第2話 【叫んだらゾンビ集まるのに俺だけ見てくれないんですが】
湊が外に飛び出した瞬間、空気が違った。
さっきまでいた家の前とは、まるで別の場所みたいに。静かなはずの住宅街に、ざわついた気配が広がっている。
「……は……?」湊は、足を止めた。
人通りが、少ない。いや、“少なすぎる”。
いつもなら、この時間は犬の散歩やら帰宅やで、そこそこ人がいるはずなのに、、妙に、静かだ。
「……なんだよ」小さく呟いて、ゆっくりと歩き出す。視線を巡らせる。
二階の窓。カーテンの隙間から、誰かが外を覗いていた。目が合う。、、さっと、隠れる。
「……え?」その反応に、逆に戸惑う。
路地裏から、物音。ガタッ、という鈍い音のあとに、何かが擦れる音。
「……おい…誰か居る…?」無意識に足がそちらへ向く。
覗き込む。「、、っ!」言葉が詰まる。
人が、倒れていた。その上に、もう一人、いや、“それ”が覆いかぶさっている。
涎を垂らしながら噛みついている。
「な……」血が、見えた。ぐちゃ、と嫌な音。
「……は?何だよ…?」理解が、追いつかない。
「何だよ……何だよこれ……!」思わず声が漏れる。
足が、後ずさる。
「何が起きてんだよ!!」
そのとき。視界の端で、何かが動いた。
振り向く。、、目の前に、“それ”がいた。
「……っ!」息が止まる。
血走った目。不自然に傾いた首。口元から垂れる涎。
テレビで見た“それ”が、すぐそこに立っていた。
「……た……」喉が震える。
「……助……」声にならない。
足が、動かない。終わった、と思った。
その瞬間。ゾンビは、湊の横を通り過ぎた。
「……え?」肩が、かすかに触れる。
それでも、ゾンビは止まらない。
まるで最初からそこに誰もいなかったみたいに、ふらふらと歩いていく。
「……は?」振り返る。
ゾンビはもう、別の方向を見ている。
「……いや……え?」頭がついてこない。
「今、完全に……」手を見下ろす。震えている。
でも、、「……襲われて、ない?」
呟いた瞬間。ポケットの中で、スマホが震えた。
「っ!」びくっと肩を揺らしながら、慌てて取り出す。画面を見る。
差出人。ーールナ。
「……!」すぐに開く。
そこには、短い『来れる?』のメッセージと地図。
「……」数秒、固まる。
さっきまでの恐怖が、少しだけ引いていく。
代わりに、別の感情が浮かんだ。
「……はぁ」自分の頬を、ぱん、と叩く。
「よしっ!……しっかりしろ!狼狽えてる場合じゃねぇ!」小さく呟く。息を吐く。
「……やるしかねぇ!!」叫んだ、その瞬間。
近くにいたゾンビが、ぴくりと反応した。
「、、っ!?やばっ!?」
ゾンビは顔をこちらに向ける。
「うわっ、バレた!?」慌てて物陰に飛び込む。
息を潜める。数秒。心臓の音だけがやけにうるさい。
やがて、ゾンビはまた別の方向へ歩き出した。
「……なんなんだよ、マジで……」小さく呟く。
スマホを握り直す。メッセージ画面を開く。
指が、少しだけ震えている。それでも、打つ。
『待ってて!すぐに行く!』と送信。
既読がつくかどうかも見ずに、スマホをポケットに突っ込む。
「……よし」一歩、踏み出す。
さっきまでとは違う足取りで。恐怖の中へ。
でも今度は、ただ逃げるためじゃない。
「待ってろよ……ルナ」低く呟いて、湊は走り出した。崩れ始めた街の中へ。湊は走る。息が荒くなる。
視界の端に、ちらちらと“それ”が映る。
電柱の影、車の陰、店の前。
コンビニ。スーパー。飲食店。
どこも本来なら人で賑わう場所だ。
なのに今は、別の意味で騒がしい。
「……音か?」走りながら、ぶつぶつと呟く。
「音に反応してんのか?それとも動き?熱?いや匂い?なんかそれっぽいよな……」
一瞬の間。
「……てか…」顔をしかめる。
「ここまでシカトされるの、普通に傷つくんだけど」
自分で言って、自分で少しへこむ。
「いやいやいや、今それ気にするとこじゃないだろ俺」首を振る。喉が渇いた。
「……やべ、喉乾いたな…飲み物買ってくか」
ちょうど目の前に、コンビニ。
ガラスは割れていない。中も荒らされた様子はない。
「おっ?ここなら……いけるか?」そっと扉を開ける。
静かだ。いつものように、機械音だけが鳴っている。
「……すげぇな、通常営業かよ」小さく呟きながら、中へ。
ペットボトルを二本手に取る。
一本は自分用。もう一本は、、
「……ルナの分」ぼそっと呟く。
レジへ向かう。誰もいない。
「すいませ〜ん!誰か居ませんか〜?」声を張る。
その瞬間。奥から、勢いよく何かが飛び出してきた。
「うわっ!?」反射的に叫ぶ。
ゾンビだ。全力でこちらに向かってくる。
「うわあああああ!!」湊は声が裏返る。
だが、、ゾンビは、目の前で止まった。
そして、きょろきょろと周囲を見回す。
「……え?」息を止める。目の前だ。
手を伸ばせば触れる距離。なのに、、
「……え、マジで?」ゾンビは、湊を見ない。
完全に、視界から外している。
「……あ」一瞬、間があって。
「……しっこ……ちょっと漏れたかも」
ぼそっと呟く。自分で言って、ちょっとだけ冷静になる。
「……いやいやいや」額に手を当てる。
「おいおい……ほんとに俺のこと見えないのか……?」
ゾンビはまだ、周囲を探している。
なら、、「……一か八か」ごくりと喉を鳴らす。
「……やるか」息を吸う。
そして、、、
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」店内に、声が響いた瞬間、ゾンビが激しく反応する。
ビクッと跳ねるように体を震わせ、音の方へ顔を向ける。
さらに外からも、足音。ガラス越しに、影が増える。
「おぉ……」思わず声が漏れる。
ゾンビたちは、明らかに“音”に反応している。
だが、誰も湊を見ない。
「……マジかよ…俺、無敵かよ…」
にやり、と口元が歪む。
「おいっ!」一歩踏み出す。
「おいっ!おいっ!おいぃぃぃ!!」
叫ぶ。ゾンビたちが、狂ったように辺りを探し回る。手を伸ばし、ぶつかり合い、唸り声を上げる。
でも、「あははっ!見えてねぇ」
湊は、そこに立ったまま。誰にも触れられない。
「……ははっ、だから…母さんも気付かなかったのか…」寂しそうに小さく笑う。
そしてレジに近づく。
財布を取り出し、小銭を置く。
「……こんな状況でも…一応な」ぽつりと呟く。
そして袋を取ろうとして、やめる。
「あ、袋は大丈夫で〜す」
誰もいないレジに向かって言うと、そのまま店を出た。外は相変わらず騒がしい。
ペットボトルの蓋をプシュッと開ける。
ごく、ごく、と喉を鳴らす。
冷たい液体が、体に落ちていく。
「あ”あ”あ”ぁぁぁ……生きてるな〜」小さく呟く。
そしてジュースを飲みながらスマホを取り出し、地図を確認する。
「……こっちか」歩き出す。
周囲では、誰かが叫び、誰かが逃げている。
だが、湊だけは、ゆっくりと進む。
まるで別の世界を歩いているみたいに。
その姿はどこか帝王の行進の様だった。
◇◇◇
やがて、目的地にたどり着く。
古びたマンション。スマホを操作する。
『着いたよ』
すぐに返信が来る。
『301号室』「301ね……よし」
階段を上がる。三階。301。
インターホンを押す。ピンポーン。
一瞬の沈黙。、、ガチャ。
扉が勢いよく開く。
「インターホン鳴らすなっ!寄ってくんでしょ!早く入って!」腕を掴まれる。
そのまま、中へ引きずり込まれる。ドアが閉まる。
ガチャリと鍵の閉まる音。
「……はぁ……」息を吐く間もなく。
目の前に、ルナがいた。
「……来たな…変態」
「えっ?変態?第一声がそれっ?!」
少し乱れた金髪。険しい薄化粧顔。でも、生きている。湊は無言でペットボトルを差し出す。
「まぁ、……これどうぞ」
「……あ、どうも……」
ルナは受け取り、プシュッと開け一口飲む。
それから、じっと湊を見る。
「……てかさ…げっぷ…ごめん…」眉をひそめる。
「呼んどいて何なんだけど……あんた、なんでここまで来れてんの?」
湊は肩をすくめる。
「ん〜……」少し考えて。
「あいつら、俺のこと見えないみたい」
にへら、と笑う。「無敵?あははっ!」
一瞬の沈黙。
「……は?」ルナの顔が固まる。
「笑い事じゃないっ!!」怒鳴り声が、部屋に響いた。
「いやでもさ!ほんとなんだって!」
「“ほんとなんだって”じゃないのよ!意味わかんないのよそれ!」
「あはは、俺も分かってないから大丈夫!」
「笑うな!大丈夫じゃない!!」
間髪入れずにツッコミが飛んでくる。
「いやでも、だってさ、あいつら俺のこと見えてないんだよ?完全スルーだよ?」
「それが怖いって言ってんの!普通もっと危機感持つでしょ!?見える奴だっているだろうし!」
「持ってる持ってる!めっちゃ持ってる!さっきちょっとしっこ漏れたし!」
「いらん報告すんな!!」ぴしゃりと叩き返される。
「……はぁ」ルナが額を押さえて、深くため息をついた。
「……とりあえず」少しだけ声のトーンが落ちる。
「生きてるだけマシ、ってことにしとくよ…一人で心細かったし…」
その言葉に、湊も少しだけ黙る。
部屋の中は静かで、外の喧騒だけが遠くに聞こえていた。
ルナはテレビをつける。
画面の中では、誰かが叫び、誰かが逃げている。
「……うわ」思わず声が漏れる。
ルナはテレビを見ながら、何も言わずに棚を開けた。
「あんたも……食べるでしょ?」
差し出されたのは、インスタントラーメン
「うん……食べる。作ってくれるの?」
「うん。オプションな!」
「あはは、推しの手料理オプションありがとう」短く答える。
ルナが作り、二人で並んで座る。
ズルズルと、無言で口に運ぶ。
外では、誰かが死んでいるのに。
「……なんかさ」湊がぽつりと呟く。
「普通に飯食ってんの、変な感じだよね」
「別に変じゃないでしょ」ルナが即答する。
「生きてんだから、食べるの!てか、美味いとか不味いとか言え!」
「あっ、ごめん……めっちゃ美味い」
「ふふっ、だろ。隠し味入れてるからな!」
「わかった!パンツで出汁とってんでしょ?」
「馬鹿!その出汁で溺れて死ね!あははっ!」
そして少しだけ、間。
そのあと、ルナが立ち上がる。
「……あー」伸びをする。
「お風呂、使うでしょ?」「え?」
「ほら、汗くさいでしょ、あんた。あと…漏らしちゃったんでしょ……?それを私に…って、ねぇ?」
「いやそれはそうだけど!」
「じゃあお風呂行こっか……そのあと」
ちらっとだけ、視線を逸らす。
「……ベッド、行くでしょ?」一瞬、時間が止まる。
「……は?この状況で?」湊の目が見開かれる。
「いや、変な意味じゃなくて!一応その……仕事的に……今日予約入ってたし…楽しみにしてくれてたんでしょ?いやだから、仕事、仕事だから!」
言い訳のように早口になるルナ。
その横で、、「…………」
湊の鼻の穴が、じわじわと膨らんでいく。
「……おい、お前…」ルナが引く。
「なんで鼻の穴膨らんでんのよ」
「いやだって……」真顔。
「世界終わってるのに、ワンチャン来たかもしれないと思って…」
「来てないわ!!いや…来てんのか?」
「いや、来てるんかいっ!!あははっ!」
笑い声と怒鳴り声が、再び部屋に響いた。
続




