第六十六話 ギランとの戦い
「……おい、エイナ。なんだよここ」
ラウルは辺りに広がる光景を見ながら言った。
ついさっきまでいた訓練場とは、全く違う景色が広がっている。
暗く、霧の立ち込める——森の中だ。
「ギランの作り出した——精神世界です。私たちは今、精神だけその世界に入っています」
「は?じゃあ、体はあっちってことか?」
「はい。ギランも同様のはずです。
——式術戦で勝ち目がないと見て、自分の土俵で戦うつもりなんでしょう」
「戦うって……本人がいねえぞ」
「恐らく、どこかにいるはずです。
——そしてそこには、叔父様の——レイサスの精神体もいると思います。
私たちがギランを倒さないと、叔父様の精神は戻りません」
「……そんな式術もあるのかよ」
「私も、体験するのは初めてです。
精神干渉は——紫の高位者しかできない術。
少なくとも昔のギランにはできなかったはずです。
ところでラウル」
「なんだよ」
「あなたは、何しにここに来たんですか?
——アラタたちの加勢は?」
「……お前の手助けに来たんだよ。あっちはメイが加勢している。まぁ、大丈夫だろう。
俺たちも、すげえ技を身につけたんだぜ」
ラウルの回答に、エイナは不思議そうな顔をしている。
「……なんだよ、その表情」
「あ、いえ。こう言う時は、仲間を助けるのを優先するのかと思っていました」
エイナの言葉に、ラウルは言った。
「はあ?何言ってんだよ。エイナも仲間だろ」
再び、エイナはきょとんとした顔をする。
「なんだよ。不満かよ」
「いえ……ありがとうございます。
そうか、私も仲間になっていたんですね」
エイナは呟くと、少し微笑んで歩き出した。
喜んでいる場合ではない。
ギランを倒し、叔父様を助けないと。
森の中を進むと、広場に出た。
そこには——ロッキングチェアに腰掛けるギランがいた。
傍らに、レイサスが縛られている。
「ギラン。——どうするつもりですか」
エイナが距離を取りながら話す。
「私は、戦いは苦手なんですよ。
——なので、紫だけを徹底的に鍛えました。
制限付きですが、精神干渉も覚えました」
ギランが答える。
「制限?」
「この精神世界では——相手に物理攻撃も式術も効きませんよ。こんな風に」
そう言いながら式術をエイナに向かって放つ。
エイナは反射的に身構える。
しかし火球は彼女に触れる直前、見えない壁に阻まれるように霧散した。
「——ここでのルールは一つ。勝負に勝った方だけが、元の体に戻れる。レイサスは手強かったですよ」
「……負けたらどうなるんだよ」
ラウルが言った。
「ほう。もう一人紛れてきましたか。
さて、どうでしょうねぇ。私は負けたことはありませんから。わかりません」
ギランは、薄ら笑いをしている。
よほど自信があるのだろう。
確かに、式力で叔父様が負けるわけがない。
得意な勝負に無理やり付き合わされ——負けたのだ。
「一体何で勝負するのです」
エイナが言うと、ギランはテーブルの上を指差した。
「——これですよ」
テーブルの上には、盤面と駒が置かれている。
——チェス。
ボードゲーム。
——頭脳戦か。
エイナはギランの記憶を思い出す。
確か——ウィザルの大会で、優勝していたはず。
汚い男だ。
自分が確実に勝てる勝負しかしない。
「……それで勝てば、私たちも叔父様も元に戻れるということですね」
エイナが聞いた。
「ふふ。自信があるのですか?それは楽しみですね。
——やるのはどっちですか?一人ずつでもいいですよ」
ギランは、まるで遊びの誘いに乗ってもらったように嬉しそうに言った。
——自分が負けるなど、微塵も思っていない様子だ。
「悪いけど、俺はルールも知らない」
ラウルが言った。
「……私がまとめて戦います。負けたら私たち二人の精神、勝ったら叔父様も返してもらいます」
エイナは、そう言ってギランの向かいのロッキングチェアに座った。
ギランは静かに笑うと、白の駒を摘まんだ。
「では、私が先手で」
盤面の中央へ、駒が進む。
エイナも迷わず黒の駒を動かした。
静かな音だけが、森に響く。
カチ、カチ。
ラウルは二人を交互に見た。
「……どっちが勝ってるんだ?」
「……見れば分かるでしょう」
「いや、分かんねえ」
「……では黙っていてください。集中が切れます」
エイナの様子で、ラウルは察して口を閉じた。
——押されてるんだな。
再び駒が進む。
ギランは考える様子もない。
まるで最初から決まっていたように、一手ずつ置いていく。
対するエイナは、一手ごとに盤面を見つめていた。
「……なるほど」
ギランが笑う。
「レイサスから教わりましたか」
「……幼少期に」
「筋は悪くありません。私の部下になれば教えてあげますよ?」
ギランは駒を動かした。
「死んでもお断りします」
エイナは無表情に答える。
「……残念ですねぇ。じゃあ、これではどうです?」
ギランは、少し音を立てて駒を置いた。
その瞬間だった。
エイナの表情が少しだけ変わる。
「……!」
ラウルには何が起きたのか分からない。
だが、エイナはそれが勝負の局面を大きく分ける一手だと悟った。
「負けて一生精神世界で生きますか?それとも私の部下になる気になりました?」
ギランは穏やかに笑う。
「……黙れ」
エイナは別の駒を動かす。
ギランはすぐ返した。
「チェックです」
「……!」
エイナは王を逃がす。
ギランはまた一手。
「こちらも取ります」
駒が盤上から消えていく。
一つ——また一つ。
ルールの分からないラウルでも、劣勢なのは分かる。
「で、どうです?部下になれば、命は助けてあげますよ?——そっちの坊やは必要ありませんが」
ギランは盤面も見ずに言った。
「……まだ勝負は終わってない」
エイナは答えながら、駒を進める。
一手。
「レイサスの悔しそうな顔、見せたかったですよ」
ギランの、一手。
「——式術の勝負なら、叔父様は負けない」
一手。エイナの手が震えている。
ギランは静かに笑う。
「私は五十年間、レイサスに勝つためにこの術を身につけました。最高の気分でした」
エイナの手が止まる。
盤面には逃げ道がない。
どこへ動かしても——次で終わる。
エイナの表情でラウルは察した。
このままでは——負ける。
黙っていたラウルが口を開く。
「なあ、エイナ」
エイナは盤面を見たまま答える。
「……なんですか」
「この世界って、そいつの式術なんだよな?」
「……そうですが。それが、どうしたんですか」
「さっき言ってた技、試してみるわ」
ギランが初めて盤面から顔を上げる。
「……何を言って——」
ラウルは腰の剣に手を掛けた。
「俺、式術を斬れるようになったんだよ」
剣を抜く。
「なら——この世界も斬れんじゃねえか?」
ズバァァァァァッ!!
世界そのものに、一本の白い亀裂が走った。
森が割れる。
空が割れる。
盤面が砕ける。
「ば、馬鹿な!!精神世界を!?」
ギランが初めて狼狽した。
ラウルは剣を鞘へ戻す。
「お、できた。やってみるもんだな」
世界は一筋の切れ目から音を立てて、崩壊を始めた。
——全員の精神体が、元の体に戻っていく。
目を開けると、そこはさっきの訓練場だった。
——紫の式も消えている。
「く、くそっ!もう一回……」
ギランが式術を発動するより早く、
ラウルの剣がギランの喉元に突きつけられる。
ギランは身動きを取れなくなる。
「諦めろ。——お仲間も、大変そうだぜ」
ラウルが、アラタたちの横に倒れるバクスターを指差した。
その状態をみて——ギランはその場に膝をついた。
「……ありえない。精神世界を……斬るなど……」
「お前の〝必要ない坊や〟が邪魔して悪かったな。
こう見えて、結構むかついてんだぜ」
ラウルは、最後に言い放った。
「五十年を無駄にしちまって悪かったな。
——だけど、妬みや嫉みだけじゃ、強くなれないぜ」
ギランは、自分より遥かに年下のラウルを見上げる。
ラウルは最後に言った。
「護るべきものがいて、人は強くなるんだ。
——爺ちゃんの受け売りだけどな」
——こうして、ウィザルでの戦いは終わった。




