第24話 【推しとのコスプレDAYを優先したら市役所が阿鼻叫喚になっちまった話】
夕方。キッチンからは包丁の小気味良い音が響いていた。トントントントン。まな板の上で銀色の魚が綺麗に捌かれていく。「おぉ〜……」湊が感心したように腕を組む。「お見事!」ルナは魚の腹を開きながら笑った。「ふふん♪でしょ〜」「いよっ!天晴れっ!」「よしよし!もっと褒めろ」「天才職人!」「よしっ!もっとこいっ!」「スケベ神!」「よし!ってそれ褒めてんのか?」「めっちゃ褒めてる!」「あははっ!ならよしっ!」満足そうだった。「ルナちゃん、単純だなぁ」「あはは、私、褒められて伸びるタイプですので♡」「なるほど」湊は真顔で頷く。
「犬と一緒だ」「誰がチビだ!」即座に包丁の柄で軽く叩かれた。「いてっ!包丁持って攻撃しないで!」
◇◇◇
それからしばらくして、食卓には豪華な舟盛りが並んでいた。アジ?サバ?イワシ?色とりどりの刺身が氷の上で輝いている。窓から差し込む夕陽が魚の身を照らし、まるで映画のワンシーンのようだった。
そして食卓の隣。大きな水槽の中では食べきれなかった魚たちが泳いでいる。静かな水音。オレンジ色の夕陽。舟盛り。終末世界とは思えない光景だった。
「なんかさ、旅館みたいだね」湊がぽつりと呟く。「うん。確かに」ルナも笑った。
「終末温泉旅館・ルナ亭へようこそ!」「うわぁ、高そう」「一泊二食付き」「おぉ!」「料金は一晩で三回頂きます♡」「うわぁおっ!泊まります」「即決かよ♡ちゃんと料金貰うからね♪」
◇◇◇
「「いただきます」」そして二人は手を合わせた。
まずは一切れ。ぱくり。「うんまっ!!」湊が目を見開く。「こりっこりだよ!」「でしょ?」ルナも口に運ぶ。「うん。身が締まってる」「釣りたてだからかな」「新鮮だねぇ〜!湊様々でふ!」「ルナちゃんが捌いてくれるからお刺身でたべれるんだよ〜」二人で幸せそうに頬張る。
◇◇◇
しばらく食べ進めた頃だった。
「そういえばさ」湊が刺身を摘みながら口を開く。「今日面白いことあったんだよ」「ん?」「釣りゾンビまだ居た」「えっ?まだ居たの!?」「うん、今日も仲良く釣りした」「あははっ!完璧親友じゃん」「あははっ!そうかも」湊は笑いながら続ける。
「そんでね、魚もめちゃくちゃ釣れた」「そうだね、全部食べきれないよ」「うん。あとゾンビって溺れるっぽい」「なにその検証結果」「海に落ちてたの釣り上げた」「雑な研究だな」二人で笑う。
そして湊はさらに続けた。「あとね、集団ゾンビ見た」「へぇ」「市役所攻めてた」「へぇ…」「そこにめちゃくちゃ人いた」「へぇ……」「助け求めてた」「へぇ………へ?」そこでルナの動きが止まった。
「…………」「ん?もうお腹一杯?」「…………」「お〜い?ルナちゃん?」
「めっちゃ大事な話……今サラッと言ったな?」ルナは真顔だった。「えっ?」「いやいやいやいや!」ルナが身を乗り出す。「それ助け求めてるんでしょ!?」「たぶん」「たぶんじゃない!」「でもさ、俺、ゾンビから見えないだけだよ?」湊は首を傾げる。「爆破魔法とか使えないよ?」「うん」「あとハンマー振ったら雷落ちたりしないよ?」「マー○ルの世界観か!」「違うの?」「違うよ!」ツッコミが飛ぶ。
だがすぐにルナの表情は真面目になった。
「でも……」少し考える。「一応見に行こうよ」「え〜、行くの?」「助けられそうなら助けたい」静かな声だった。湊は黙り、少しだけ寂しそうな顔をした。それに気付いたルナが首を傾げた。
「どうしたの?」「ん?」「助けに行くの嫌?」数秒沈黙。そして湊が小さく呟く。「……コスプレDAY楽しみたい」「ぶはっ!!」ルナが盛大に吹き出した。「なに、嫌な理由それ!?」「だって!」「いや分かるけど!」「せっかく板前だったのに!」「あはははっ!」涙を浮かべながら笑う。
「ごめんごめん!」「だってさぁ!」「うんうん」「俺には市役所より大事なイベントだったのに!」「最低だなお前!」笑いが止まらない。
◇◇◇
しばらく笑ったあと、ルナは優しく微笑んだ。
「分かった」「ん?」「ご飯食べて」「うん」「洗い物して」「うん」「一緒にお風呂入って」「うん」「ゆっくり寝て」「うん」「それで起きたら見に行こう」湊が目をぱちくりさせる。「それでどう?」
数秒。そして、、「……!」鼻の穴が膨らんだ。「おぉぉぉぉ!そうするぅぅぅぅ!」「顔!」「貴女、最高です!やっぱりスケベ神だぁぁぁ!」「スケベ神は余計だなぁ」「あははっ!」
◇◇◇
窓の外では月がゆっくり顔を出してくる。市役所では今も誰かが戦っている。けれど今この家では、刺身を食べながら、明日の予定を話しながら、二人は穏やかな時間を過ごしていた。そして湊の頭の中は、市役所よりも、ゾンビよりも、これからのコスプレDAYのことでいっぱいだった。ある意味、とても平和だった。
◇◇◇
食事を終えた頃には、舟盛りの皿はほとんど空になっていた。「いやぁ〜、美味かったぁ……」湊が満足そうにソファーへもたれ掛かる。「でしょ?食べてすぐ横になると猪になるよ?」「えっ?豚じゃなくて?」「豚も猪も一緒でしょ?毛があるかないか」「……そこが基準なのね…」
ルナがチラッとキッチンを見る。シンクには洗い物が山積みになっている。「よしっ!一緒に洗うぞっ!」ルナが立ち上がる。「私が洗うから、豚さんは拭いて〜」「ぶひぃぃぃ!了解であります!」
二人は並んでキッチンへ向かった。蛇口から流れる水の音。窓の外では夜がが少しずつ深まっている。ルナが皿を洗い、湊が受け取って拭いていく。何気ない時間だった。だからこそ心地良い。
「湊さぁ……」ルナがぽつりと呟いた。「んっ?」湊は手を動かしながら返事をする。「そんなにコスプレDAY楽しみにしてるってことはさ……」少しだけ視線を逸らす。「最近、私に飽きてたりする?ほら、男の人って、手に入ると飽きてきちゃうでしょ?」「……ぷっ」「なっ!」ルナが湊を見る。
「ちょっ!何笑ってんの!?真面目に聞いてんだけど!」「いや、ごめんごめん」湊は肩を震わせる。
「だってさぁ」湊は笑いながら首を振った。「俺、逆なんだもん」「逆?」「うん」拭いていた皿を棚へ戻す。「出逢った時より今の方が興味津々なんだよねぇ〜」「へ?」
「だって、今日のイベント“推しのコスプレDAY”だよ?その考え可愛いすぎて驚くよ…」湊は真顔だった。「昔のルナ嬢なら予約なんて取れなかったんだから」「ふぁっ!?」ルナの顔が一気に赤くなる。「昔の話すんなっ!」軽い蹴りが飛んできた。
「いてっ!危ない!皿落とすって!」「バカ!」もう一発。「いててっ!」しかし、ルナは少しだけ表情を曇らせた。
「……そんな人気なかったよ」「ん?」「仕事だって割り切ってたし」洗っていた手が少し止まる。「だから別に……湊にそんな特別扱いされるような人間じゃなかった」小さな声だった。
湊は黙る。そして、後ろからそっと抱き締めた。
「わっ!?」ルナが少し驚く。「今も割り切ってる?」湊が聞く。ルナは数秒考えたあと、「……今が仕事なら…」ふっと笑った。「繁華街No.1じゃない?」「あははっ!ほんとにぃ?」「絶対そう!」「自信満々なのかい!」「そりゃそうでしょ!時間無制限、お好きなだけどうぞ、オプション無限って…通うだろ?」「…確かに…」「「あははっ!」」二人で笑った。さっきまでの少し寂しそうな空気は、もうどこかへ消えていた。
◇◇◇
「よしっ!」最後の皿を片付ける。「洗い物終了〜!」湊が両手を広げた。「さぁ!ルナちゃん!」「ん?」「お風呂行こ!」「うん♡」ルナが湊に飛び込み、悪戯っぽく笑う。「黒糖いなりちゃん、ちゃんと洗わないと握れないからね〜」「わぁぁぁおっ!」「反応がうるさい!」「だって♡」「だってじゃない♡」二人は笑いながら脱衣所へ向かった。
◇◇◇
しばらくして、浴室。ルナは椅子へ座り、湊は買ってきたブリーチをルナに塗っていた。
「動かないでね〜」「はーい」だが、暫くぬりぬりしてると、、
「湊…」「ん?」「近い」「そう?」「近いな」「気のせいじゃない?」「気のせいじゃない!」ルナが呆れたように笑う。「というか…私の顔の前に黒糖いなりあるんですが?わざとですか?」とチラリと見る。
「えっ?」湊は慌てた。「わざとじゃないよ!」「ほんとに〜?てか、慌てると黒糖いなり君も慌ててるよ♡」「ちが、よく見ないと生え際見えないんだもん!」「ふ〜ん」ルナが意地悪く笑う。そして「ぱくっ♡」「おふっ!」湊が変な声を出した。「まだブリーチ途中ぅぅぅぅ!?」「あはははっ!ベットインする前に終わるなよ〜♡」浴室に笑い声が響いた。
◇◇◇
その後、二人は湯船へ浸かる。「あぁ〜……」「生き返る……」思わず同じ声が漏れた。しばらくのんびりしたあと、ルナが聞く。
「そういえばさ」「ん?」「今日は何の格好して欲しいの?」その言葉に湊の目が輝いた。
「いっぱい考えてある!」「うわっ」「まずショッピングモールで手に入れた下着でしょ?」「うん」「あとはあの服とこの服とあっちの服と、、」
「そんなに持つ?」「……持つ!」即答だった。ルナは吹き出す。「ぶっ!あははっ!何その自信!」「大丈夫!」「根拠ゼロじゃん!」二人で笑う。
◇◇◇
その後もイチャイチャして、やがて湯船から上がる時間になった。
「さて」ルナが立ち上がる。「のぼせるからそろそろ出ますか?」「はい♡」即答。しかも満面の笑み。さらに鼻の穴まで膨らんでいる。ルナは数秒眺めたあと、「お前……」「ん?」「鼻の穴世界選手権があったら優勝できる顔してるぞ」「やったぁぁぁ!トロフィーは愛するルナちゃんに!」「褒めてねぇし!いらねぇよっ!」浴室に再び笑い声が響いた。
◇◇◇
お風呂から上がった二人を迎えたのは、涼しくなった部屋の空気だった。
「おぉ〜、やっぱエアコンつけとくと風呂上がり最高!」湊は素直に声を漏らす。そしてドライヤーを手に取り、ベッドに座ってるルナの髪を丁寧に乾かしていく。
「ルナちゃん、綺麗に染まったね〜」「でしょ〜?」ルナは嬉しそうに髪を指で梳いた。「やっぱ金髪の方が可愛いだろ?」「うん」湊は即答する。
「でも、ハゲても好きだけど」「嘘つけ〜!」二人で笑った。
◇◇、
やがて夜が更ける。今日のイベント、コスプレDAY。ルナは少し照れながらも、湊の反応を見るたびに楽しそうに笑った。
「これどう?」「エロ可愛い♡」「そればっかりだな」「だって本当に可愛いし」「そういうの反応に困るんだって」そう言いながらも、ルナの口元は緩んでいた。特別な衣装も、他愛ない会話も、結局は二人で笑っている時間そのものが楽しかった。世界が終わったあとに手に入れた、かけがえのない日常だった。
◇◇◇
二人はベッドへ潜り込む。柔らかな静寂。数時間後、ベッドに横たわる二人。少しだけ火照った頬。
「はぁ……はぁ…」ルナが幸せそうに蕩けた顔で息を吐く。「お主、今日…激しいなぁ♡」「ぬっふっふ……お主も技が多くて思ったより拙者も捗ってしまった」一瞬の沈黙。「「あははっ!」」二人同時に吹き出した。そして湊はもぞもぞとルナへ近寄る。ルナも自然に距離を縮め受け入れ態勢。
「……いいの?」湊が聞く。ルナは優しく微笑んだ。「……いいよ♡」「ふぁぁぁぁ!俺の推し神かよ!」「変な声出すな」「じゃあ、変な声出させる♡」ルナが湊のほっぺをつねる。「いひゃい」ルナは笑いながら湊を胸に抱き寄せた。「ほぉ、面白いな!その代わり……今から私が主導権な♡」「むむっ!……お手柔らかに♡」「無理♡」「あいやぁぁぁぁ!」部屋に笑い声が響く。
◇◇◇
やがて騒がしかった夜も静かになった。窓の外では月が煌々と輝いている。ベッドの上。湊の上にルナが重なるように眠っていた。
「すぅ……」「すー……」二人の寝息だけが聞こえる。不安も、恐怖も、明日の問題も、今だけは遠い。
終末世界の片隅で、二人はただ穏やかな眠りに落ちていた。
◇◇◇
湊とルナの穏やかな寝息が、月まで届きそうな夜だった。しかし同じ頃、市役所では怒号と悲鳴が飛び交っていた。
「東側押されてるぞ!」「バリケード補強しろ!」「子供を下がらせろ!」外ではゾンビの群れ。中では疲れ切った人々。市役所にはおよそ百人が身を寄せ合っていた。
警察官。自衛隊員。市民。誰もが限界だった。一人の自衛隊員が無線機を握る。「こちら○○市役所防衛線」疲れ切った声。「繰り返す。こちら○○市役所防衛線」沈黙、、そして、「市民の疲労が限界です」唇を噛む。「至急応援を要請します」
しばらくして返答が入った。『こちら都心防衛本部』雑音。『申し訳ない』短い沈黙。『こちらも持ちこたえるので精一杯だ。もう少しだけ応援無しで耐えてくれ』それだけだった。通信が切れる。自衛隊員はしばらく無線機を見つめる。怒りも、悲しみも、とっくに通り過ぎていた。
「……了解」通信が切れてる無線機に小さく呟く。そして再び立ち上がる。外では、今夜もゾンビの呻き声が続いていた。
続




