第6話 【推しの嬢から指名写真が来たので、俺は帰ることにした】
マンションの外へ出て、歩き出した湊は小さく深呼吸した。
「ふぅぅぅ……よし」朝の空気は妙に普通だった。
青空。風。遠くの鳥の声、なのに世界だけが壊れている。
道路には放置された車。開けっぱなしの店。誰かの荷物。そして、そこら中に“いる”、ゾンビ。
「……うわぁ…いるぅぅぅ!やっぱ一人で来てよかった…ルナちゃんいたら守り切れる自信が……」
ただ、昨日まで想像していた“ゾンビ映画”とは少し違った。
道路の真ん中をふらふら歩くやつ。
日向でぼーっと座ってるやつ。
コンビニ前で寝転がってるやつ。
「なんだかなぁ…あいつらも襲う相手いないと自由なんかい!」湊は思わずツッコむ。
「あれ何?昼休み?」ベンチに座って動かないゾンビを見る。「疲れた営業マンスタイルじゃん」
その瞬間。「……ぅぅ……」
ゾンビがこちらへ顔を向けた。
「うわっ、反応した」湊はぴたりと止まる。
ゾンビは鼻をひくつかせるみたいに辺りを見回す。
でも、視線は湊を捉えない。
「……見えてない?よね…?」
試しに手を振る。「お〜い!ゾンビ〜」
「ぅぅぅ……」反応はする。でも、分からない。
音だけ聞こえてるみたいだった。
「ふぁぁぁ!何これ」湊は少しテンションが上がる。
「やっぱ俺、ステルス主人公?」少し調子に乗る。
「ふっ……愚かなゾンビ共よ」両手を広げる。
「残念だったな!俺は見えない男。やめろ!俺の目を見るな…地獄の業火に焼き尽く、、」ガッ。
「いっっっった!?」調子に乗って縁石に足をぶつける。「痛ぁぁっ!!」その場で片足ぴょんぴょん。
「いやここで縁石違うじゃん!今かっこよく決める流れだったじゃん!?」一人でノリツッコミ。
すると、近くのゾンビたちが一斉に声へ反応する。
「ぅぅぅ……」
「うわっ、来る来る来る!」慌てて口を押さえる。
だが、やはり湊は見えてはいない。
近くまで来ると、キョロキョロしたあと別方向へ歩いていく。
「……なんだこれ」湊は少し真顔になる。
「マジで無敵じゃん……」
そして湊は歩き続ける。でも、、
「ふぃ、ふぃぃ……いや」数分後。
「はぁ……はぁ……」湊は普通に疲れていた。
「運動不足のニートには徒歩四十分はキツいって……前はなんかアドレナ出てすぐ着いたけど…着替え取りじゃアドレナ出ないって!」膝に手をつく。
「無敵なのに体力は据え置きなの終わってるだろ……」悲しそうに呟く。
すると遠くから、車のクラクション。
湊が顔を向ける。一台のワゴン車が、猛スピードで交差点を曲がっていく。後部座席には子供。
助手席では、泣きながらスマホで誰かに電話している女性。
「……うわぁ…」
車はそのまま信号を無視して走り去っていった。
後ろから数体のゾンビが追いかける。
でも、すぐに置いていかれる。
「逃げれる人は逃げてるんだな……後で車見つけようかな…」そう呟いた直後、目に飛び込んだ光景に驚く。「……いや、ちょい待って…」
反対側の歩道。スーツ姿の男が、コンビニ袋を片手に歩いていた。
「えっ?嘘でしょ?無防備すぎるって…」
普通に会社員。ネクタイ。社員証。くたびれた革靴。しかも電話してる。
『はい……はい、今向かってます……』
「いや会社行くんだ!?」湊は思わずツッコむ。
『あの〜電車止まってるので少し遅れます……あと、これ通勤中に怪我したら傷病手当使えますよね…?」
「いやいや、そこじゃねぇだろ!!」
男の後ろを、ゾンビがふらふら歩いていく。
でも男は気付いていない。
「社畜強すぎるだろ……」湊はちょっと引いた。
その時だった。
「あっ……」道端に、乗り捨てられた自転車。
湊の目が輝く。「……いやでも」腕を組む。
「人の物に勝手に乗るのはダメでは?」
少し考える。
「これ乗って行っちゃったら困る人いるかもだし……」
悩んだ数秒後、、湊が一人芝居を始める。
「いやでも今ゾンビ世界だし!乗って行っちゃいなよ!」「ダメ、ダメだよ湊くん!」急に一人二役を始める。
「湊君が乗って行くことで持ち主さん困っちゃうかもしれないよ!?」「えぇぇぇ、でも徒歩キツいよぉ!!」「だめ!人として大事なもの失うよ!?」
「あはは!昨日コンビニ無銭した人が何言ってんだ!こんな世界だ、自転車ぐらい借りちまえ!」一人でハッとなる。
「……確かに」少しの沈黙。
「……少しだけ借ります」結局、乗った。
「おぉぉぉぉ!!早いぃぃぃ!」立ち漕ぎ。爆速。
「文明最高ぉぉぉぉ!!」
風を切る。めちゃくちゃ気持ちいい。湊はテンションが上がり叫ぶ。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」その瞬間。
周囲のゾンビたちが、一斉に反応した。
「ぅぅぅぅっ!!」「えっ?ヤバ」
ぞろぞろぞろ。大量のゾンビたちが湊の方向へ動き出す。
「うわぁぁぁ!!なんかゾンビフェス始まったぁぁぁ!!」ゾンビ狂喜乱舞。なのに湊本人だけは、ゾンビたちに見えていなかった。
立ち漕ぎで爆走する湊の横を、風景が流れていく。
「っははははっ!!」風が気持ちいい。
終末世界なのに、妙に爽快だった。
その後ろでは、ゾンビたちが音に釣られてわらわら集まっている。
「うわっ、めっちゃ来る!」湊は笑いながらペダルを踏み込む。
「ごめんなさいね〜!俺のこと見えてませんね〜!」
ゾンビたちは呻きながら追う。でも視線は定まらない。
「いやほんと何なんだよこの能力……」
そんなふうに笑っていた時だった。
ふと、前方に見覚えのある車が見えた。
「……あ」
道路脇に突っ込むように止まっているミニバン。
フロントガラスは割れている。湊はゆっくり自転車を止めた。
「……この車って…」
見覚えがあった。近所の家族の車だ。
よくスーパーで会っていた。小さい子供がいて、騒がしかった家。車の周囲には黒ずんだ血。そして、少し離れた場所。
「……」倒れている人影。もう、動いていない。
いや、“動いてしまっている”。子供だったもの。
母親だったもの。
「……そっか…逃げられなかったんだ…」湊は少しだけ目を伏せた。何か言葉を探した。でも、何も出てこなかった。
ただ、自転車を押しながら横を通り過ぎる。
「……」風だけが吹いていた。
◇◇◇
数分後、、「……よしっ!」湊、復活。
「落ち込みすぎても仕方ない!」
そう言いながら、目の前のゾンビを見る。
「ということで実験ターイム☆」
キキィィッ!!自転車を目の前でドリフト気味に止める。ゾンビ、「ぅ?」みたいな顔でキョロキョロ。
「っふはははは!!鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔してるっ!!」湊、大爆笑。
「よしっ!見えてない見えてない!」調子に乗る。
自転車に乗りながら、ぺちーん。ゾンビの頭を軽く叩く。「ぅぅぅ!?」ゾンビ混乱。
「ぶはっ!ごめんごめんっ!」湊は腹を抱えて笑う。
「いやほんと何なんだよこれぇ!」
ゾンビは完全に音だけを追って、明後日の方向へ歩いていく。
「いや〜、、無敵すぎる……」
そして、、「……あ…到着、」
先に見えてきた景色に、湊の表情が少し変わる。
「着いた。……家だ」
◇◇◇
自宅前。湊はゆっくり自転車を降りた。
まず最初に、辺りを見回す。
「……母さん?」あの時、家の前にいた母親のゾンビ。でも、もうどこにもいなかった。
「……そっか…家に入れといてあげればよかったな…」小さく呟く。
そして、玄関へ向かった。ガチャ。扉を開ける。
「……ただいまぁ……」当然、返事はない。
家の中は、あの日のままだった。
テレビはつけっぱなし。
ニュースキャスターが、疲れた顔で何かを話している。
『現在も各地で、、』
テーブルには、食べかけのチャーハン。
水の入ったコップ。湊が、途中で止まった生活。
「……」湊は静かにテレビを消した。
部屋から音が消える。そのまま、自分の部屋へ向かう。
◇◇◇
部屋は何も変わっていなかった。
脱ぎっぱなしの服。ゲーム。充電器。
「……はは」妙に現実感がない。
湊は無言でリュックを開き、服や下着を詰め始める。数日分を適当に。
途中で、スマホを取り出した。
父親へ発信する。プルルルル。プルルルル。プルルルル。出ない。もう一度かける。出ない。
「……」しばらく画面を見つめてから、小さく呟く。
「……生きてないのかな……」返事は、もちろん誰からも無かった。
◇◇◇
リビングへ戻る。壁に飾られた家族写真。
少し前の、自分たち。旅行。誕生日。笑っている母親。
「……」湊は数日前にした喧嘩を思い出す。
『いい加減ちゃんと働きなさい!』
『うるさいなぁ!』
あんなに嫌だったのに。今は、少し懐かしい。
湊は椅子に座り、ぼーっと天井を見上げた。
静かだった。その時。ピコン。湊の携帯に通知音。
「……ん?父さんかな?」スマホを見る。
ルナからだった。
『生きてますかぁ〜?こちらは退屈で死にそうでぇ〜す!』さらに添付画像。
店で使っていた頃の、手で片目を隠したセクシーな指名用写真。
「っはははっ!」湊は思わず吹き出した。
「この写真、今使う!?」一人ツッコミ。
さっきまでの重たい空気が、少しだけ軽くなる。
湊はすぐ返信した。
『着替え無事に回収しました。今から買い物して帰るね。あとこの写真の子を指名したいんですが。笑』
そして、泣いてる猫のスタンプを送る。
数秒後。『あははっ!犬じゃなくて猫なんかい!!早く帰って来ないと写真の子は予約で埋まります。人気なんで♡笑』
「あはははっ!」湊はまた同じ猫スタンプを送った。
少しだけ笑う。そして、立ち上がる。
「……さぁて」リュックを背負う。
「帰りますか!」玄関へ向かう。
外へ出る前、一度だけ振り返った。
静かな家。誰もいないリビング。
「……じゃあね」小さく言う。
そして扉を静かに閉めた。
◇◇◇
自転車に跨り、ペダルを踏む。
向かう先は、もう決まっていた。
ルナのいるマンション。湊は少しだけ笑う。
帰る場所を思い浮かべ、ニヤニヤしながら、自転車を走らせた。
途中のコンビニで、ルナに頼まれていたお菓子を適当にカゴへ放り込む。
「エクレア、プリン、ポテチ、炭酸……」
メモを見ながら苦笑する。
「おつかい内容が尊すぎるんだが…」
ついでに、自分用のカップ麺も入れる。
レジは当然、誰もいなかった。
「すいません。こんな世界なんで……いただきますってことで」
そして湊はまた自転車を漕ぎ、ルナの待つマンションへと帰って行った。
続




