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第4話 誰かの熱に気づく

門が開くと同時に、冷たい夜気が屋敷へ流れ込んだ。


 商隊の荷馬車は泥を跳ね上げ、御者台の男が青ざめた顔で飛び降りる。


「助けてくれ! 仲間が高熱で倒れた!」


 荷台の隅では、一人の男が毛布にくるまったまま苦しげに咳き込んでいた。


 ラウレンは一歩前へ出る。


「いつから熱が出た」


「昨日の昼頃です。王都を出た時は何ともありませんでした」


「ほかに咳をしている者は」


「二人ほど……まだ歩けます」


 ラウレンは短く息を吐き、門番へ向き直る。


「館へは入れるな」


「ですが、この寒さでは――」


 御者が叫ぶ。


 エルディナは荷馬車へ近づき、男の額へ手を当てた。


 熱い。


 呼吸も浅い。


「ラウレン」


 彼はすぐ隣へ来た。


「本館から離れた場所が必要です」


「旧厩舎か」


 エルディナは首を振る。


「あそこは屋根が傷んでいます。夜は冷えすぎます」


 先代奥方の手帳が頭をよぎる。


 南倉庫。


 冬場は干し草を置くため炉があり、窓も二つある。


「南倉庫なら暖を取れます。窓も開けられます」


 ラウレンはすぐに決めた。


「ハーヴィス」


「はい」


「南倉庫を空けろ。寝台を運ぶ。窓は開けたまま炉を焚け」


「承知しました」


「水場は」


「裏手の井戸が使えます」


 エルディナが答える。


「それで十分だ」


 ラウレンは御者へ向き直った。


「発熱者は南倉庫へ移す。熱のない者も今夜は本館へ入れない」


 御者は苦しそうに俯く。


「お願いします……」


     *


 夜明けまで、屋敷は慌ただしかった。


 寝台が運ばれ、


 炉へ薪が積まれ、


 井戸から水が運ばれる。


 商隊が到着した直後、まだ隔離場所が決まる前には、ノアも門前へ湯と毛布を運んでいた。


 その時、荷台から降ろされた男の一人が、彼女のすぐそばで激しく咳き込んでいた。


 エルディナは手帳を開きながら、その後の手順を一つずつ確認した。


「使った布は別の桶へ」


「はい」


「病人へ触れた人は、こちらで手を洗ってください」


 文字が読めない使用人にも分かるよう、ハーヴィスは桶へ色布を結んだ。


 赤は病人用。


 白は炊事。


 青は洗濯。


「これなら間違えませんな」


 ラウレンは倉庫の外で兵を動かしていた。


 門番を増やし、


 街道沿いの村へ使者を送り、


 食料の配分を決める。


 同じ場所に立っていても、見ているものは違う。


 エルディナは目の前の人を見る。


 ラウレンは領地全体を見る。


 だからこそ、どちらも必要だった。


     *


 二日目。


 人手が足りなくなった。


 病人へ運ぶ水も、食事も、薪も増えていく。


 寝台も足りず、倉庫番たちは板と古い扉を使って簡素な寝床を組んでいた。


 ノアは門番たちへ温かい湯を運び、夜遅くまで働いていた。


「少し休みなさい」


 エルディナが声をかける。


「あと一往復だけです」


 ノアは笑って駆けていった。


 その姿を見送りながら、エルディナは胸の奥に小さな不安を覚えた。


     *


 夕方。


 隔離された商人の一人が戸口へ駆け寄った。


「帰らせろ!」


 兵士が押し留める。


「娘が待ってるんだ!」


 倉庫の空気が張り詰めた。


 男は兵士の腕を振り払い、半ばまで戸口を飛び出す。


 エルディナは、その進路へ立った。


「喉が渇いていますね」


「当たり前だ!」


「すぐに水を持ってきます」


 一歩近づく。


「でも、今帰れば、お嬢さんも熱を出すかもしれません」


 男の肩が震えた。


「……娘は、まだ五歳なんだ」


「だから戻さないのです」


 長い沈黙のあと、男は膝から崩れ落ちた。


 兵士たちも息を吐く。


 離れた場所から見ていたラウレンは、小さく頷いた。


     *


 その日の夕暮れ。


 倉庫を出たエルディナは、広場でラウレンを見つけた。


 兵士たちへ指示を出している。


 だが、声が少しかすれていた。


 目の下にも薄い影がある。


 会議が終わるのを待ち、近づく。


「ラウレン」


「どうした」


 エルディナは迷わず額へ手を当てた。


 ラウレンの肩が少しだけ強張る。


「少し熱いです」


「病人ではない」


「病人になる前に、気づくのです」


 ラウレンは小さく息を吐いた。


「……そうだったな」


「少しだけ休んでください」


「一刻だけだ」


「はい」


 ラウレンは兵士へ残りを任せ、屋敷へ戻っていった。


     *


 厨房では、ノアが若い使用人へ湯を配っていた。


「咳をしている人がいたら、すぐ教えてね」


「うん」


「あと、自分もちゃんと食べること」


 年下の見習いが笑う。


「奥様が言ってた!」


「そう」


 ノアも笑った。


「ちゃんと覚えてるね」


 その様子を見ていたハーヴィスは、黙って薪を足した。


     *


 四日目。


 隔離した商隊の中から回復する者が現れ始めた。


 街道沿いの村でも大きな混乱は起きていないという知らせが届く。


 ラウレンは報告書を閉じた。


「最初の山は越えたかもしれんな」


 エルディナも頷く。


 その時だった。


 厨房から慌ただしい足音が近づく。


「ラウレン様!」


 若い使用人が息を切らして駆け込んできた。


「ノアが倒れました!」


 エルディナの胸が大きく脈打つ。


 商隊が到着した夜。


 門前で湯を配っていたノアのすぐそばで、激しく咳き込んだ男。


 あの時にはまだ、誰が病を抱えているのか分からなかった。


 ラウレンはすぐに立ち上がる。


「案内してくれ」


 二人は使用人部屋へ向かって駆け出した。

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