では、掘った灰を袋に詰めて東へ売った。売った先で、それは石と石をつなぐ糊になった。聖都の穹堂の壁にも入っているという話だった。
粉にされたものが、どこかへ運ばれて、何かの一部になる。同じ形をしていた。
火が鳴った。
「どこに」
「畑にだ」
その言葉のあとで、彼は初めてこちらを見た。
「うちの土地には、畑がない」と彼は言った。「だから、どこに撒くつもりなのかは分からん」
わたしは、記録小屋の柱のことを考えていた。
板ではなく、柱に彫ってある。柱は建物の一部だから、外して焼くことができない。焼くとすれば、小屋ごと焼くことになる。
「グリムさん」
「なんだ」
「あの小屋は、どうなりますか」
彼は答えなかった。
答えないということが、この人の答え方だった。灰縁の村で、それをわたしは覚えていた。




