第35話 【どれだけ世界が壊れても、月明かりと波音と推しの心音は壊れない】
夜の道路を、軽トラが爆音を立てて走っていた。
ブロロロロロロロ……!!ハンドルを握る大野の額には汗が滲んでいる。「どこ!?どこに逃げるんですかこれ!!」叫ぶ。隣では藤堂が娘を抱きながら落ち着いた顔をしていた。「取り敢えず子供乗ってるんで、安全運転でお願いします」「えっ?そんなこと言ってる場合か!?」「いやでも急ブレーキは危ないです」「いやいや、今一番危ないの後ろから来る軍隊だから!!」「うん。確かに」「納得すんな!」軽トラは夜道を蛇みたいに走る。荷台では風を切りながら湊たちが揺られていた。
◇◇◇
その頃、市役所前。巻島たちは追撃準備を整えていた。ジープのエンジンが唸る。ブロロロロ……。隊員の一人が不安そうに振り返った。
「巻島隊長!!アンナさんは……」少し離れた地面。アンナが倒れている。肩口から血を流し、全身を痙攣させていた。
「アンナさんを置いていくんですか!?」巻島はちらっと見る。「大丈夫だ…少し待ってろ」短く言った。
その瞬間だった、、アンナの指が動く。震える手で白衣の内ポケットを探る。取り出したのは一本の注射器だった。迷いなく首筋へ突き刺す。ブスッ。数秒の沈黙。隊員たちが息を呑む。そして、アンナがすっと立ち上がった。
「……っ!?」血走った目の焦点が戻っている。足元で暴れていた釣りゾンビを無言で蹴り飛ばした。ドゴッ!!巻島が叫ぶ。「アンナっ!早く乗れ!!置いてくぞ!!」アンナが眉間に皺を寄せる。「うるさいなぁ、巻島……」白衣の袖で血を拭い聞こえないように呟く。「はい、今行きますよ」そして小さく答えた。
ジープに向かいながら「……くそっ!また“ゾンビの向こう側”が見えなかったな……」と目を細めた。
アンナがジープに飛び乗る。三台のライトが一斉に夜道を照らした。ブロロロロロロ!!市役所から走り去る。静寂。残された釣りゾンビがゆっくり起き上がる。口を震わせる。「ぁぁ……ひん……うむ……」ふらふらと立ち上がり、海の方へ歩き出した。「……あるほぬ……ぅぅぅ……」そして夜の闇へ消えて行った。
◇◇◇
軽トラの荷台に大野が窓を開けて叫ぶ。
「豪鉄さん!!どこ向かうんですかっ!!」豪鉄が首を傾げた。「んぁ?」呑気に鼻をほじる。「どこって……みんな、家帰るんじゃろ?」大野が絶叫した。
「何を呑気なことを!!絶対追ってきますよ!!巻かないと!!」豪鉄が腕を組む。「んー……どうするって言われてもなぁ…?」全員を見る。湊とルナ。ぴったりくっついていた。湊が服の上から胸元をハムハムしてる。
「……」豪鉄が目を逸らす。その隣。サヤカが胸を押さえていた。赤い顔で苦しそうに息をしている。豪鉄が青ざめた。「どうした!?サヤカ!!怪我か!?」サヤカが苦しそうに呟く。「……お爺ちゃん…怪我じゃない…ないんだけど…」胸をギューっと押さえる。
「健二郎さんを見ると……ここが……キューって……なんか変だよ…」
全員、「「「…………」」」ルナがぽつり。「恋しちゃってんじゃん」サヤカが止まる。「えっ?……これが……恋……」そっと健二郎を見る。目が合う。直視出来ない。真っ赤になる。そのままフラッと倒れた。「うわっ!?」健二郎が慌てて抱き留める。「大丈夫!?」「……はい」サヤカの顔は真っ赤だった。豪鉄が頭を抱える。「なんか…面倒くさいことになったのぉ……」湊とルナは微笑む。「湊、青春だねぇ☆」「あははっ!青に似た酸っぱい春とライラックだねぇ〜」「やめとけ!怒られんぞ!」
大野がぽつりと呟く。「……結局俺、どこ行けばいいんだろ」前を見る。暗い夜道。「どうせ帰る家もないし……」藤堂も静かに頷く。「僕もです」娘を見ながら言う。「帰る所があったところで、この状況じゃ生活なんてできません」豪鉄が立ち上がった。「わかった!!」みんなを見る。「取り敢えず全員、儂の家来いっ!!グハハハッ!行くとこ決まるまで全員面倒見てやるわい!!大野!!海沿い目指して走れぇぇぇ!!」「はいぃぃぃ!了解ぃぃぃ!!」
サヤカがうっすら目を開く。健二郎の腕の中だった。「……健二郎さんも……家来るんですよね?」健二郎が困ったように笑う。「あぁ、帰る所も無いし…お世話になれるなら助かるけど……俺行ったら嫌?」ハンサムハニカミスマイルだった。サヤカが飛び起きる。「嫌なんてとんでもございませんっ!!どうぞどうぞ!気が済むまで!」ルナが笑う。「あはは、重症だわ、これ」
その瞬間だった。ピカッ!!後方から強烈なハイビーム。ブロオオオオオオ!!三台のジープ。激しいパッシング。大野が叫ぶ。「うわああああ来たぁぁぁ!!」すると湊がルナの胸元からむくっと起き上がる。ルナがにやっと笑う。「どうした?充電完了?」湊が静かに立ち上がる。夜風が髪を揺らす。「……20%は溜まった」ニヤリ。「エコモード解除」後ろを見る。迫る軍用ジープ。口元が吊り上がる。パチンと指を鳴らす。「さてと、、ダークサイドに落ちた俺の本気、見せてやる」ルナが吹き出す。「うひゃぁ……こっちも厨二病、重症だわっ!」と肩をすくめる。
夜道の追走劇が始まった。そして夜の路地へ軽トラが滑り込んだ。
ブロロロロロ……!!後方には三台の軍用ジープ。ライトがギラギラと迫ってくる。荷台の後ろに立つ湊が叫ぶ。「大野さん!!ライト消して!!」運転席の大野が振り返る。「はぁ!?この暗さでか!?」「なるべくゆっくり!路地を縫うように走ってください!」大野が眉をひそめる。「おい、湊君……それじゃゾンビを轢いて……」その瞬間、何かを理解した。大野は目を見開き、ハンドルを強く握る。「……っ!!了解!!」ハンドルを切る。「全員しっかり掴まってろよ!!」ガコンッ!!軽トラが細い路地へ入る。ライトが消える。闇。最低限の月明かりだけ。
◇◇◇
荷台の上で湊がポケットから防犯ブザーを二つ取り出した。さらに紙袋を漁る。取り出したのは、ピンク色のボトル二本。ルナが首を傾げる。「……あの〜?」じっと見る。「なんで今それ出した?」湊が真顔で答える。「あいつらのタイヤ、ツルンツルンに滑らせる」ルナが即ツッコミ。「滑るかっ!!」健二郎も思わず乗る。「いや発想どうなってんだよ!!」ルナがじと目になる。「でもそれ……湊、楽しみにしてたやつじゃ……」湊が涙目でしょんぼりする。「……うん…すっごい楽しみだった……」ルナが苦笑する。「そこちゃんと認めるんだ……」湊がボトルを見つめる。「でもタイヤ滑らせないと……」ルナが呆れる。「だからそれじゃ滑んないって……」
その時、後ろからライトが差した。ブオオオオオ!!三台のジープが路地へ突っ込んでくる。湊が確認する。「よし……三台いるな…」防犯ブザーのピンを抜いた。ピィィィィィィィィィィッ!!甲高い音が夜道に響く。大野がアクセルを踏む。軽トラが少し速度を上げる。ジープも追う。また減速。ジープも迫る。その繰り返し。すると、路地の奥、横道、建物の影からわらわらとゾンビが集まり始めた。音に引き寄せられている。サヤカが呟く。「……囲まれてきましたよ…」湊が笑う。「うん。いい感じ」その時だった。運転席から大野が叫ぶ。「湊君!!使えるかどうかわからないけど、箱の中に武器作ってある!!使ってくれ!!」運転席から荷台の箱を指差す。湊が箱を開ける。中には手作りの色々な武器。湊の口元が上がる。「大野さん……最高ですね」目が輝く。「これ…全部使っていいですか?」大野が笑った。「構わない!!生きていれば、またいつでも作れるからな!!」湊がにやっと笑う。「職人ってかっこいいなぁ!生きて帰りましょ☆」
◇◇◇
その後も軽トラは右へ左へ路地を抜ける。そのたび防犯ブザーが鳴る。ゾンビが増える。増える。増える。ゾンビマシマシ。気付けば路地はゾンビだらけだった。湊が空気を読む。「……そろそろだな」大野を見る。「大野さん!ライト点けて!!一回ジープとゾンビを引き離して!そのあと止めて!!」大野が頷く。「分かった!!」バッ!!ライト点灯。軽トラが急加速する。ゾンビをすり抜ける。ジープも追う。角を曲がる。しばらく行って、キキィィィィィッ!!急停止。防犯ブザーを鳴らしながら、湊が荷台から飛び降りた。
「ライト消して奥に隠れてて!!」ルナが身を乗り出す。「湊!無茶しないでよ!!」湊は振り返らない。無言でサムズアップ。そのままゾンビの群れへ入る。見えない。だからぶつからない。湊はピンクボトルを開けた。ドバァッ!!路面に撒く。ぬるぬると広がる液体。ゾンビたちが踏む。ツルン!!ドシャァ!!ツルン!!バタバタ倒れていく。健二郎が目を見開く。「滑ったぁぁぁ!!?嘘だろっ!?」ルナが呆然。「……滑った……ゾンビが滑った…」
◇◇◇
その時、ジープが湊達に追いつく。ライトが一斉に湊を照らした。運転手が叫ぶ。「巻島隊長!!どうしますか!?ゾンビだらけです!!」巻島が怒鳴る。「馬鹿かぁぁぁ!!」拳を振り上げる。「轢け!!轢いて轢いて轢き殺せぇぇぇ!!」アクセル全開。ブオオオオオ!!ゾンビを轢く。ゴリゴリッ!!跳ねる。踏み潰す。ぐちゃっ。「あぁあ…下よく見ないから…」湊がぽつりと呟く
その瞬間だった。バスンッ!!バスバスンッ!!タイヤが破裂する。大野特製の撒きびしだった。ジープが大きく傾く。「なっ!?なんだっ!?」「タイヤが!!パンクです!!」湊が立ち止まり振り返る。笑った。「あははっ」ライトに照らされ、手をひらひら振る。「JAF呼ばないと、もう追えないね」巻島が絶叫する。「貴様ぁぁぁぁ!!」だがもう遅い。止まったジープにゾンビが群がる。ドンドン!!ガシャァァン!!ジープの窓ガラスが割れる。腕が伸びる。隊員たちが必死に応戦する。パンッ!!ナイフ。悲鳴。混乱。混乱の中、巻島の叫びが響いた。「くそぉぉぉぉ!!」血走った目で叫ぶ。「貴様っ!覚えてろよ!!絶対捕まえてやるからなぁぁぁ!!」
背を向けた湊が歩きながら呟く。「あはは……大丈夫」少し振り返る。ライトの光の中で笑った。「次に会う時は、、」静かに言う。「あんた、“俺のこと見えてない”から」そして闇の中へ消えていった。
◇◇◇
夜道を駆けてきた軽トラへ、湊が飛び乗った。「オッケー!終わったよ。さぁ……帰ろう」汗だくのまま笑う。ルナがその顔を見て、ぽつりと漏らした。「……マジでカッコいい♡」湊が目をぱちくりする。「えっ?ほんと?」ルナがじっと見つめる。「キュン死寸前なんですけど?」「えっ!?ほんと!?世界一好き?」「うん♡ 世界一好き♡」湊が顔を赤くして頭をかく。「やめてよ〜……恥ずかしいって〜」その姿を見て、荷台の全員がきらきらした目で湊を見ていた。健二郎がぽつり。「……いや、さっきまでゾンビで軍隊ぶっ壊してたやつとは思えねぇ……」大野も頷く。「ほんとだ……」サヤカは真顔だった。「湊さん、すごいです」豪鉄が豪快に笑う。「グハハハハッ!!サヤカ、惚れ直したか!!」「いや、お爺ちゃんじゃないんです」「なんじゃと!?」そのまま豪鉄が助手席へ移り、大野が再びアクセルを踏んだ。
ブロロロロロ……豪鉄のナビの元、軽トラは海沿いの道を走る。静かな夜だった。月明かりが海を照らし、波の音だけが変わらず世界を揺らしている。まるで、この崩れた世界なんて最初からなかったみたいに。
しばらくして湊が口を開いた。「あっ、俺とルナちゃんここらで降りるから」「は?」健二郎が振り返る。湊が指差す。「この先右ね。家近いから」健二郎が目を見開く。「いやっ!!日常すぎないっ!?」ルナが吹き出した。「あははっ!私たちいっつもこんなもんよ」そして、ふと空を見る。「あぁ……タバコ吸いてぇ」「あっ……ちょっと待って…」湊がポケットを探る。「んあぁぁ……俺も切らした」豪鉄が助手席でダッシュボードを漁る。「おっ、あったわ」ポイっと荷台へ投げた。「セブンスターでよければ吸えぇいっ!!ガハハハッ!!」ルナが一本くわえ、火をつける。すぅぅ……「……最高」湊も一本吸う。すぅ、、次の瞬間。「ごぼっ!!こほっ!!肺が死ぬぅぅぅ!!」「吸えてないじゃん」「メンソールじゃないの久々すぎた……」みんなが笑った。その笑い声は、夜風に溶けていった。
◇◇◇
やがて軽トラは湊の家の近くへ着く。「あっ、ここでいいよ」二人が降りる。湊が振り返った。「明日か明後日、豪鉄さん家行くね」手を振る。「みんないるんでしょ?魚釣れたら持ってくよ」豪鉄が助手席から手を出して笑う。「おうっ!!楽しみにしとるぞ!!」ルナが健二郎を見る。「板前ルナちゃん期待しとけよ?生きてて良かったって思わせてやるから」
健二郎が笑う。「そりゃ楽しみだ」するとサヤカが、おずおずと聞いた。「……あの」全員が見る。サヤカが顔を真っ赤にしていた。「二人は……市役所でしちゃったんですか?」一瞬の沈黙。ルナと健二郎が同時に吹き出す。「「あははははっ!!」」サヤカが真っ赤になって叫ぶ。「笑い事じゃありませんっ!!」「大丈夫、大丈夫!なんもないよ」またみんな笑った。
「じゃあまたねー!」「気をつけろよ!」軽トラが去っていく。テールランプが遠ざかる。湊とルナは並んで歩き出した。途中、コンビニに寄った。適当にカップ麺を拾う。タバコを取る。缶コーヒーを取る。店先で二人並んで座った。缶コーヒーを開ける。カコッ。タバコに火をつける。カチッ。ふぅぅぅぅ。「……生きてるね」ルナが呟く。湊が煙を吐く。「うん。生きてる」短く笑う。「めっちゃ疲れたぁぁぁ!」「あははっ!お疲れ。私も疲れたなぁ〜」二人で笑った。
それから家へ帰る。玄関に着く。ガチャリ。扉を開ける。そして閉める。静かな家の中。その瞬間だった。二人とも、何も言わず玄関で服を脱ぎ始めた。
汚れた服。汗。血。土。全部その場に落ちていく。裸のまま、ふらふらと廊下を一歩、二歩。そして、ぎゅっと抱き合った。ルナが湊の胸元に頬を寄せる。「……臭い?」湊もルナの髪に顔を埋める。「……最高の匂い」ルナが笑った。「そっか♡」髪を撫でる。「好きなだけ嗅いでいいよ」湊が目を閉じる。「……怒んないの?」「怒んないよ♡」それ以上、何もしなかった。そのまま、玄関の先の廊下で互いを抱きしめたまま、二人は眠った。長い夜の終わりみたいに。世界がまだ壊れていても、この小さな場所だけは、ちゃんと帰る場所だった。
◇◇◇
月明かりに照らされた海沿いの堤防。波の音だけが、静かに響いている。その暗闇の中を、ふらふらと一つの影が歩いていた。足を引きずりながら、涎を垂らしながら、首を傾けながら。あの、“釣りゾンビ”だった。堤防の先まで来ると、ぴたりと止まる。海を見つめる。風が吹く。そして、かすれた喉から小さく漏れた。
「ぁぁぁ……あくそう……」波が返す。そして座り込む。ざぶん、ざぶん。まるで、それに応えるみたいに。夜の海だけが、静かに笑っていた。
続




