第8話 【炊き出し行ったらゾンビに囲まれたので推しを背負って逃げます】
翌朝。カーテンの隙間から差し込む光で、湊はゆっくり目を覚ました。
「……んぅ……」
ぼやけた視界の中、すぐ近くにルナの寝顔がある。
髪が少し乱れていて、口元がほんの少しだけ開いていた。
「なんか……平和だなぁ……」思わず呟く。
世界は終わってるのに、この部屋だけ普通すぎた。
その時。ルナの眉がぴくっと動く。
「……んぅ……見てるな……?」
「うわっ、起きてた!」
「乙女の寝顔をニヤニヤ見てましたねぇ〜?」
「いや違う!確認してただけ!」
「何を?」「生存を……」
「あははっ!寝起きで死ぬか!?」
ルナは笑いながら布団を頭まで被る。
「ねむ〜い……」
「でも今日は炊き出し行くんでしょ?」
「うぅ……昼間の社会参加いやだぁ……」
「終末世界で引きこもり宣言しないで?」
「元引きこもりに言われたくない。だって外ゾンビいるし……」
「引きこもりじゃなくてニートね。まぁそれはそうなんだけど…」
二人はもぞもぞと起き上がる。狭い部屋。小さな生活音。それだけで、少し安心した。
◇◇◇
「ねぇ、これ変じゃない?大丈夫?」
ルナが大きめのパーカー姿でくるっと回る。
「ん?可愛い」「雑っ」
湊はリュックへ荷物を詰めながら笑う。
「いやほんと可愛いって」
「はいはい。で、私は?」「最強の推し」
「はいぃ〜、テンプレ回答いただきました〜」
ルナは呆れた顔をしながらも、少し嬉しそうだった。そのまま二人は玄関へ向かう。
「よしっ……行きますか」
「怖かったら手繋いでいい?」「えっ、いいの!?」
「嫌ならいいけど?」「繋ぎます!!」
「あははっ!即答〜」
◇◇◇
マンションの外へ出ると、朝の空気は静かだった。
静かすぎるくらいに。遠くで車の音。どこかで誰かの悲鳴。そして、呻き声。
「うわぁ……いた」道路の向こう。
ゾンビが数体、ふらふら歩いている。
「ほんともう普通の景色みたいになってきたな……」
「この景色慣れたくないんだけど…ちゃんと守ってよ!」二人は周囲を警戒しながら歩き始めた。
すると前方で、突然、「いやっ!!離して!!」女性の悲鳴。
「っ!?」ルナが肩を震わせる。
交差点の向こう、一人の女性が転倒し、ゾンビに腕を掴まれていた。
「いやっ!た、助けてぇ!!」
「うわっ……」湊が目を見開く。
ゾンビは女性へ噛みつこうとしている。
周囲にはさらに数体。
「湊っ……!」「……大丈夫」湊は小さく息を吸った。「ちょっと行ってくる」「えっ!?危な……てか一人にすんな!」
止める前に、湊は走り出していた。
「おぉぉぉい!!」わざと大声を出す。
ゾンビたちが一斉に湊の声に反応した。
「ぅぅぅ……!!」
「はい、ゾンビちゃん!みんな注目〜!!」
湊は近くの看板を思いきり蹴飛ばす。
ガァンッ!!爆音。ゾンビたちが完全に音へ釣られる。
「うわっ、めっちゃ来る!!」湊は笑いながら道路を走る。「こっちだバーカ!!」ぞろぞろとゾンビが追う。だが、誰一人として湊を認識できない。
「な、なにあれ……」女性が呆然と呟く。
その隙に、ルナが駆け寄った。
「今のうち!立てる!?」
「は、はい……!」ルナが女性を支える。
一方その頃。「うわっ、近っ!!」
湊はギリギリでゾンビを避けながら笑っていた。
「これ、側から見たら俺一人鬼ごっこしてる変人だな!?」
そして角を曲がった瞬間、近くのシャッターを蹴る。
ガンッ!!!!さらに大きな音。
ゾンビたちは一斉にそちらへ群がった。
「よしっ」湊は息を吐き、ルナたちの元へ戻る。
「お待たせ〜」「もうっ……」ルナが半泣きで睨む。
「無茶しないでよ……一人にしたし!」
「ごめんごめん。いや〜、でも上手くいったし」
「結果論!!」その横で、助けられた女性が何度も頭を下げていた。
「ありがとうございました……本当に……」
湊とルナは笑顔で顔を見合わせる。
でもその時。遠くから、低いエンジン音が聞こえてきた。重たい車両音。規則正しい足音。
「……あれ」交差点の向こうに迷彩服の集団が見えた。
◇◇◇
炊き出し会場へ近づくにつれ、空気が変わっていった。
「……なんか、ちゃんとしてる」ルナがぽつりと呟く。
道路にはバリケード。大型車両。迷彩服の自衛隊員たち。周囲には簡易フェンスが張られ、入口では厳しく人を確認している。そのさらに外側では、近づいてきたゾンビが数体、自衛隊員によって素早く制圧されていた。
パンッ!!乾いた銃声。ゾンビが崩れ落ちる。
「……うわ」湊が少し目を丸くする。
「ガチ防衛ラインだよ…映画みたい……」
「いや、もう映画越えてるって」
二人は列へ並ぶ。周囲には、疲れ切った顔の人たちがたくさんいた。
子供を抱いている母親。毛布にくるまって震えている老人。スマホを見つめたまま泣いている女の子。
みんな、“普通の日常”を失った顔をしていた。
その中で、湊とルナだけが少し浮いて見える。
「……ねぇ」ルナが小声で言う。
「私たち、ちょっと元気すぎない?」
「うん。昨日二人でお風呂でイチャイチャしてた人達だからね」「最低な説明やめて」小さく吹き出す。
やがて二人の番が来る。
「お一人ずつお願いします」
自衛隊員が落ち着いた声で案内する。
配られたのは、水、レトルト食品、おにぎり、簡易毛布。
「おぉ……」湊が少し感動した顔をする。
「これ無料?」「今そこ?」
「いやだって、“炊き出し”ってもっとこう……お鍋からカレーもらう感じかと」「炊き出しの偏見すごいな」
ルナはおにぎりを見つめる。
「……鮭だ…」「テンション低っ」
「梅がよかった」「そんな贅沢言う時じゃないでしょ!」
でも、そのやり取りを聞いていた近くのおばちゃんが、ふっと笑った。
「若い子が笑ってると安心するねぇ」
二人は一瞬きょとんとして、それから少しだけ照れくさそうに笑った。
◇◇◇
物資を抱えながら、二人は会場の隅へ移動する。
「湊、思ったより人いるね」
「うん。みんな避難してきたんだろうね……」
その時だった。ざわっ。空気が揺れた。
「……ん?」湊が顔を上げる。
遠く。フェンスの向こう側。何かが、いた。いや、“大量に”。
「……あれ…ヤバくない…?」ルナの声が震える。
ぞろ、ぞろ、ぞろ。
建物の隙間。道路の奥。曲がり角。
ゾンビ。ゾンビ。ゾンビ。明らかに数が違った。
「おい……嘘だろ……」湊の顔から笑みが消える。
次の瞬間。「総員警戒!!」自衛隊員の怒号。
サイレン。怒鳴り声。一気に張り詰める空気。
そして、ゾンビたちが一斉に走り出した。
「うわぁぁぁぁっ!!」「きゃあああっ!!」悲鳴が爆発する。
パンッ!!パンッ!!銃声が連続で響く。
前列のゾンビが倒れる。
でも後ろから、さらに押し寄せてくる。
「数が多すぎる!!」「フェンス持たないぞ!!」
ガンッ!!ガガガンッ!!フェンスが歪む。
「……っ」ルナが湊の服を掴む。
次の瞬間。フェンスが倒れた。
「全員逃げろぉぉぉ!!」
そこからは地獄だった。
人が押し合う。泣き声。悲鳴。転ぶ音。
ゾンビが雪崩れ込んでくる。
「湊っ!!」「ルナちゃん!こっち!!」
二人は必死に走る。だが、すぐに前後をゾンビに囲まれた。
「……っ」ルナの顔が青ざめる。
「湊……」「大丈夫!」「違う、聞いて」ルナは震える声で言った。
「……あんただけなら逃げられる」「は?」
「だから……早く逃げなよ……」
一瞬、湊が固まる。そして、
「な〜〜〜んでそういうこと言うかなぁ!!?」
「えっ!?」「絶対二人で帰るから!!」
湊が近くの看板を蹴り飛ばす。
ガァンッ!!ゾンビたちが一斉に音へ反応する。
「うわっ来た来た来た!!」
「だから何でテンション上がってんの!?」
「だってルナちゃん置いて帰ったら俺もう生きる意味ないし!!」「重っ!!」
湊は近くのゴミ箱を倒し、さらに別方向へ缶を投げる。ゾンビたちの動きが少し散る。でも、数が多すぎた。
「っ……無理でしょ…」ルナが息を呑む。
逃げ道が、ない。その時だった。
「……あ」湊が何かを見る。
近くに落ちていた、大きなブルーシート。
「……これだ!」湊はそれを掴むと、ばさっと広げた。
「ルナちゃん!!」「えっ!?」
「乗って!!」背中を向ける。
「は!?」「早く!!逃げるよ!!」
ルナは一瞬だけ迷って、すぐに湊の背中に飛び乗った。
「うわっ、近っ!!」「乗れって言ったのに?!」
湊はブルーシートを背中へ被せる。
すると、ルナを狙っていたゾンビたちの動きが、止まった。
「……え?どうなった…」ルナが目を丸くする。
ゾンビたちはキョロキョロしている。
でも、二人を認識していない。
「ふふ!やっぱり!!」湊が笑う。
「視界ごと遮れば、触れてる相手も見えなくなるんだ!!」
「いや今そんな冷静に分析してる場合!?」
「ていうかルナちゃん重っ!!」
「はぁ!?」「いや、お米!水!ルナちゃん!全部込みで重い!!」
「おまっ、愛しの推し背負って最初にそれ言う!?最低!!」「あははっ!!ごめんって!!」
二人はブルーシートを被ったまま、ゾンビの群れをすり抜けて走り出した。
◇◇◇
ブルーシートを頭から被ったまま、湊は全力で走っていた。
「っはぁ……はぁ……!」
「ちょ、ちょっと待って……揺れるっ!落ちるっ!」
背中では、ルナが必死にしがみついている。
「いや無理っ!止まったら死ぬ!あとぷにぷにが味わえない!」
「それはそうだけど重力ぅぅ!!あと、ぷにぷにはあとで味合わせてあげるから今は集中しろ!ばかやろう!」
二人の背後では、まだ銃声と悲鳴が響いていた。
パンッ!!パンッ!!『下がれ!!』『こっちだ!!』地獄みたいな声が遠ざかっていく。
でも、二人は止まらない。
「湊、右!右行って!」「了解っ!」
湊は角を曲がる。すると前方にゾンビが数体。
「うわっ!前もいる!」「えっ!?」
だが、ブルーシートを被った二人にゾンビたちは気付かない。呻きながら、別方向へ歩いていく。
「……すご、マヂで無敵…」ルナが小さく呟く。
「ね?俺の能力チートでしょ?」
「今さらだけどほんと意味分かんない」
走る。曲がる。また走る。途中、湊がふらついた。
「うおっ!?」「ちょっ、大丈夫!?」
「……ルナちゃん、やっぱ重い……」「また言った!!」ばしばし背中を叩かれる。
「いやだって!水!お米!推し!フル装備なんだもん!」「推しを荷物枠に入れるな!」「あははっ!!」笑う。こんな状況なのに、笑ってしまう。
ゾンビだらけの街を、二人だけ別の空気で駆け抜けていく。
◇◇◇
マンションへ辿り着いた頃には、二人とも汗だくだった。
「っはぁぁぁ……」湊は壁へ寄りかかる。
「し、死ぬかと思った……」「いやほんとにね……」
ルナもへろへろになりながら笑った。
「てかさぁ」「ん?」
「あんた、私背負って逃げる時ちょっと嬉しそうだったよね?」「えっ?」
「なんか、“イベント発生!”みたいな顔してた」
「いやいや!してない!」「してた♡」ルナがにやにや笑う。
「でもまぁ……」少しだけ視線を逸らす。
「ちゃんと二人で帰って来れたのは、嬉しかったよ」
一瞬。湊の動きが止まる。
「……それ今言う?」「なに?」
「推しにそんな顔で褒められたら惚れるんだけど」
「もう惚れてるだろ♡」「えっ?バレてたの?」
「「あははっ!」」二人で笑う。
でも、そのあと、湊はマンションの外をちらっと見た。遠くで煙が上がっている。悲鳴も、まだ聞こえる。さっきまで安全だった場所が、一瞬で崩れた。
「……ねぇ」ルナが小さく聞く。
「ん?どうしたの?」「もう……この辺も危ないかな」
湊は少しだけ黙る。今日までは、ここが“隠れ家”みたいに思えていた。でも、もう違う。
「……うん」湊は静かに頷いた。
「そろそろ……引っ越し考えないとかな?」
ルナの表情が、少しだけ強張る。
世界は、確実に狭まっていた。
安全な場所なんて、もうどこにも残っていないみたいに。
続




