第十一話 「知りたいだけ」
昨日の放課後。
レモンの酸っぱさを想像した瞬間、
本当に口の中が酸っぱくなった感覚が、
山本葵の中にはまだ少しだけ残っていた。
思い出すだけで、
なんとなく舌の奥がきゅっとする気がする。
あれは結局、
催眠ではなかった。
でも。
“想像だけで人は反応する”
そう考えると、
少し不思議だった。
放課後。
今日もかなでの周囲には人が集まっている。
けれど今は、
他の子達がジュースを買いに行っていて、
教室には葵とかなでだけだった。
窓から夕方の風が入り、
カーテンを揺らしている。
葵は少し迷ってから口を開いた。
「かなでって、その……心理学、勉強してるの?」
かなでは本から顔を上げる。
黒い瞳が静かにこちらを見る。
それだけで、
少し緊張する。
「勉強、かあ」
かなでは小さく考えるように目を伏せた。
「してるってほどじゃないかな」
「そうなの?」
「うん」
かなでは静かに本を閉じる。
「ただ、興味があっただけ」
穏やかな声だった。
「気になったから調べる。調べた先で、また気になることが出てくる」
かなでは少しだけ笑う。
「それの繰り返し」
葵はぼんやりその言葉を聞いていた。
かなでは、
難しい知識をたくさん知っている。
だからてっきり、
昔から専門的に勉強していたのだと思っていた。
でも、
かなでは首を横へ振る。
「人って、“知りたい”を止められない生き物だから」
その言い方は、
どこか優しかった。
「知らないものがあると気になるし、理由が分かると少し安心する」
かなでは窓の外を見る。
夕陽が黒髪を赤く染めていた。
「心理学も、結局は人を知ろうとする学問だと思う」
葵は少しだけ首を傾げる。
「人を知るって、そんな面白い?」
かなでは少し黙った。
それから、
静かに笑う。
「面白いよ」
即答だった。
「同じ言葉でも、相手によって反応が違うし」
「同じ顔してても、本当は全然違うこと考えてたりする」
「逆に、“隠してるつもりなのに出ちゃう”こともある」
かなではそこで、
少しだけ葵を見る。
葵は思わず視線を逸らした。
「山本さん、今ちょっと照れた」
「また!?」
かなでは小さく笑う。
「そういうところ」
「え?」
「人って、“隠そうとした瞬間”が一番分かりやすかったりする」
葵はなんだか悔しくなる。
でも、
嫌ではなかった。
かなでの話を聞いていると、
難しいはずなのに、
不思議ともっと聞きたくなる。
「私は、ただ知りたいだけだから」
かなでは静かな声でそう言った。
その瞬間。
葵はふと思う。
かなでは、
人を操りたいわけじゃない。
人に勝ちたいわけでもない。
ただ。
知りたいのだ。
人が何を考えて、
何を感じて、
どう変わるのか。
それを見つめるのが、
好きなのだ。
夕方の教室は静かだった。
遠くで運動部の声が響いている。
その音を聞きながら、
葵はぼんやり思う。
もしかしたら。
かなでは、
世界を見ることそのものが好きなのかもしれない。




