第九十六話 科学者コウ
「本当にこんなところにいるのかよ」
梯子を下りながら、ラウルが呟いた。
「完全に下水道じゃねえか」
「端末の地図では、このあたりになっています」
エイナが端末を見ながら言った。
俺たちは、マテウスの所を出ると、コウ、という人のものへ向かった。
マテウスの話によれば、ギランの前任の六賢であり、バドールの科学を作り上げた爺さん──ということらしいが。
本当に、こんな下水道に住んでいるのだろうか。
「なんか、全然臭くないね」
キセキが言った。
「本当ね。なんの匂いもしないわ」
メイも続く。
確かに。下水道はアルカディアにもあり、昔見に行ったことがある。
しかし、とんでもない匂いがたちこめていて、ずっと鼻を押さえていた記憶がある。
ここは──まったく匂いがしない。
「しかし、そんな機械で六賢が決まるんだな。
一応──世界の代表だろ」
俺は、エイナの持っている端末を見た。
「はい。マテウス様と、アバロン長官分は既に承認をいただきました。
後はコウさんの承認をこの端末で取れれば──六賢になれるようです」
エイナが答える。
にわかに信じがたい。
だとすると、父さんが執務室で山のようにこなしていた承認の判子作業はなんだったんだという話になる。
少し歩いて行くと、人影が見えた。
下水道の通路に椅子を置き、座っている。
その手には、釣り竿が見える。
糸が、下水道に垂れている。
──ん?釣り?こんなところで?
俺たちが近づくと、その男は帽子を外した。
人の好さそうな顔だちの老人が、こちらを見た。
「──おや、思ったよりお若いですね」
老人は笑顔になる。
「マテウスさんから話は聞きました。どうぞ、こちらへ」
俺たちを、案内する。
この人──下水道に住んでるのか?
「お茶です。どうぞ」
メイドの格好をした女性が、俺たちにお茶を持ってくる。
俺は頭を下げる。
下水道の扉を入ると、そこは──家だった。
コウは、どうやら本当に下水道に住んでいるようだった。
「あの、さっき、釣りしてましたよね」
俺が聞くと、コウは笑った。
「そうですよ。釣れませんでしたけどね」
「下水道に……魚なんていないですよね」
「いえ。いますよ。浄水施設が各建物についているので、ここを流れる水はきれいなんです。川みたいなものです」
──匂いがしなかったのはそういうことだったのか。
改めて、この世界の科学力を知る。
「さて。六賢の推薦をすればいいんでしたね。端末を貸してください」
「え?あ、は、はい」
エイナは端末をコウに渡す。
コウはその端末を操作すると、エイナに戻した。
「承認しました。アーカーシャ側のシステム確認が終われば、あなたは六賢になるでしょう」
え──?
そんな簡単に?
「あの。審査とか、いいんですか?」
思わず俺は聞いた。
あまりにも、簡単すぎる。
「マテウスさんと、アバロンさんの推薦があるんでしょう?であればなんの心配もありません。私は人を見る目がありませんからね」
「……ギランのことですか?」
「はい。また同じ過ちを繰り返してしまいました。ギランも、昔はいい子だったんですがね。科学に傾倒すると、なぜか皆おかしくなってしまう」
また?
過去にも──似たようなことがあっということだろうか。
「おじいちゃんは科学に傾倒してるんじゃないの?」
キセキが言った。
キセキの顔を見ると、コウは少し驚いた顔をした。
「おや。あなたは少し昔の私に似ていますね。そうですね。傾倒していた時代もありましたが──今ではただの隠居生活です」
「バドールの科学を作ったのは、あなただと聞きました」
俺は言った。
「いえ。私はアーカーシャの意志を遂行しただけです。
アーカーシャはすべてを知っている。
私は、その意志を理解できた。それだけです」
遠い昔を見るように、コウは言った。
「あなたたちは、チップが入っていないそうですね。どこから来たのですか。
リターニアくらいしか思い浮かびませんが」
コウはお茶を飲みながら言った。
「ロッド大陸というところです。そこで、俺たちはユグラシアの存在を知らずに育ちました」
俺が答えると、コウは目を丸くして、言葉を失った。
「コウさん、知っているんですか?」
その動揺を見て、俺は思わず聞いた。
コウは、小さく頷いた。
「昔……住んでいました。三十年以上前ですが。懐かしい。
アークネイヴァーと言う国でした。そうですか、あなたたちは、ロッドから来たのですね」
住んでいた──?
分断されていたはずのロッドに?
アークネイヴァー……どこかで聞いたことがある。
「あっ!アラタ!今のアルカディアのことだよ!」
キセキが言った。
「アルカディアの前はオルディア、その前はアークネイヴァーだったって習ったじゃん!」
恐らく、学校の歴史の授業のことだろう。
まずい、全然適当に聞いていたから覚えていない。
が、なんとなく記憶にはある。
「そうですか。アークネイヴァーはもうなくなりましたか。そうかもしれませんね。あの時から──明らかに国はおかしな方向へ向かっていましたから」
コウは少しだけ寂しそうな顔をして、遠くを見つめる。
「あの……コウさんはどうやってユグラシアへ?海を越えることはできなかったんじゃ」
俺は、青帝プルークの話を思い出す。
百八十年間。
海流はプルークによって操作され、大陸は分断されていたはずだ。
「分かりません。気が付いたら、バドールにいました。
当時はまだここまでの科学都市ではありませんでしたが。
私の最後の記憶は──科学研究所の爆発です」
思い出すように、コウは言った。
「死んだとばかり思っていました。次の瞬間、私はここにいました。
ここがユグラシアと言う大陸だということも、ロッドが同じ世界にあるということも、知ったのは六賢になってからです」
「アークネイヴァーで科学を研究してたってこと?」
キセキが聞いた。
コウが頷く。
「じゃあ、今のアルカディアが発展しているのはこのおじいちゃんのおかげってことじゃん!ねえ、アラタ」
キセキが嬉しそうに言った。
そういうことになる。
そして──俺は父さんから聞いた話を思い出す。
アルカディアの前身国、オルディアもまた科学国であったこと。
それを作ったのは、ノクスと言う男だと言うこと。
ノクスの過ちを繰り返さないために、自分が議長をやっているということ。
俺の頭の中で、何かが繋がる。
「コウさん。もしかして、ノクスという男をご存じではないですか」
俺の言葉に、コウはまた驚いた表情をする。
「……ノクスは、私の弟子です。親代わりでもありました。
彼は──生きているのですか?」
その言葉に、俺は首を振った。
──オルディア崩壊とともに、命を落としたと聞いている。
そして、それを実行したのが──父さんたちだということも。
『アラタ。父さんは、その十字架を背負って生きていく覚悟を決めている。
だから、今は世界のために、国のために必死で働かなきゃいけないんだ』
それを告白した父さんの顔を、まだ覚えている。
どこか寂しそうで──でも、目には強い力が宿っていた。
「そうですか……ノクスは、死にましたか」
コウは寂しそうに肩を落とす。
「自らクーデターを起こし国を作ったと聞いています。
オルディアという国を。
科学による支配、科学による世界統一を目指した結果、多くの犠牲を生んだようです。結果、オルディアの崩壊とともに、命を堕としたようです」
俺は、思い出した情報を伝えた。
その話を聞いて、コウは目を伏せた。
「……やはり私には人を見る目も、人を育てる力もありませんね。
今のロッド大陸は──平和なのですか?」
俺は、大きく頷く。
「はい。今はもう、戦争はありません。みんなで平和な世界を作っている——そう思っています」
俺がそう言うと、コウは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……なら良かった。これからも、あなたたちがその世界を守ってください。
そろそろ、六賢の承認も下りたんじゃないですか?」
コウの言葉にエイナが端末を確認する。
「あ、来ました。どうやら私は六賢になったみたいです」
「これで、皆さんアーカーシャに入れますね。くれぐれも、気をつけて。
かなり無謀な挑戦をされると聞いています」
コウは手を差し出した。握手の合図。
「今日は、会えてうれしかった。久しぶりにロッドの話を聞けてよかった。よければ無事に帰ってきて──また続きを聞かせてください」
差し出したその手は細く、少し震えていた。
老人の手。
しかしその手は、ロッド大陸を、バドールの科学を作り上げた偉大な手だ。
俺は、そっとコウの手を握り返した。




