第5話 【世界が終わったのに推しの嬢が“早く帰ってきてね”って俺に言うんだが
マンションへ戻った頃には、二人とも汗だくだった。
玄関のドアを閉めた瞬間、、
「っはぁぁぁぁぁ〜〜〜……」
湊がその場に崩れ落ちる。
「ルナちゃん。生きて帰って来れたねぇぇぇ……」
「あははっ!あんた大げさ」ルナは笑いながら靴を脱ぐ。
「いや、ルナちゃん。今回ほんと危なかったからね!?」
「はいはい。わかってます」
「申し訳ないけど警官ゾンビとか、“目バッキバキ”だったし!」
「あははっ!助けてもらってこんなこと言うのは悪いんだけど、あれはちょっと怖かった」
荷物を置きながら、湊がどや顔する。
「でも俺、結構カッコよくなかった?」
「ん〜……まあ?」「おっ」
「三秒くらいかな?」「短っ!!」
「でもさ」ルナが少しだけ笑う。
「ちゃんと戻って来たのは、えらい。私のこと置いて逃げちゃってもおかしくなかったのに…」
「あははっ!置いて逃げるなんて考えてもなかったよ。それより……今、俺、推しに褒められた」
「あははっ!そこ?嬉しそう過ぎるでしょ!」
「いやいや!嬉しいでしょ?!さっきまで普通に死ぬかと思ったからね!?」
「はいはい、無敵君はよく頑張りました〜」
ぽんぽん、と頭を軽く叩かれる。
「……えへへ」「なんで照れてんのよ」
「推しに可愛がられてファンサ貰ったので」
「あはは!簡単なファンだなぁ〜。は〜い、ぽんぽん♡」二人で笑いながら、買ってきた袋をテーブルへ広げていく。
「「おぉ〜〜〜☆」」
カップ麺。お菓子。ジュース。レトルト食品。
「めっちゃあるじゃん!」
「しばらく生き延びれそう!」
湊がカップ焼きそばを掲げる。
「じゃーん!見て!これ俺の好きなやつ!」
「あははっ!テンション小学生じゃん!」
「ルナちゃんエクレア多すぎない?」
「エクレアでお腹いっぱいになったら幸せじゃない?」「確かに…そういう食べ方もあったか〜」
「あっ……いやでもさ?」急に真顔になる。
「俺たちお金払ってなくない……」
一瞬、沈黙。
「ぷっ、……いやいや」ルナが吹き出す。
「店員さん居なかったんだから無理でしょ」
「でもなんか罪悪感が……」
「世界が崩壊してるんだよ?」
「それはそうなんだけど!」
湊は頭を抱える。
「俺、ニートで犯罪者で“無敵の人”になっちゃった……」
「違う違う。“無敵の意味”が違う。あれは“緊急時調達”」
「言い方かっこよくしただけじゃん。近所で噂の人になる…」「あははっ!大丈夫!誰も見てないから」
少しだけ。本当に少しだけ、普通の日常みたいだった。
◇◇◇
「くんくん……ん?」ルナがちらっと湊を見る。
「ん?どうしたの?」
「あんた汗くさいな……私もか?」
「えっ?嗅いでいいの?」「えぇぇ、臭いフェチ?」
「違うけど…“推しが臭い”って…興奮しない?」
「それを臭いフェチって言うだよ!」
「もちろんお風呂、入るよね?」
「……はい…今日も一緒に」「いいけど…」
◇◇◇
狭い浴室に、湯気がこもる。
「せっま……」湊がぎゅうぎゅうになりながら呟く。
「はぁ?」向かいのルナが睨む。
「居候君に文句言う権利ないんだけど?」
「いやでも物理的に狭いって!」
「じゃあ、そこ小さくしときなよ♡」
「この状況で無茶言うなぁ!?」
「あははっ!」
膝が当たる。肩が触れる。
湯船は完全に二人用じゃない。
「……てかすっごく近いな…」
「ルナちゃんから入って来たんでしょ」
「それはそうだけど…背中に硬いの当たってるから…小さくしときなって言ったでしょ」
「こいつは俺の言うこと聞かない!どっちかって言ったらルナちゃんの言うことのが聞くんじゃない?あははっ!」
しばらく二人で笑い合う。でも、笑い声が落ち着いたあと、少しだけ、静かな時間が来た。
湯気の向こうで、ルナがぽつりと呟く。
「……ねぇ」「ん?」
「いつまで、こんな生活続くのかな」
声が少しだけ小さい。「……元に戻るのかな」
湊は、少し考える。湯船の中でルナを抱えて、天井を見る。
「……でもさ」「ん?」
「俺はこのままでも、いいかも」
ルナが目を丸くする。「……は?なんで?」
「だってさ…」湊は笑う。
「推しの嬢と毎日一緒にご飯食べて、お風呂入って、一緒に寝てなんて……たまんなくない?」
「うわぁ……」ルナが呆れた顔をする。
「完全に欲に溺れてるじゃん」
「えへへ♡この生活に溺れ死にそうです」
「やかましいわっ!そりゃあんたは無敵だから最高でしょうけど」
「いや、でも」湊が少しだけ真面目な顔になる。
「……一人じゃないの、結構いいよ…。仕事もしないで家にいる時は孤独だったから…。ルナちゃんに頼られるだけで幸せだよ」
一瞬だけ、ルナの表情が止まる。
湯気が、ゆっくり揺れる。
「……っ」ルナはふいっと顔を逸らした。
「な、なんで急にそういうこと言うのよ」
「え?ダメだった?」「ダメじゃないけど!」
耳が少し赤い。「……なんかズルくない?」
「えっ?ずるい?」「そういうの、素で言うとこ」
「……あはは?♡」「ばか、胸揉みながら笑うな!」
ばしゃっ、とお湯をかけられる。
狭い浴室に、また笑い声が響いた。
◇◇◇
湊とルナがお風呂から上がる頃には、部屋の中にほんのり甘いシャンプーの匂いが広がっていた。
「っはぁ〜……さっぱり〜。生き返るぅぅー」
ルナがソファに倒れ込む。
「いや、ほんとにね……」
湊も頭をタオルでわしゃわしゃ拭きながら、力なく座った。
テレビはつけっぱなし。
画面の中では、相変わらず緊急ニュースが流れている。
『現在も各地で暴動が、、』
『不用意な外出は控えて、、』
『感染者と思われる、、』
「ははは……ずっとこれだな」湊がぼそっと呟く。
「そりゃそうでしょ。世界終わりかけてるんだから」
ルナはドライヤーを手に取り、ぶぉおおっと髪を乾かし始める。その姿を、湊はぼーっと眺めていた。
「んっ?……なによ」
「いや、風呂上がりのドライヤー姿の推しって強いな〜って」「うわっ、気持ち悪っ」「あははっ!」
でもルナは、少しだけ嬉しそうに笑っていた。
◇◇◇
しばらくして、二人とも落ち着き、ソファに並んで座る。テレビの光だけが、部屋をぼんやり照らしていた。
「……ねぇ」湊がルナに寄りかかり、ぽつりと口を開く。
「ん?どした?甘えん坊ちゃん、眠くなっちゃった?」
「ん〜、まだ眠くないよ。明日さ、ちょっと家帰っていいかなぁ?って思ってさ…」
ルナが視線を向ける。
「着替え取りに行こうかなぁって思って、ルナちゃんのジャージ借りっぱなしも悪いし…」着ている服をつまむ。
「パンツ一枚しかないし、服もあれしかない」
「あー……」ルナは納得したように頷く。
でも次の瞬間、少し眉を下げた。
「でも、あんた、私を一人にするつもり?」
その声は、冗談っぽいのに、少しだけ不安が混ざっていた。「めっちゃ不安なんだけど……」
湊は一瞬だけ黙る。それから、へらっと笑った。
「さささっ、って行って、すぐ帰ってくるって!こっから歩いて40分ぐらいだし」
「ほんとぉ?すぐ帰って来るぅ?」じーっと見つめられる。
「……」「……」
「……あっ」ルナが目を細める。
「あんた、なんか今エロいこと考えたろ?」
「いやいやいや!!」湊が勢いよく首を振る。
「そんなことはない!断じて!……少しだけ…」
「ふふっ」ルナが吹き出す。
「あははっ!嘘!意地悪しただけ☆」
「なんだよぉ……」肩の力が抜ける。
ルナは小さく笑ったあと、
ほんの少しだけ優しい声で言った。
「……でも、早く帰ってきてね☆一人だとつまんないから!」
一瞬。湊の表情が止まる。
「……うん…俺も一人じゃつまんない」
その返事は、今までで一番素直だった。
「よしっ!楽しいことして寝よっか♡」
「うん。楽しいことして寝る♡」
◇◇◇
その夜二人は自然な流れみたいに同じベッドへ入った。もう、狭いとか近いとか、そういうのを気にする空気じゃなくなっていた。
外では時々、遠くで何かが叫んでいる。
でも、この部屋だけは静かだった。
「……ねぇ…湊」「ん?」
「明日、本当にちゃんと帰って来てよ…」
「大丈夫。帰ってくるって」
「絶対?」「絶対!」「100%?」「100%!」
ルナは少しだけ安心したように目を閉じる。
「……なら、いいや。これ以上言うとキモいからもう我慢する…」
「全然キモくないよ」「あんたがキモい」
「えっ?キモかった?」「嘘、キモくない」
そのまま、ぴとっと湊にくっつく。
「うわ、さっきより近っ」
「嫌?」「……嫌じゃない」「ふふっ」小さな笑い声。
世界は壊れているのに、この部屋だけ少しだけ平和だった。
◇◇◇
次の日の朝。湊は静かに準備を整えていた。
「よし……」ルナに借りたリュックを背負う。
ルナは眠そうな顔でソファからこちらを見ていた。
「……あ、そうだ」「ん?」
「もしコンビニ寄れたらさ」メモを差し出してくる。
「エクレアとプリンとポテチと炭酸」
「いや完全に“背徳お菓子タイム”じゃん」
「こういう時こそ日々の幸福度が大事なの!」
「あははっ!了解しました」メモを受け取る。
「……あっ、待って」ルナが急に声を上げる。
「ん?どうした?」
「もし途中で死にそうになったら絶対連絡して」
「いや、その連絡出来る時点でまだ余裕あるでしょ」
「じゃあ、“死にそうだよスタンプ”送ってよ」
「あははっ!どんなスタンプだよ」
「あははっ!なんかあるでしょ!泣いてる犬とか!」
「いやいや、ゾンビに追われながら泣いてる犬のスタンプ探すの嫌すぎるって」
「え〜、でも私が送って既読つかなかったら不安じゃん」
少しだけ間。「……ちゃんと帰ってくる?」
今度の声は、いつもより小さい。
湊は頭をかきながら笑う。
「帰ってくるって」
「絶対?」「絶対!」
「……なら、許す」「何目線なんだよ」
「あははっ!では、ルナは大人しく家で待ちます」
ニッコリ笑って敬礼する。ルナが少しだけ間を空ける。「気をつけてね♡」
湊は軽く手を上げた。
「任せて。俺、無敵だからな」
「それ、自分で言い出すと急に不安になるんだけど」
「ひどっ」二人で少し笑う。
そして、湊はドアノブに手をかけた。
「……行ってきます」
「……いってらっしゃい」
扉が開く。外の空気は少し生温かった。
湊は深く息を吸う。静かな廊下。
遠くから聞こえる、不気味な呻き声。
「……今日も見えない一日でありますように」
湊は小さく呟いた。そして湊は、自宅へ向かって歩き出した。
続




