第1稿:砂漠の王国 F
外套を纏った青年は、ただひたすら歩き続けた。
吹きつける風が身に凍みる。
夜の砂漠がこんなにも寒いものだなんて、知らなかったのだ。
己の無知を悔やみながら歩き続けるうち、ふと、青年は顔を上げた。
どこからか歌声が聞こえてきたからだった。
どこかで誰が歌っているのだろうか。
こんな、誰もいない砂の海で?
青年はあたりを見回し瞠目した。
ほんの数十歩離れた先で、少女が一人、月明かりの下で歌っていたのだ。
明かりに引き寄せられる虫のように、青年は少女のもとに歩んで行った。
少女の肌は見たことがないくらい白く、銀の髪はさらさらと夜風に流れている。
寒さを感じないのか、彼女が纏う服はおよそ砂漠には似合わないもので、白色の薄布の服からは細い四肢が伸びていた。
少女の足首に結ばれているらしく、彼女が舞うたびに鈴の音が夜の砂漠へと響く。
青年は暫くその光景に見入っていた。
少女がターンすると、裾がふわりと広がる。
鈴は澄んだ音を響かせ、銀の髪はさらさらと彼女の肩を滑り落ちた。
やがて少女が踊り終えた時、青年は無意識に手を叩いていた。
青年に背を向けるように立っていた少女は振り返り、驚いたように目を瞠る。
「君は……?」
思わず、青年は一歩踏み込んで訊いていた。
少女の紫色の瞳が困惑に揺れる。
彼女は何かを言おうとしたように口を開こうとして、少女は首を振った。
―― Hu as ratia kisdam memry?
胸元に手を当て、少女は何処か懐かしい響きの言葉を口にして寂しそうに微笑んだ。
青年が言葉を理解しないことを分かっているように、涙を一粒こぼして、幻でもみたかのようにその姿は消えたのだ。
ただ、砂の海の上に、一粒の透明な石を残して。
※
「ヒュアース、ラティア、キスダム、メムリ……か」
ポツリと呟き男は本を閉じた。
ふわりと、埃が舞ったのは見なかったことにする。
深い蒼の瞳を日が落ちた天幕の外に向け、彼は溜息を吐いた。
昨日の調査はなかなか進まなかった。
手がかりは見つかっているのに、だ。
男――クラドがこの地にやって来て、三年が経つ。もう三年だ。
目的は砂漠に埋もれた王国探し。
手がかりは各地に残る、一夜にして滅んだ『砂漠の王国』の伝承と、とある人物が見た幻のみ。
それから実際に見つかった、遺跡一部だけだった。
調査を始めた当初、多くの研究者達はクラドたちを笑った。
「ただの御伽噺にどうしてそんな熱意を持てるのだ」
と。
「この我々の国とて、現在の技術を持って何とか存続している有様。 何千年も砂漠だけが広がるこの地に、そんな国が存在するわけがない」
と、馬鹿にして笑った。
確かにその国は在ったはずなのに、それが証明できる物がなく、彼らを支援するものは誰もいなかった。
その態度が変わったのは、クラドたちが伝承と幻を追ううちに、かつての王国の一部を見つけた時だった。
熱砂に埋もれた石造りの塔らしきものの残骸。
その事を報告した途端、国を挙げて調査を支援することになった。
それが二年前のことだ。
クラドはもう一度、溜息を吐いた。
今週中に何も進展しなかった場合、調査は打ち切られることになっている。 国の財政難で、これ以上調査を支援できなくなったからだ。
もしも調査を続ける場合、クラドが個人で資金を捻出しなければならない。それは無理なことだった。
「クラド、ちょっと来てくれ!」
天幕の外から声が聞こえたのは、そんなときだった。
名前を呼ばれ、クラドは気だるそうに立ち上がる。
日よけのフードを被りなおし、天幕の外に出た。
「何かあったのか?」
手招きする仲間たちの元に駆け寄り尋ねた。
仲間の一人は、足元をカンテラの灯りで照らし無言で見るように促す。
怪訝そうに形のよい眉をしかめ、クラドはその場に跪き驚きの声を上げた。
砂に半ばまで埋まった石版が見えた。
砂で汚れた石版の表面には、古い文字と美しいレリーフが施されていた。
「何て書いてあった?」
「王国の歴史の一部と、この絵の説明が書かれていました」
レリーフは、かつてこの地を守っていた女神だそうですよ。
クラドの問いに、男は何処か愛しそうに石版の表面を撫でながら言った。
「クラドさんも知ってますよね? 月夜の砂漠で踊る少女の伝説を」
「もちろん」
クラドは笑って答えた。
おれは見たのだから。
その少女のことを。
彼女が流した涙の『宝石』を、今も手にしている。
「月夜の晩。この地で少女は、旅人にこう訊くんだ。
『Hu as ratia kisdam memry?』
ってな」
――貴方は、この国のことを覚えていますか?
砂漠に消えた国の女神は、彷徨う旅人にそう訊ねる。
――――
フィアセラにて
Hu as ratia kisdam memry?
貴方は(この)国を覚えているか?
Hu:あなた
as:〜は
ratia:疑問文。Ratia以降が疑問の主題
kisdam:国
memry:覚える/記憶する(強調)
初出:2004/10/18




