第16話 【スタンドでネギュラー満タンにしたらタダだったんですけど】
朝の柔らかな光が、薄いカーテンの隙間から差し込んでいた。「……んぅ……」ベッドの上で、ルナが小さく身じろぎする。その胸の上では、湊がいつものように抱きついたまま寝ていた。しかも今日は妙に全身の距離が近い。「……あんた、近くない……?」
ルナが半目で呟く。だが湊は寝ぼけたまま、さらにぎゅうっと抱き寄せてくる。
「んへへ……ルナちゃんあったかい……」
「うわっ、朝から大型犬の圧……飼ったことないけど…」そう言いながらも、ルナは少しだけ笑った。
すると次の瞬間。「……って、ちょっ、あははっ!ほら、もう起きるよ♡」布団の中で、湊の手がわちゃわちゃ動く。「……めっちゃ触るじゃん♡」「だって朝だし……」「はぁ、意味分かんないからね?」ルナは呆れながらも、仕返しみたいに湊の下をむにっと引っ張った。「お返し♡」「いたたたっ!」
笑い合う二人。静かな終末世界の朝なのに、この部屋の中だけは普通の恋人同士みたいだった。
◇◇◇
数十分後。ホクホクの二人は食卓に向かい合っていた。今日の朝食は、トーストと簡単なスープ。
ルナがキッチンで準備している間、湊はテレビをぼんやり眺めている。
『現在、一部地方地域では暴徒化した集団による略奪行為が確認されています』「……また同じゾンビニュースだよ…たまには芸能人の不祥事でも見たいね〜」湊がリモコン片手に苦笑する。
「ルナちゃ〜ん、今度は地方で暴れる暴徒に気をつけて、だって」「えぇぇ……」ルナがスープを置きながら眉をひそめた。「暴徒化してるんだ……まぁ、この世界なら分かるような気もするけど……」少しだけ視線を落とす。
「……うちらもさ、結局いろんな店から物もらってるし。ある意味、暴徒化だよね」「あははっ!」湊は笑いながらパンを齧った。「どうせ腐っちゃうからセーフでしょ☆」「その理論どうなんだろ……」「でも実際、今さらレジ待ちしてる人いないし!」「あははっ!確かに〜」二人で笑う。
テレビでは、避難所の映像や、自衛隊らしき車両の映像が流れていた。でも、そのどれもどこか遠い世界みたいに感じる。この家の中だけ、妙に平和だった。
◇◇◇
「……ねぇ、湊」「ん?」ルナが少しだけもじもじしながら、湊を見る。「お願いがあるんだけど……」「えっ?」湊の目がキラッと光る。「もう一回?」「ば〜か♡」ルナが笑いながらスプーンを向ける。
「朝もしたんだから夜まで待ちなさい♡」「はい……」しゅんっとする湊。
「違うの」ルナは少し照れた顔で続けた。
「たぶん湊が大変だと思うんだけど……」「うん?」
「私、ショッピングモールデートしたいっ!」一瞬、部屋が静かになる。そして次の瞬間。
「オッケー!」湊が即答した。「オッケー早っ!」
「だってデートでしょ?」湊はにっと笑う。
「それじゃ、一緒に下見行って、大丈夫そうだったらショッピングモールデートしよう!」
「……ほんと?」「もちろん♡」ルナは少しだけ嬉しそうに笑った。
「やった♪もうね、下着の替えが少なかったのよ…元々下着つける仕事じゃ無かったし…あんたも激しくするからボロボロなのよ…。よし!じゃぁ準備して行こう☆」「……だからルナちゃんっていつも下着つけてないんだ…」湊はルナのポチした胸元をじーっと見て呟いた。
終末世界。ゾンビだらけの世界。なのに二人が話しているのは、“次のデート”のことだった。
◇◇◇
朝食を食べ終えた二人は、それぞれ出掛ける準備を始めていた。
「よしっ!」湊は鏡の前で軽く伸びをする。
無地の黒Tシャツ。ハーフパンツ。スニーカー。終末世界とは思えないほどラフな格好だった。
一方、、「……」ルナは完全武装だった。
厚手のパーカー。長ズボン。手袋。首元にはタオル。さらに帽子まで被っている。
「……暑そう」湊が率直な感想を口にする。
「暑い」ルナも即答した。「じゃあ脱げば?」「嫌よ」「なんで?」「噛まれるじゃん!」ルナは真顔で言った。
「あー」確かに正論だった。
しかし、その後ルナは湊の格好を見て眉をひそめる。「ていうか、あんたこそ大丈夫なの?」「なにが?」「その格好!」「えっ?ダサい?」「そこじゃ無い!」ルナは上下を指差した。「そんなに肌出したらゾンビに噛まれるよ?」「まぁ噛まれるね」「いや認めるんかい」湊は少し考えたあと、遠い目をした。
「……最近さ」「うん?」「ゾンビに少しくらい見てほしい気持ちがある」「は?」「だってあいつら俺のことシカトしすぎなんだもん」湊は肩を落とした。
「頑張って話しかけても無視」「うん」
「近付いても無視」「うん」
「釣り仲間になっても無視」「それは可哀想…」ルナは呆れたように笑った。「でも、この世界で羨ましい悩みですねぇ」「いや、ちょっとは気にしてほしくない?」「全然」「即答っ!」「むしろその能力、今、世界中の人が欲しがると思う」「まぁ、それはそうだけど…」「それに私だけが見てればいいじゃん♡」ルナはニヤッと笑った。
「……」「……なによ?」「それ反則では?」「あははっ♪」
◇◇◇
準備を終えた二人は軍用ジープへ乗り込んだ。
ゴゴゴゴ……。重たいエンジン音が響く。
「よーし、出発!」「おー!」ジープはゆっくりと家を離れた。
◇◇◇
外へ出たルナは、妙にご機嫌だった。
「ふんふふ〜ん♪」鼻歌まで歌っている。
「楽しそうだね」「だってデートだもん♪」ルナは窓の外を眺める。ゴーストタウンになった街。止まったままの車。人気のない道路。その間をふらふら歩くゾンビ達。
「おっ!」ルナが窓の外を指差した。「湊見て」「ん?」「めっちゃ追いかけてきてる」後ろを見ると、音につられた数体のゾンビがのろのろと付いてきていた。
「ほんとだ」「頑張れー♪」ルナが窓越しに手を振る。「応援されてると思ってるかな?」「たぶん夕飯だと思われてる」「「あははっ!」」車内に笑い声が響く。
しばらくするとルナはまた外を見る。
潰れたコンビニ。静まり返った商店街。信号だけが点いたり消えたりしてる交差点。
「なんか不思議だねぇ」「ん?」「世界終わったのに、景色はそのまんま」「あー」湊も少し頷く。「分かる。人だけいなくなった感じ」「うん」
少しだけ静かな時間が流れる。その空気を壊すように、ルナが突然湊の頬をつついた。
「ぷに〜♡」「いてっ」「ぷにぷに〜♡」「ちょっ!運転中なんだけど!?」「あははっ!」ルナは完全に遠足気分だった。そんな姿を横目で見ながら、湊はふっと笑う。「……可愛いなぁ♡」「ふぇへっ?」ルナの動きが止まった。「今、お主…なんて?」「いや…可愛いなぁって」「はぁ〜っ♡」ルナの顔が一気に赤くなる。「いきなりそういうこと言うなっ!」「あははっ!」「心臓に悪い!」「本音なんだけどなぁ」「もっと悪いっ!!」ルナは真っ赤な顔のまま窓の外を向いた。だが口元は少し緩んでいる。
◇◇◇
しばらく走ったところで、湊が思い出したように聞く。「そういえばルナちゃん」「ん?」「場所分かる?」「あー」ルナは頷いた。「うん。分かるよ」「ほんと?」「よく買い物行ってたショッピングモールにしようと思って」「おぉ」「ここから車なら四十分くらいかな」「オッケー!」湊はハンドルを握り直す。「じゃあ道案内よろしく!」「任せなさい♡」ルナは得意げに胸を張った。その張った胸を湊は見逃さずモミッ。「こらっ!」「へへへ!」
こうして二人を乗せた軍用ジープは、静かな終末世界の道路を進んでいく。目指すのはショッピングモール。世界が終わっても、二人のデートはまだまだ終わりそうになかった。
◇◇◇
軍用ジープは終末世界の道路を走り続けていた。
ゴゴゴゴ……。重たいエンジン音が静かな街へ響いている。助手席ではルナがまだ上機嫌で鼻歌混じりに窓の外を眺めていた。ルナはにこにこしている。そんな彼女を見ていた湊が、ふとメーターへ視線を落とした。
「あれ?」「ん?」「ガソリン結構減ってるな」ルナも身を乗り出しパネルを見る。「ほんとだ」「ショッピングモール行って帰ってくるくらいなら大丈夫そうだけど……」「念のため入れとく?」「だね。何があるか分からないし」湊は頷いた。「見つけたら寄りま〜す」「了解〜♪」
◇◇◇
それから十分ほど走った頃だった。
「あっ」ルナが前方を指差す。「湊、スタンド」「おっ、本当だ」道路脇にガソリンスタンドが見えた。営業中の看板は少し傾いている。給油機は残っているようだった。
「ここ行ってみる?」「行こう」湊はハンドルを切り、スタンドへ入っていく。
するとキィィ、と音を立て建物の奥から誰かが飛び出してきた。「おっ?人居る」
現れたのは、ヨボヨボのお爺さんだった。なぜか刺股を持っている。「オーライ!オーライ!」お爺さんが車の前へ出る。「オーライ!オーライ!」「えっ?」「オーライ!オーライ!」湊はゆっくり進む。「オーライ!オーライ!」ガシャン。
「はーい!ストップぅぅぅぅ!!」「いや、ぶつかってるやんけ!!」ルナのツッコミが炸裂した。「誘導の意味っ!」「あははっ!」
◇◇◇
お爺さんは運転席へ駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませぇ!」「どうも〜」
「ネギュラーですか?」「えっ?」
「パイオクですか?」「えっ?」
「ネギュラーですか?パイオクですか?」
湊は数秒考えた。「……すみません、ちょっと分からないので見てもらっていいですか?」「かしこまりましたぁ!」お爺さんは元気よく敬礼した。
「あっ、満タンで!」「はーい!」そして給油を始める。
◇◇◇
その様子を車内から眺めていた二人。
「……ねぇ」ルナが小声になる。「ん?」「湊……お金持ってるの?」「……」湊の笑顔が固まった。
「あっ」「えっ?やっぱ持ってない?」「うん。最近ずっと払ってないから……てか、今下ろせるのかな…」「うん…だよね…」「PayPayなら……」「使えないでしょ絶対」「だよね」ルナも困った顔になる。
「私も現金ない」「カード?」「カード」二人はそっと外を見る。お爺さんは真剣な顔で給油している。どう見ても現金派だった。
「……やばくない?」「やばいね」「どうしよう」するとルナがニヤリと笑う。「暴徒化する?」「えっ?轢き殺すの?」「はっぁ?考えやばっ!嘘嘘♡」ルナは肩を揺らして笑った。「最悪、私の体で払うかっ!」「えっ!?絶対ダメ!!」湊が即答する。
するとルナは数秒固まったあと、「……あんた今、何想像した?」「えっ?」「私もここで働くって意味なんだけど?」「……」「相変わらず脳内スケベだなぁ♡」「違うってぇぇぇ!!…違くは無いけど……」車内に笑い声が響く。
◇◇◇
そんなことを話している間に給油は終わった。
お爺さんが窓の前へやって来る。「ネギュラー!満タンです!!」ビシッと敬礼。なぜか湊も反射的に敬礼した。「ありがとうございます!」「いえいえ!」
そして問題の瞬間が訪れる。
「あの〜……お代は……」お爺さんは目を丸くした。
「お代?」「はい……」「なんで?」「えっ?」今度は湊が固まる。お爺さんは胸を張った。
「お国のために働く人からは、お金はいただきましぇん!!」再び敬礼。「えっ」「えっ」ルナと湊が顔を見合わせる。
どうやら軍用ジープのおかげで、自衛隊関係者だと思われているらしい。
「いや、僕たち、、」湊が説明しようとした瞬間。ドゴッ。「いってぇ!」助手席から湊の太もも目掛け足が飛んできた。ルナだった。満面の笑みで小さく首を振る。“言うな”その目だった。
「……」「……」二人は顔を見合わせる。
そして。「ありがとうございます!」ビシッ!二人揃って敬礼した。「お気を付けてぇぇぇ!!」お爺さんも敬礼。なんとも言えない空気のまま、ジープはスタンドを後にした。
◇◇◇
「……」「……」走り出してしばらく沈黙。
そして。「今回の件…詐欺では?」「詐欺だね」「完全に?」「完全に」二人は顔を見合わせる。
「でも説明したら傷付くと思った」「うん」
「絶対いい人だった」「うん」
「今度なんか持って行こうか」「そうしよっか」
そして二人は同時に吹き出した。
「「あはははっ!!」」「てか!ネギュラーってなんだったんだろうね!」「いや、パイオクも分かんなかった!」笑いながら車は進んでいく。
◇◇◇
それからしばらく走った頃。大きな橋へ差しかかった。橋の上からは街を一望できる。
「おっ!見えてきたよ」ルナが前を見る。「ん?」「ほら、ショッピングモール」湊も視線を向けた。遠くに大きな建物が見える。だが、、
「……」「……」二人の笑顔が消えた。そして湊が持ってきた双眼鏡でショッピングモールの周囲を見る。
駐車場。入口。道路。そこには無数の人影がいた。
ゾンビ。ゾンビ。ゾンビ。ゾンビ。見える範囲だけでも相当な数だった。
「……湊くん…」「うん」「帰ろっか?」ルナが真顔で言う。だが湊も真顔で答えた。「……いや」「うん?」そして湊は少しだけ笑う。「ショッピングモールデートしたい♡」ルナは数秒固まった。
その後。「……アホだ♡絶対守れよ♡」「もちろんっ!」そう言いながら、二人は小さく笑った。
巨大なショッピングモールを見下ろしながら、二人を乗せた軍用ジープは橋を渡っていく。デート会場はどうやら想像以上に難易度が高そうだった。
続
読んで頂きありがとうございます。最近、1話1話が長くて読み辛かったらごめんなさい。思い付きで書いてると長くなってしまって…。気に入って読んでくれてる人が居たらもう少し短くとか、改行見辛いとか、コメントやメール頂けるとめちゃくちゃ助かります。




