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第19話:台本のない席に、座る

 翌日の放課後、《コエバコ》運営から正式な連絡が届いた。

 件名は、「アフタートーク収録のご相談」。


 律は、スマホの画面をしばらく見つめていた。「相談」という言葉はもう何度も見た。けれど今回は、以前より少し重く見えた。本文には収録候補日、想定尺、参加者名、公開形式までが整然と記されていた。


 ミオリ。ナナセ。台本提供者、空欄。

 三つの名前が、同じ表の中に並んでいる。


 律はそこだけを見て、指を止めた。「同じ場所に並ばない」と思ったばかりだった。けれど外側の画面では、三つの名前は簡単に同じ行へと収まってしまう。添付されていた進行案を開く。


>一、自己紹介

>二、『マイクは顔を知らない』制作経緯

>三、ミオリ版・ナナセ版の違いについて

>四、空欄さんの未公開音声について

>五、三名からリスナーへのメッセージ


 律は、四番目の項目で呼吸を止めた。「空欄さんの未公開音声について」。

 録音のことだ。誰かが運営に話したわけではない。けれど、コメント欄の反応とこれまでの流れを組み合わせれば、運営側がそこへ触れたくなるのは自然なことだった。


 自然だからこそ、怖かった。録音はまだ名前もない。ファイルとして送ってもいない。それでも、外側から見ればそれはもう「未公開音声」という扱いやすい名前を付けられている。


 律はスマホを伏せなかった。画面を見つめたまま、返信欄を開く。『参加できません』。

 打って、止まる。違う。それではまた逃げるだけだ。律はその一文を消去した。


* * *


 ミオリからメッセージが来たのは、その直後だった。

『来ました?』

『来ました』

『四番目、見ました?』

『見ました』


 既読がついたまま、少し沈黙が横たわる。

『嫌です』

『はい』

『でも、断るだけも嫌です』


 ミオリから、スクリーンショットが送られてくる。


>ミオリさんは、最後の一行の前で声を止めた「空白の演技」が話題に。読めなかったからこそ生まれた一瞬について伺います。


 律は、その文をなぞった。「読めなかったからこそ」「空白の演技」。

 外側から見るなら間違いではない。けれど、ミオリの声がそこへ入った瞬間、急に別のものへと変わってしまう。


『これ、嫌です』

『分かります』

『分かった顔をしないでください。声なら、少し聞きましたから』


 昨日の通話の声が、まだ身体のどこかに残っていた。

『空欄さん。私は「読めなかった人」になりたいわけじゃないです。……でも、読めなかったことを消されたいわけでもありません』


 律は、短く息を吐いた。今度はミオリ自身が、外側の言葉によって定義されようとしていた。


* * *


 ナナセからも連絡が届いた。

『進行案、確認しました。四番目もですが、私の紹介文も少し困ります』


>ナナセさんは、同じ台本を流麗に読み切ったことで、ミオリ版との違いが注目されています。完成度の高い朗読の裏側について伺います。


『正しい紹介に見えます』

『たぶん、正しいです。……だから、困ります。流麗に読み切った人としてなら話せますが、それを「話せてしまう」のが嫌なんです。読めてしまったことを消したいわけではありません。でも、それだけで置かれると、そこに声を合わせてしまいますから』


 ミオリは「読めなかった人」に。ナナセは「読めた人」に。律は「未公開音声を持つ人」に。どれも完全な嘘ではないからこそ、そのままの枠に収まることは危うかった。


* * *


 律はパソコンを開き、白紙のメモに元の進行案をコピーした。

 三番目と四番目を見つめる。違いについて。未公開音声について。聴き手が知りたがる場所。そこを完全に塞げば、ただの拒絶になる。けれど、そのまま開け放てば、二人の声と自分の録音は、消費しやすい話題になってしまう。


 律は一行ずつ消去し、打ち直した。


>一、自己紹介

>二、台本が声に届くまで

>三、同じ台本を、同じようには聞けなかったこと

>四、録音は流さず、声の扱いについて話すこと

>五、まだ名前を付けていないものについて


 書いてから、律はしばらく硬直していた。これは台本ではないが、完全に別物だとも言い切れない。これまで台詞を書いてきた律が、今は「席の並び」を自ら変えようとしている。


 先に二人に修正案を送った。

『正しいかどうかを聞くためではありません。運営に送る前に、見せます』


『三番目、少し嫌です。私とナナセさんだけの話みたいに見えるので』とミオリが言い、

『四番目、少し困ります。「扱い」という言葉だと、外側から整えられる感じがするので』とナナセが言った。


 律はもう一度打ち直した。


>三、同じ台本の前で、三人が止まった場所

>四、録音を流さず、昨日の声について話すこと


『前より嫌です。……でも、消された感じは少ないです』

『前より困ります。……でも、聞ける形にされすぎてはいない気がします』


 よかった、とは思わなかった。ただ、これなら送れるという確信だけがあった。


* * *


 律は運営へのフォームに、最初の一行を打った。


>ご提案ありがとうございます。アフタートークには参加します。


 打った瞬間、指先が強張った。「参加します」。その四文字は、断るよりも保留にするよりも、ずっと重かった。


>ただし、進行についていくつか相談させてください。ミオリさんを「読めなかった人」、ナナセさんを「読めた人」として固定する形は避けたいです。また、私の録音ファイルは番組内で流しません。その代わり、昨日の声について、話せる範囲で話します。


 律は「話せる範囲で」という一文を消さずに残した。最後に、練り直した進行案を書き添え、送信ボタンを押し込んだ。

 特設ページの導入文が「聴き手を急がせないための文」だったのに対し、今回のこれは「自分もその席に座るための文」だった。


* * *


 すぐに、ミオリへメッセージを送った。

『送りました。参加します』

『嫌です。……でも、逃げた感じは少ないです。ゼロではないですけど』


 律は少しだけ笑った。笑ったことに、自分で驚いた。その直後、ナナセからメッセージが届いた。

『参加するんですね。私は少し困りました。空欄さんが参加すると、私は空欄さんの声を聞けてしまうかもしれないので』

 律は返信欄に指を置いた。「聞けてしまう」。まだ怖い言葉だったが、昨日ほど遠くはなかった。

『その時は、困ってください』


 やがて、ナナセから短く届く。

『分かりました。困ります』

 それは整っていたが、少しだけ困っているようにも見えた。


* * *


 夜、律はメモアプリを開いた。

『まだ、聞き方を知らない声』

 本文欄には、昨日までの三行がある。律は、その下に今日は何も足さなかった。

 代わりに、運営へ送ったメールをもう一度開く。


>アフタートークには参加します。


 録音には、まだ名前がない。通話の声は、どこにも残っていない。それでも、律はひとつ、席を選んだ。

 台本のない席。そこに座ると、もう決めてしまった。

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