第六十三話 黒の間と、ウィザルの矛盾と。
「うげえ……吐きそうだよ」
キセキは、地面に倒れこんだ。
「水を一杯飲んでください。私が初めて〝黒の間〟に入った時は、吐きましたし、立ち上がれませんでした。それに比べれば、キセキはましなほうです」
エイナが言った。
……そんなもんなのか。
俺も一緒に入ったが、特に体に変調はなかった。
黒の間は、式力を抑制する黒の石が置かれた空間だ。
ガリアに到着したとき、軟禁された部屋にあった石。
──更に巨大な石が置かれていた。
黒の石が式力を奪い、本来の力が発揮できなくなる。
そこで式術を鍛錬することで、いわゆる限界突破──式力の上限を引き上げる、という修行方法だ。
「……俺、特にいつもと変わらなかったんだけど」
俺はエイナに言った。
「……やはり、それは式術ですらないのかもしれませんね。
黒導石は、すべての式力に作用すると言われていますから。
アラタは別の修行をしましょう。──叔父様、お願いしてよろしいですか?
キセキはこのまま私と修行を続けましょう」
「えーっ。無理だよー。休みたいよー」
キセキはまるで小さい子どものように地面でじたばたしている。
エイナは、襟元を掴んでキセキを引っ張っていく。
見た目に寄らず、力が強い。
子どもが子どもを運んでいくようで、見ていて面白い。
俺は、サイレス叔父さんそっくりのレイサス王とその場に残された。
二人で横並びに歩き、研究所に戻る。
話に困ったので、俺は年齢について聞いてみた。
「レイサスさんって……おいくつなんですか?」
「今年で九十歳だ。君たちの種で言えば、四十代くらいだろう」
レイサスは答える。
「俺たち……短命種のことですね」
「その言い方は──好きではない」
「え?」
「世の理からすれば──むしろ私たちの方が長命種と呼ばれるべき存在だ」
そうなのか。
エイナは──この世界では寿命が長いのが普通だと言っていた。
「どういうことですか」
俺が聞くと、レイサスは歩みを一度止めた。
「……この国が科学と距離を置いているのは聞いているな」
「はい。エイナはそう言っていました。──昔からなんですか?」
「そうだ。少なくとも、私はそう教わりそれを遂行して生きてきた。
──あの事実を知るまでは」
「事実?」
「私は、式術の研究過程で、祖先について調べた。
すると、驚くべきことが分かった」
レイサスは、再び歩き始めた。
俺はそれについていく。
当然だが──その歩みは、老人のそれではない。
「ある時から──私の一族の寿命は飛躍的に伸びている」
「……え?」
「私の四代前までは、一族の寿命は八十歳程度だった。それが──三代前から、二百年以上生きるようになっていた」
どういうことだ。
種の寿命が飛躍的に伸びるなんてこと──あるのだろうか。
そういえば——遺伝子のアップデートとか、バイオテクノロジーとかエイナが言っていた気がする。
——意味はよく分からなかったが。
俺が黙っていると、レイサスはこちらを見た。
「分からないか?──私は、三代前に、遺伝子の操作が行われたと考えている」
遺伝子操作。
どういうことだ?
科学の力で──寿命を変える?そんなことが──できるのか?
「テロメアという言葉を知っているか」
「いえ……」
聞いたこともない言葉。
学校でも、習ったことがない。
「難しい話になるが……染色体の先端にある保護部分だ。
細胞が分裂するたびに、これが短くなる。結果──人は老いる」
何を言っているのか、さっぱり分からない。
しかしレイサスは話を続けた。
「そのテロメアを修復する酵素——テロメラーゼを活性化させ、本来の種の寿命を超越した種。それが私たちだと考えている」
「つまり──もともとの寿命は短かったってことですか?」
俺は、かろうじて理解できた部分を話した。
レイサスは頷く。
「科学を避けてきたはずのこの国にも、最先端の科学──遺伝子工学が介入している可能性がある。大きな矛盾だろう?
その矛盾に向き合うために──私は六賢を目指した。
アーカーシャに赴き、すべての謎を解き明かすために」
「……なにか、分かったんですか?」
レイサスは首を振る。
「大事なことは、何も。ただ、寿命が短い種が先に存在していたという事実だけだ。
歴史に敬意を持つなら——蔑視するような呼び名をすべきではない」
歴史者としての誇りを感じる。
レイサスは続けた。
「世界の叡智と言われる六賢になってもなお、分からないことばかりだ。アラタ──君の存在もな」
「……レイサスさんでさえ、ロッド大陸のことは知らなかったんですか」
ロッド大陸、ユグラシア大陸。
双方に文明が滅びたと信じこんでいる。
少なくとも、数千年間は、その不文律は成立していたように思う。
そんなことが、あるのだろうか。
「もちろんだ。もし知っていたら──とっくに赴いている。私たち一族の探求心をなめるなよ」
そう言って、レイサスは笑った。
めったに笑わないサイレス叔父さんも、笑うとこういう顔をする。
くしゃっとした顔で、目じりのしわが目立つが──相手を幸せにする笑顔だ。
……アーカーシャにいけば、すべての謎が解けるのだろうか。
でも、それよりも前に俺たちにはやらなくちゃいけないことがある。




