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第十話 「面白いこと」



放課後。


山本葵は、教室の床へモップをかけながら小さく息を吐いた。


今日は掃除当番だった。


しかも、

珍しく黒崎かなでと一緒。


けれど。


特別会話が弾むわけでもなく、

二人は黙々と掃除をしていた。


窓の外では、

運動部の掛け声が遠く聞こえる。


かなでは机を整えながら、

静かな顔をしていた。


その横顔を、

葵は時々なんとなく目で追ってしまう。


でも、

話しかけるほどの勇気はない。


結局、

最後までほとんど会話をしないまま掃除は終わった。


「よし……終わった」


葵は小さく背伸びをする。


夕方の教室には、

二人しかいなかった。


鞄を持ち、

帰ろうとした時だった。


「山本さん」


かなでの声。


葵の心臓がどきっと跳ねる。


振り返ると、

かなでがこちらを見ていた。


「この後、時間ある?」


突然だった。


「あ……う、うん」


葵は反射的に頷く。


また一緒に帰ってくれるのだろうか。


そんな期待が、

少しだけ胸をよぎる。


すると、

かなではほんの少しだけ口角を上げた。


「ちょっと付き合ってほしいのだけど、大丈夫?」


「え?」


「すぐ終わるから」


静かな声だった。


でも、

どこか楽しそうにも聞こえる。


葵はよく分からないまま、

もう一度「うん」と頷いていた。


かなでは窓際の席へ向かう。


「じゃあ座って」


「……え?」


葵は思わず教室の時計を見る。


帰るんじゃないのだろうか。


少し不思議に思ったけれど、

かなでは自然な顔をしている。


葵も特に気にせず席へ座った。


夕陽が差し込む教室。


カーテンがゆっくり揺れている。


かなでは葵の向かい側へ腰掛けた。


黒い瞳が、

静かにこちらを見ている。


「ちょっと、面白いことしようか」


「面白いこと?」


かなでは小さく頷く。


「心理学の実験みたいなもの」


「え、なんか怖いんだけど」


「怖くないよ」


かなでは少し笑った。


「山本さんって、想像力ある?」


「え?」


突然の質問に、

葵は戸惑う。


「わ、分かんない……普通じゃない?」


「じゃあ、レモン想像してみて」


「レモン?」


「うん。切ったばかりのやつ」


かなでは穏やかな声で続ける。


「黄色くて、少し冷えてて、包丁入れると果汁が出てくる感じ」


葵はなんとなく頭の中でレモンを思い浮かべる。


「それを一口かじるところ想像して」


「うぇ、すっぱそう」


かなでは少しだけ笑った。


「今、唾液出たでしょ」


「……あ」


言われて初めて気付く。


確かに、

少し口の中が酸っぱくなった気がした。


「これも一種の誘導」


かなでは静かに言う。


「人の脳って、想像だけでも結構反応するんだよ」


葵は少し感心しながら頷いた。


かなでは続ける。


「じゃあ次」


その声は、

不思議と耳に入りやすかった。


押し付ける感じはない。


でも自然と聞いてしまう。


「人って、“考えないようにする”ほど考えちゃうことがあるの」


かなでは頬杖をつく。


「だから今から、“自分の呼吸を意識しないように”してみて」


「え?」


葵は一瞬ぽかんとする。


でも、

そう言われた瞬間。


急に自分の呼吸が気になり始めた。


吸って。

吐いて。


なんだか妙に意識してしまう。


「……あ、ほんとだ」


「でしょ」


かなでは少し楽しそうに笑う。


「意識するなって言われると、逆に意識しちゃう」


「なんか悔しい……」


「ふふ」


かなでは静かに目を細める。


その笑い方を見ていると、

不思議と警戒心が薄れていく。


夕方の教室は静かだった。


運動部の声も、

今は遠く聞こえる。


かなでの声だけが、

ゆっくり耳へ入ってくる。


「山本さんって、ちゃんと反応してくれるから面白い」


「それ褒めてる?」


「うん」


かなではあっさり頷く。


「人って、“反応しちゃいけない”って思うほど反応隠せなくなるから」


「また心理学?」


「うん。今も少し照れた」


「っ……!」


葵は思わず顔を逸らす。


かなでは小さく笑った。


その瞬間。


葵はふと思う。


――もしかして。


自分は今、

かなでの空気へ少しずつ引き込まれているのかもしれない、と。

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