霜の作法
太い木のあいだに、一つだけ、ちゃんとした建物があった。
木で組んで、屋根を葺いて、床を上げてある。壁は板で、隙間がなかった。この土地で見たもののなかで、それだけが冬に潰れないようにできていた。
中には何もなかった。
床にも何も置いていない。祭壇のようなものも、火を焚く場所も、座るところもなかった。人が長くいる作りではなかった。
正確には、壁があった。壁いっぱいに、細い線が彫ってあった。
「これは」
「記録だ」とグリムは言った。
わたしは近づいて、線を見た。板に彫るのとは違っていた。柱と壁板に、直接、短い刻みが入っている。刻みは列になっていて、列は上から下へ伸び、下まで行くと隣の柱へ移っていた。
「なにを書いてるんですか」
「取った量だ」
彼は一番手前の柱を指した。
「この列は、この冬に肉をどれだけ取ったかだ。誰が取ったかも入ってる。こっちが木、こっちが魚。魚は多い年と少ない年の差が大きいから、列が長い」
「誰が取ったかは、どこに書いてあるんですか」
グリムは刻みの頭のところを指した。列の一番上に、短い印が入っていた。
「これだ」
「名前ですか」
「名前じゃない。持ち分の印だ。誰の持ち分かは、みんな知ってる」
「知らない人が来たら」
「知らない人は、持ち分を持ってない」
彼はそれを、当たり前のことのように言った。
「全部の人の」
「全部だ」
わたしは壁を見回した。柱は何本もあった。柱の一本ずつが、たぶん一つの年だった。
一番奥の柱は、木の色が黒くなっていた。触ると、刻みの底がなめらかだった。何度も指でなぞられた跡だった。
「なんのために」
「取りすぎないためだ」
グリムは戸のところに立ったまま、中へは入らなかった。
「冬に入る前に、この小屋で決める」と彼は言った。「今年は何がどれだけあって、何人いて、だから一人がどれだけ取れるか。決めたら刻む。冬のあいだ、取るたびに刻む。刻みが決めた数を超えたら、その者はもう取れない」
「途中で足りなくなったら」
「足りなくなるように決めない」
「でも、去年より魚が少ない年は」
「少ないぶんを先に引いてから割る」とグリムは言った。「割ったあとで足りなくなるのは、割り方を間違えたということだ。割り方を間違えた年は、みんなで飢える」
「みんなで」
「そうだ。一人だけ飢えるということが起きないように割る。起きたら、割り方が悪い」
「超えたら、どうなるんですか」
「取れない」
「でも、取らないと」
「取れないと言ってるんだ」とグリムは言った。
彼は初めて中へ一歩入った。手を伸ばして、柱の一つの、途中で切れている列を指した。刻みが途中で止まって、そこから下が空いていた。
「これは、超えた者だ」
「じゃあ、この人は」
「死んだ」
彼は指を離した。
「取りすぎた者を追い出すわけじゃない。殺すわけでもない。ただ、決めた数を超えたら、次からは配られない。配られなければ、冬は越せん」
わたしは、その空白の列を見ていた。
「決めたのは誰ですか」
「みんなだ」
「でも、その人も決めた側でしょう」
「そうだ」とグリムは言った。「自分で決めた数を、自分で超えた。だから誰も文句を言わなかった」
「その人は、何て言ったんですか」
「言ってない」とグリムは言った。「言うことがないからな。ここで決めるときは、全員が自分の口で数を言う。言った数が柱に刻まれる。刻まれた数を超えたら、自分の声を裏切ったことになる」
「裏切ったら、許されないんですか」
「許すも許さんもない」と彼は言った。「配る側が別にいるなら、その者に頼めばいい。ここには配る側がいない。みんなで割って、割った分を各自が取る。頼む相手がいないんだ」
その晩、初めて、わたしは配られる側の勘定を見た。
冬に入る前の分け方を決める集まりが、太い木の下であった。人が輪になって座って、順に何か言った。言葉は分からなかったが、やっていることは分かった。数を出し、数を突き合わせ、割っていた。
グリムが横で、要るところだけ通訳した。
「魚が去年より少ない」
「木の実は多い」
「多いといっても、魚の減った分は埋まらん」
「だから、一人あたりを落とす」
落とす幅も、その場で決まった。誰かが数を言い、別の誰かが違う数を言い、あいだを取ったり取らなかったりした。声の大きい者の数が通るわけではなかった。何度か聞いていて分かったのは、去年その数で足りたかどうかを覚えている者の言うことが、いちばん通るということだった。
覚えている者が強い土地だった。
輪の外に、わたしは座っていた。
割り算が済んで、みんなが立ち上がりはじめたところで、わたしは訊いた。
「わたしの分は」
グリムは杖をついて立った。
「入ってない」
「入ってないって」
「あんたはこの冬、勘定に入っていない」と彼は言った。「入れると、一人あたりがまた落ちる」
「じゃあ、わたしは」
「おれの分から出す」
彼はそれだけ言って、木の下から離れていった。
わたしは動けなかった。
追い出されないというのは、そういうことだった。誰も出て行けとは言わない。ただ、数の中に入れない。入れないまま置いておく。置いておかれた者が食べるものは、誰かの数から引かれる。
その晩、わたしはグリムの椀を見ていた。前の日と同じに見えた。同じに見えるということは、彼が自分の分を減らして出しているということだった。減らし方が分かるほど、彼の椀は元から少なかった。
灰縁の村では、名前を訊かないことが防具だった。
ここでは、数えられないことが、そのまま誰かの負担だった。




