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『百二十一人目』 ~魔力を持って生まれた子〜  作者: 音


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四つと七つ

春の荷が入るようになると、峡に人が来た。

来るのは商人と、傭兵の斡旋人と、南から食い物を運ぶ船だった。この国は自分の土地で食う分を作れない。麦は全部よそから来る。峡の者はそれを当たり前のこととして話し、当たり前のこととして値を気にした。

「今年は上がるな」とスカルドが言った。

「上がる」とヘルヴィが言った。

「東が絞ってる」

「絞ってるな」

東というのがどこを指すかは、聞かなくても分かった。麦を輸出できる大国は一つしかない。わたしが生まれた国だった。

峡の者は、東を憎んではいなかった。麦の値が上がると腹を立てるが、腹を立てる相手は東ではなく、値を取り次ぐ港の商人だった。東は遠すぎて、憎むにも顔がない。

顔があるのは、袋を運んでくる者だけだった。

その話を聞いていると、こちらの背中を見ている目に気がついた。

斡旋人だった。エイクスケの者だと名乗った男で、傭兵の口を取り持って歩いている。峡へ来るたびにヘルヴィの家に泊まり、刻印を持つ者の数と、その中で使い物になる者の数を数えていく。

彼はわたしを見ていた。見ながら、こちらの言葉で話しかけてきた。

こちらの言葉が上手かった。峡の者の話し方とは違い、南の抑揚をそのまま持っていた。口入れは言葉で食う商売だと、あとでヘルヴィが言った。

「南から来たのか」

「はい」

「歳は」

わたしは答えなかった。答えていいかどうかを、そのとき初めて考えた。

「答えなくていい」と男は笑った。「訊いたのは、あんたを数えるためじゃない。あんたの顔が、こないだ東で見た紙に似てたからだ」

炉のそばで編んでいたヘルヴィの手が止まった。

「紙」

「教会の回状だよ。峡には来ない。港には来る」

男は袋から折った紙を出して、炉のそばへ置いた。開かなかった。開かないまま、指で押さえていた。

「有脈と記録された子が、儀のあとに行方知れずになってる。名前が書いてある。人相も書いてある。書いてあるのに、下のほうに妙なことが添えてあってな」

「なんだ」

「別名の可能性あり、と書いてある」

炉の火が鳴った。

「教会の回状に別名の可能性ありと書くのは、珍しいことだ」と男は言った。「あれは、誰かが別の名で帳面に入れたのを、上のほうが気づいてるという意味だよ」

「気づいたのは、誰」

「そこまでは書いてない」と男は言った。「ただ、書き足した者は、書いた者を知ってるはずだ。帳面は誰が書いたかが残る。名前が残るんじゃない。筆跡が残る」

炉の火が鳴った。

「筆跡を照らし合わせるのは面倒な仕事だ」と男は続けた。「面倒な仕事をやったということは、上のほうが本気だということでもある」

わたしは動かなかった。動かないことしかできなかった。

「あんたを売るつもりなら、こんな話し方はしない」と男は続けた。「おれは口入れだ。人を売るのは商売だが、教会に売るのは商売じゃない。あそこは代金を払わない。祝福で払う」

彼は紙をしまった。

「ただ、港には来てる。港に来たものは、そのうち峡にも来る」

その晩、ヘルヴィは編み物をしなかった。

炉の前に座って、火を見ていた。スカルドは何も訊かなかった。訊かないほうがいい種類の顔を、彼女はしていた。

夜が更けてから、彼女はわたしのほうを見ないで言った。

「南へは戻れないな」

「うん」

「この峡にもいられない。港に来たものは峡に来る。あんたを匿った家は、匿った者と同じ扱いになる」

わたしはエルネスのことを考えていた。

「じゃあ、どこへ」

「北だ」とヘルヴィは言った。「もっと北。根の教えのほうへ行けば、輪環教の帳面は届かない。あそこは南と口をきかない」

「行ける」

「歩けばな」

彼女は炉から目を離さないで続けた。

「ただし、冬の山を越える。荷を持って歩く。追われたら走る。子供の体でやることじゃない」

「一人で行くの」

「わたしは行けない」とヘルヴィは言った。「刻む家の者は峡を離れられん。離れれば、次に誰かが彫られるときに決める者がいなくなる」

「スカルドは」

「兄は舟だ。舟は山を越えない」

彼女は炉の火を見たままだった。

「途中まで連れていってくれる者は探す。探すが、それ以上は約束できん」

わたしは自分の手を見ていた。

「ヘルヴィ」

「なんだ」

「一つ刻んだら、あと三つ」

「そうだ」

「一つも刻まなかったら、四つのまま」

「そうだ」

「四つのまま、山で死んだら」

ヘルヴィが顔を上げた。

わたしは、それ以上うまく言えなかった。四つのまま死ぬのと、三つ残して生きるのと、どちらが多いのかという計算が、頭の中で組み上がらなかった。ただ、組み上がらないなりに、答えのほうは先に出ていた。

わたしは、あの朝のことを考えていた。袋の間から引っぱり出されて、光の中で見上げたときのことを。あのとき、わたしにできたのは名前を選ぶことだけだった。名前しか持っていなかったからだ。

次に同じことが起きたときに、名前しか持っていないのは嫌だった。

ヘルヴィは長いこと黙っていた。

それから、立ち上がった。

「刻んでくれと言うな」

「言ってない」

「言うな」と彼女はもう一度言った。「言わなかった者しか彫らないと、わたしは決めてる。決めた通りにさせろ」

彼女は戸口へ行き、外の暗いほうを見た。

「明日の朝、刻む家へ来い」

彼女は炉に薪を足した。足しすぎだった。沈み月が明けたばかりの晩に、あれだけ足す必要はなかった。

「一つ言っておく」と彼女は火のほうを向いたまま言った。「わたしは、あんたを助けようとしてこれをやるんじゃない。あんたを匿ってるこの家を助けるためだ。そっちが本当だ」

「うん」

「うん、じゃない。憶えとけ。そのほうが、あとで楽になる」

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