第十五話 「名前のない距離」
終業式前日。
教室には、
いつもより少し浮ついた空気が流れていた。
「やっと夏休みだー!」
「宿題絶対終わんないって」
「あたし今年焼く!」
あちこちで楽しそうな声が飛び交う。
プール。
夏祭り。
旅行。
友達の家。
みんな、
夏休みの予定で盛り上がっていた。
山本葵も、
なんとなくその空気に浮かれていた。
明日から夏休み。
授業もない。
朝も少し遅く寝られる。
とにかく遊びたい。
プール行って。
買い物して。
映画とかもいいかもしれない。
それから――。
そこまで考えて、
葵はふと止まる。
……あれ。
その瞬間、
頭の中が妙に静かになった。
「誰と?」
ぽつりと、
自分の中で声がした。
葵はゆっくり周囲を見渡す。
教室には、
今日も黒崎かなでを中心に人が集まっている。
誰かが笑って、
かなでも小さく笑う。
いつも通りの光景。
葵も、
その輪の近くにいる。
でも。
改めて考えてみると、
自分はクラスの誰とも、
そこまで親しくなっていなかった。
普段から、
かなでの周りにはたくさん人がいた。
だから自然と、
色んな子と会話はしていた。
でも。
会話の中心は、
いつもかなでだった。
葵は少しだけ眉を寄せる。
あの子が……。
ええと。
名前、
なんだっけ。
今思えば、
まともに自己紹介をしたのなんて、
入学直後くらいだった気がする。
かなでの話を聞いて、
みんなで笑って、
放課後を過ごして。
それだけで、
なんとなく“誰かと一緒にいる”気になっていた。
でも。
気付けば。
自分は、
ちゃんと友達を作らないまま、
ここまで来てしまっていた。
「……私って、もしかして」
葵は小さく呟く。
「ぼっち?」
その瞬間。
「ふふ」
すぐ近くから、
小さな笑い声が聞こえた。
葵はびくっと肩を揺らす。
いつの間にか、
かなでがこちらを見ていた。
黒い瞳が、
少しだけ楽しそうに細められている。
「山本さん、今すごい顔してた」
「っ!?」
聞かれてた!?
葵は慌てて顔を隠す。
「ち、違うの! 別にぼっちとかそういうんじゃ……!」
「うん」
かなでは静かに頷く。
「でも、人って“集団の中で一人かも”って思うと急に不安になるんだよ」
葵は思わず黙り込む。
図星だった。
かなでは机へ頬杖をつく。
「逆に、“一人でも平気”って思ってる時は案外気にならない」
「……かなでは平気そう」
「平気だよ」
即答だった。
「でも、誰かと話すのは好き」
その言い方は、
とてもかなでらしかった。
べったり依存しているわけじゃない。
でも、
人を遠ざけてもいない。
かなでは少しだけ首を傾げる。
「山本さんは?」
「え?」
「一人、嫌?」
葵は答えに詰まる。
嫌。
……なのだろうか。
少し違う気もする。
ただ。
夏休みの予定を考えた時、
一緒に遊ぶ相手がぱっと浮かばなかったことが、
なんだか少し寂しかった。
かなではそんな葵を見ながら、
小さく笑う。
「じゃあ夏休み、どこか行く?」
「……え?」
あまりにも自然な言い方だった。
まるで、
“今日暑いね”
くらい当たり前に。
葵の心臓が、
どくんと跳ねる。
教室の窓から、
夏前の風が吹き込んできた。




