第22話 【エアコンが壊れたので推しとプライベートビーチに逃げた話】
ジリジリ。初夏の季節外れの朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。いつもなら快適なはずの寝室。だが今日は違った。
「…………暑……」ルナの眉がぴくりと動く。「暑……」さらに数秒。「暑ぅぅぅぅぅい!!」勢いよく飛び起きた。その瞬間、「うおっ!?」ルナの胸元で顔を埋めるように眠っていた湊が振り落とされそうになり、慌ててしがみつく。「こらっ!子泣き爺!暑い!」「暑くない!」「いやっ!暑い!!」「暑くない!!」「離れろ!」「嫌だ!!」今日の朝もいつものように始まった。
ルナはじたばたと暴れる。湊は必死に抵抗する。
「湊!離れろって!」「いやだぁぁぁ!」「なんで!?」「ここが一番平和だから!」「意味分かんないから!!」
数分後。引き剥がすことを諦めたルナは、湊を胸元にくっつけたまま、ベッドの端に座り汗をぬぐった。
「なんか今日おかしくない?」「ん?今日も柔らかいけど…」「そこはどうでもいいんだけど…」ルナは壁に取り付けられたエアコンを見る。表示ランプが消えていた。
「あれ?エアコン切れてる…」リモコンを手に取る。ピッ。冷房運転。だが、、シーン。「湊、動かない」「えっ?」湊もようやく異変に気付いた。「ねぇ、湊。エアコン動かない」「えぇぇぇ!」絶望したような顔になる。「今日汗だくプレイ?」「いやっ!」即座にツッコミ。「てか、胸元舐めるな!汗の味確認するな!」「えへへ、何味かな〜って思ってさ」「それで何味だったの?」湊は真面目な顔をした。「ん〜?メープルシロップ♡」「ぷっ!はいはい」ルナは呆れ顔で頷く。「後でパンケーキにかけてあげますね〜♡」「やったー」「アホ!ほんとにやるかっ!」「えぇぇぇ!ちょっと期待した」朝から全力である。ルナはため息を吐いた。
「ねぇ、ちょっと真面目にエアコン見てよ」「あっ、はい」湊もルナの本気にようやくスイッチが入った。
「たぶん蓄電器かな?」「昨日帰って来てから、お風呂に洗濯にいっぱい使ったもんね」「オッケー、ちょっと見てくる!」「おっふっ♡」ちゅーっと思いっきり吸ってから勢いよくベッドから飛び降りる。そしてそのまま部屋を出ようとすると、「バカ!吸いすぎ…そして待て」ルナが冷静に呼び止めた。
「ん?」振り返る湊。数秒の沈黙。ルナは湊の下を指をさした。「とりあえず……服着な〜♡」「………」湊、自分を見る。「…………あっ」見事に丸出しだった。「ははは、これは失礼しました」ビシッと敬礼。「外で誰かに会ったら通報されるぞ」「確かに…でも捕まえに来なそうだけど…」「「あははっ」」笑いながら湊は服を取りに向かう。そしてルナは再びベッドへ倒れ込んだ。「はぁ〜……」天井を見上げる。暑い。本当に暑い。「早く直してくれ〜……」
その願いを乗せるように、窓の外では今日も鳥が元気に鳴いていた。
◇◇◇
湊は着替えながら家の中を確認して回っていた。
まずはキッチン。「はっ!水よ、出ろ!」蛇口をひねる。しかし、「…………」無反応。「出ない!」
次は冷蔵庫、扉を開ける。「うん、うっすら冷えてるけど、冷たい風なし!」
さらに照明のスイッチ。パチッ、パチッ、パチパチッ。「うん、点かない!」湊は腕を組んだ。「ありゃりゃ……」天井を見上げる。「やっぱり昨日の夜、使いすぎたのかなぁ……」
そして外へ出た。庭の端に置かれた蓄電設備を確認する。表示ランプは生きている。ただ、何かのメモリの残量がなかった。
「ん〜……」しゃがみ込む。「壊れてるわけじゃなさそうなんだけどなぁ」説明書など当然ない。正常なのか異常なのかも分からない。数秒悩んだ末、「よし!分からん!」清々しい笑顔だった。「しばらく放置!」結論も清々しかった。
◇◇◇
「ルナちゃーん♪」部屋へ戻る。ベッドの上ではルナがキャミソール一枚でうつ伏せになっていた。
「どうだった?」「たぶん電力不足」「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」ルナが飛び起きた。「なんで?ダメなの!?」「分かんない…」「絶対?」「たぶん」「神様に誓う?」「もし、神様いたらゾンビ出してないと思う」「それもそうか!」妙に納得した。
しかし次の瞬間、「嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!!無理ぃぃぃぃ!」ベッドの上でジタバタ暴れ始める。
「暑いの嫌ぁぁぁぁ!!」「うわぁ!」湊は思わず後退した。「わがままお姫様の所業だぁ!」「違うっ!快適な暮らしを失った女の悲鳴ですぅ!」ルナは枕を投げる。湊はヒョイっと避ける。平和だった。その時だった。ルナの動きが止まる。
「……あっ」「ん?」「鶏肉…」「鶏肉?」「悪くなるっ!」ルナはキッチンへ猛ダッシュした。
◇◇◇
数分後。卓上コンロの上ではフライパンが盛大に音を立てていた。ジュゥゥゥゥゥッ!香ばしい匂いが部屋中へ広がる。「食えっ!」ルナが叫ぶ。「取りあえず食えっ!」「うんっ!」湊も叫ぶ。「了解っ!」二人はひたすら鶏肉を焼いて食べた。
焼く。食べる。焼く。食べる。暑い。だが食べる。汗を拭く。また食べる。もはや作業だった。
◇◇◇
「むりぃ……」数十分後。湊は床に転がった。「腹いっぱい……」「私も……」ルナも隣へごろんと寝転ぶ。二人とも汗だくだった。窓から入る風だけが頼りである。「湊ぉぉ、暑い……」「うん。暑いね……」
しばらく無言。すると湊が少しだけルナに身体を寄せた。「ん?なに?」ルナが横目で見る。「いや?別に…」さらに寄る。「近いな…」「そうかな?」「近い」「気のせいでしょ?」「気のせいじゃない」ルナが呆れたように笑う。
「今日お風呂入れないんだよ?」「別にいいよ」「臭いかもよ?」「お互い様なら気にしない」「そのニンニクの理論やめて……」思わず二人は吹き出した。湊は楽しそうに笑う。ルナも笑う。
「こらっ!そこ触っちゃダメ…」「なんで?」「な、なんでって…始まっちゃうから?」「もぉ!素直じゃないんだから!メープル頂きます♡」「そこはメープルじゃないだろっ!鼻はつけるなよ!!♡」
暑い。不便。エアコンもない。それでも「ま、なんとかなるか」湊が呟く。ルナは天井を見上げながら蕩けた顔で答えた。「うん……たぶんね…」汗だくの終末世界。だけど二人は、案外楽しそうだった。
◇◇◇
それから一時間後。リビングの床には、賢者が二人転がっていた。
「はぁぁぁ……」ルナが天井を見上げながら大きく息を吐く。エアコンは動かない。扇風機も動かない。窓から吹き込む風だけが、じんわりと汗ばんだ肌を撫でていた。
「……またしてしまった……」ぽつりと呟く。その隣では、湊が気持ち良さそうに寝転がっていた。「ん?嫌だった?」「いやさ……」ルナは湊の腕を枕にしながら目を細める。「嫌じゃないんだけどね」「うん」「いつも終わった後に思うんだよ、こんな時にさ……こんな幸せでいいのかなって」ルナの少しだけ真面目な声に湊は黙って聞いていた。
「きっとさ」ルナは窓の外を見る。「ご飯食べられない人もいるし、好きな人と離れ離れの人もいる」「うん」「それなのに私たちったらさ…」苦笑する。
「腹はいっぱいだし」「うん」「結構楽しいし」「うん」「なんなら前の世界より幸せになってない?」静かな沈黙。少しだけ虫の声が聞こえる。湊は天井を見上げたまま笑った。
「俺もそう思ってるよ」「だよね」「でもさ」ゆっくりと続ける。「今、幸せなら良くない?」「ん?」「毎日が幸せで、今日が楽しかったなって思えて、明日も楽しみだなって思えるなら、それだけで十分じゃない?」湊は笑って言う。
ルナは数秒黙った。そして、むにっ。「いだだだだだっ!」頬をつねられた。「今、カッコつけたな?」「つけてない!」「今、絶対カッコつけた!」「つけてないって!」「絶対つけた!」ぐいぐい引っ張る。「伸びる!ほっぺ伸びる!」「あはははっ!」ルナが楽しそうに笑う。さっきまでの少し重い空気は、いつの間にか消えていた。
◇◇◇
しばらくして、湊が突然起き上がった。
「よし!」「ん?起きるの?昼寝しないの?」「海行こう」「……は?」ルナが瞬きをする。「海」「いや、聞こえてる」「なら、海行こう」「ふぇ?今から?」「そう!今から!」満面の笑み。ルナは呆れた顔になる。「暑さと気持ち良さで頭やられた?」「違うよ!」「なら、その発想はエアコン壊れたから?」「それもある!」「あるんかい!」即ツッコミ。
湊はニヤニヤしていた。「だってさ」「うん」「海なら涼しいじゃない」「まぁ」「ルナちゃん、あぶない水着も買ったし」「いや…あれは湊の趣味の下着な…」「ふふ、それに泳げるし」「うん。泳げるな…」「推しと海デートできるし☆」「ぶはっ!最後が本音だろ」「「あははっ!」」 図星だった。
◇◇◇
ルナは大きく伸びをした。「はぁ〜」「行くでしょ?」「よしっ!行くかぁ☆」「よっしゃ!」湊、ガッツポーズ。「あははっ!単純だなぁ」「だって嬉しいもん」「子供か」ルナは笑う。そして少しだけ優しい目をした。
「でもさ〜、その湊の性格…」「うん」「結構好きだわ〜♡」ちゅっ。軽く頬へキス。湊が固まる。「…………」「なにその顔…」「今ので三日は寝ずに頑張れる」「そんな頑張んな!私の体がもたないよ♡」「えっ?おかわりはいつもルナちゃんの方からでは?」「「あははっ!」」二人で大笑いした。
◇◇◇
それから二人は準備を済ませる。
飲み物。着替え。買ったばかりの水着?。必要な荷物を適当にまとめる。そして家の外へ。頂点へ向かう初夏の日差しが街を照らしていた。
ジープのドアを開き、乗り込む。エンジンが唸る。
「目的地は?」湊がハンドルを握る。ルナは窓を開けながら笑った。「海〜!」「それじゃ!出発〜」ジープはゆっくり走り出した。
終末世界。だけど二人の今日の予定はただの海デートだった。
◇◇◇
ジープは海へ向かって走っていた。車内の吹き出し口から吹き出す冷たい風。「ふっはぁぁぁぁぁ……生き返るぅぅぅ……」助手席でルナがだらしなく伸びる。「エアコン最高……最初からドライブしてればよかった…」「あははっ!だね!」湊も満面の笑みだ。
「エアコン考えた人って人生何周目なんだろうね」「分かる…よく思いつくよね」ルナが深く頷く。
「火を起こす人も凄いけど、冷たい風を出そうと思った人はもっと凄い」「うん。天才だよね」「いや神様でしょ!」「うん。それはもう神様だな」「あははっ!だからそう言ってる!」二人は顔を見合わせて笑った。「「あははっ!」」
ゾンビが彷徨く終末世界とは思えないほど平和な車内だった。
◇◇◇
しばらく走ると海岸が見えてきた。「到着!」湊は車を止めると、いつものように周囲を確認する。近くにいるゾンビを遠くへ誘導し、安全を確保する。
数分後。助手席の窓をコンコンと叩いた。
「お姫様〜!ご準備できましたぁ!」「おっ?今日は雪だるま作んないのかいっ!」「あっ忘れてた…あははっ!さぁ、プライベートビーチへようこそ☆」「あははっ!」ルナが吹き出した。「プライベートビーチって!」
◇◇◇
二人は砂浜へ向かう。昼過ぎの海は静かだった。波の音だけが聞こえる。「うわぁ……海なんて何年ぶりだろ」ルナが目を細める。「綺麗……」「ふふ、君の方が綺麗だよ…」「きもっ!」「キモくない!」
ルナは大きめのパーカーを脱ぎながら振り返る。すると。湊がじーっと見ていた。
「……何?」「……」「おい!」「はい」「そんな見ないでよ……」ルナが少し恥ずかしそうに言う。「いや、ごめん…お尻丸出しだから…」湊が頭を掻く。「本当にその格好で泳ぐんだなぁって」ルナが顔を赤くする。「あっ、お前ぇぇ〜!今さら何言ってんだ!」「だってさ!」「だってじゃない!自分がこれでいいって言ったんだろ!」「似合ってる!似合ってるなぁって!」「それなら最初からそう言え!泳ぐよ!」二人は笑いながら海へ飛び込んだ。
◇◇◇
冷たい海水が気持ちいい。
「うぉぉぉぉ!」「冷たっ!」「最高ぉぉぉ!」ばしゃばしゃ。水を掛け合う。砂浜を追いかける。逃げる。転ぶ。笑う。まるで学生の夏休みだった。終末世界であることを忘れてしまうほどに。
◇◇◇
気付けば空はオレンジ色に染まっていた。遠くではゾンビたちがちらほら集まり始めている。湊がそれを見て肩をすくめた。「寒っ、そろそろ帰ろうか」「ん?」「暗くなってきたし、あいつらも集まって来てるし…」湊は蠢く遠くのゾンビを見る。「ルナちゃんの可愛いお尻もあいつらに見られちゃうし♡」「はぁ!うっせぇぇぇー!」ルナが即座にツッコむ。「おいっ!ゾンビ!尻ばっか見んな!」「まだ、見てないよ」「なんだとぉぉ!出してんだから見ろっ」「少しだけ見てる」「ちゃんと見ろっ!!」ルナはゾンビの方向に尻を向ける。そのやり取りに反応したのか、近くのゾンビがこちらへ向かってくる。
「ぁぁぁ……」「ぅぅぅ……」「うわっ!」ルナが慌てて湊の後ろへ隠れる。「やばっ、ほんとに来た来た来た!ほら帰るよ!早く車!」「あははっ!自分で呼んだんじゃん♪」「いいから早く!」二人はジープに乗り笑いながら砂浜を後にした。
◇◇◇
家へ帰る頃にはすっかり夜になっていた。玄関を開ける。そしてリモコンを押す。ピッ、「おぉっ!」湊が声を上げる。エアコンのランプが点いた。冷たい風が出てくる。「ルナちゃん!復活してるよ!」「やったぁぁぁ!」ルナが両手を上げる。「電気ばんざーい!」「お日様ばんざーい!」 二人はハイタッチした。
◇◇◇
その後。部屋を涼しくして、ゆっくりお風呂に入る。「今日は楽しかったね〜」ルナが湯船で呟く。「うん」湊も頷く。「昨日は養鶏場行って、チビに飛び蹴りされて、今日は海行ってお尻見て…」「お尻はこうやって毎日見てるだろっ!」「あははっ!お尻顔に押し付けないでよ」「なにっ!いつもくっついてくるくせに!おらおら♡」「「あははっ!」」湯気の向こうで笑い声が重なる。
世界は変わってしまった。だけど、二人の日常は少しずつ増えていく。そんな穏やかな夜だった。
続




