第四話 刀との出会い
初めて自分の力で剣を売った翌日。
開店準備をしていると、父が突然言い出した。
「アテナ屋の跡取りなら、剣の稽古も必要だ。今日から俺がヒサミツを鍛える」
「旦那様、それはいくら何でも早すぎます」
長年店に勤めるカヨさんが止めようとする。
「従業員は黙っていろ。これは親子の問題だ」
父が俺に関わろうとしたのは、これが初めてだった。
これまで抱かれたことも、手をつないだこともない。
昨日のことを考えれば、素直に信用するべきではないのだろう。
それでも、剣を通してなら父との関係を変えられるかもしれないという期待が、わずかに残っていた。
「僕、やってみるよ」
「ヒサミツ坊ちゃん……」
「本人もこう言っている。行くぞ」
父は俺を連れ、店の向かいにある道場へ向かった。
道場には、父を慕う門下生たちが集まっていた。
父は握り方も構え方も教えず、俺の足元へ木剣を投げる。
「拾え。実戦形式で稽古をつけてやる」
「最初に構えを教えてくれないの?」
「戦う時、敵が親切に教えてくれると思うのか?」
言い終わる前に、父が踏み込んできた。
――バシッ!
「うっ!」
受け止めようとした木剣ごと弾かれ、俺は床を転がった。
「遅い。商売では口が回っても、剣の才能はないようだな」
ようやく父の目的が分かった。
俺を鍛えたいのではない。
昨日、お客さんと祖父から認められた俺を、門下生たちの前で痛めつけたいのだ。
「立て。笑って客に媚びるだけで、俺から店を奪えると思うな」
父が再び木剣を振り上げる。
視線は俺の右肩へ向き、踏み込む足はわずかに外側を向いている。
(右から来る)
前世では、取引相手の視線や呼吸、指や手の動きから、次に何を言うかを読むようにしていた。
その癖のおかげで、父がどこを狙っているかは分かる。
だが、五歳の身体が考えたとおりに動いてくれない。
木剣を避けきれず、左腕に重い一撃を受けた。
「痛っ!」
痺れた手から木剣が落ちる。
門下生の一人が、小さく笑った。
「さあ、拾え。跡取りがその程度では、アテナ屋が笑われるぞ」
父は正しい稽古を装いながら、自分の怒りを俺へぶつけている。
前世の俺は、職を失うのが怖くてパワハラにも耐え続けた。
だが、これは我慢してよいものではない。
「店のためじゃない」
「何?」
「父さんは、僕に跡取りを取られるのが怖いだけだ」
父の顔から、薄い笑みが消えた。
「……商売の邪魔になるだけなら、お前などいない方がましだ!」
木剣の切っ先が俺の喉を目掛けて飛んでくる。
避けられない。
そう思った瞬間、横から別の木剣が飛び込み、父の一撃を弾いた。
――ガン!
「そこまでじゃ、ラグナ!」
俺と父の間に祖父が立っていた。
道場の入り口では、カヨさんが青ざめた顔でこちらを見ている。
「子供の喉を本気で突こうとするなんて、どこが稽古じゃ!」
「親子の問題だ。あんたには関係ない」
「ヒサミツは、わしの孫でもある。これ以上続けるなら、道場から出ていけ!」
祖父の怒声を受けても、父は木剣を下ろさない。
今ここで祖父に守られて終われば、父は自分が負けたとは思わない。
次は誰にも見つからない場所で、同じことを繰り返すかもしれない。
「祖父ちゃん。稽古の延長じゃなく、祖父ちゃんが仕切る試合として、しっかりと始めて勝負したい。じゃないと父さんも納得がいかないと思うんだ。だから決着を付けさせてください、お願いします!」
祖父は長い間、俺と父を交互に見ていた。
「分かった。じゃが条件がある。わしがいつでも二人に手の届く位置に立つ。互いに頭と急所への攻撃は禁止。一度でも決め事を破れば、その場でわしが叩き伏せる」
祖父は父の持つ木剣を取り上げ、ひびや重さを確かめてから返し、父を鋭い目で見つめる。
「分かったよ、祖父ちゃん」
「ふん、話が付いたならさっさと準備をしろ」
祖父は道場の壁に掛けてあった小ぶりな刀を外し、俺の前へ差し出す。
「これは東方から手に入れた、刃引きの刀じゃ。お前の名の由来となった刀と同じ形をしておる。これを持って存分にやってみるがいい」
「ありがとう、祖父ちゃん」
「ヒサミツにはこの刃引きの刀を持たせる。お前は木剣のままでよいか? ラグナ」
「木剣で十分だ。しかし親父。刃引きとはいえ刀は刀。重さで振り回されるんじゃないか?」
左手を何度か開いて閉じる。痺れは引いていたが、打たれた腕には鈍い痛みが残っていた。
父の言う通りかもしれないと思いつつ、柄を握った瞬間、刀の重さが手に馴染んだ。
足の置き場所も、腰の向きも、誰かに教わったように自然と分かる。
軽く振る。
――ビュン!
刃引きの刀が鋭く空気を切り、道場から声が消えた。
(なんだ、これ。木剣の時とは、まるで違う)
先ほどまで見えているだけだった父の動きに、今なら身体が追いつく。
そんな確信があった。
俺は刀を構え、父と向き合った。
「刀などというマイナーな武器で、どうなる!」
「始め!」
祖父の合図と同時に、父が床を蹴った。
木剣が俺の右肩へ振り下ろされる。
先ほどなら、見えていても避けられなかった一撃だ。
だが今は、刀を握る手に引かれるように身体が動いた。
――ブン!
「なぜ避けられる!?」
半歩ずれただけで、木剣が鼻先を通り過ぎていく。
大人と五歳児では、力も間合いも違いすぎるうえ、左腕にはまだ痛みが残っている。
正面から打ち合えば刀ごと俺が弾かれるだろう。
父の剣を受ける前に止めるしかない。
「小賢しい!」
父が横薙ぎに切り返そうとした瞬間、鍔に近い部分を刀の峰で叩いた。
――カン!
「くっ!」
振り切れず、父の上体が泳ぐ。
俺は低い姿勢のまま踏み込み、右足首を打った。
「ぐあっ!」
父の膝が崩れる。
それでも振り下ろしてきた木剣を横へ流し、すれ違いざまに右手首へ峰を当てた。
「あっ――」
鈍い音とともに、父の指が開く。
床に落ちた木剣が、乾いた音を立てて転がった。
「勝負ありじゃ!」
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