第10話 【終末世界で大家に挨拶行ったらゾンビだったんだが】
朝。カーテンの隙間から差し込む光が、ゆっくりと部屋を照らしていた。聞こえるのは、遠くの鳥の声と、庭の椰子の葉が風で揺れる音。
「……あー……」縁側近くの布団で、ルナがぐでぇっと伸びる。「腰痛ぁ……」 ぽそっと呟きながら、隣を見る。そこには、幸せそうな顔で爆睡している湊。
口半開き。布団を抱き締めている。
完全に安心しきった寝顔だった。
ルナはじーっと見つめる。
「……枕が変わっても、することは同じね〜♪」
くすっと笑いながら、湊の額へ指を当てた。
、、ぺちん。
「ぷぎゃっ!?」湊、飛び起きる。
「なっ、何!?なになに!?ゾンビ!?」
「あははっ!朝から“ぷぎゃっ”って何♡」ルナはケラケラ笑っていた。
「び、びっくりしたぁ……」湊は胸を押さえながら辺りを見回す。
見慣れない天井。広いリビング。差し込む朝日。
「……あっ」そこでようやく思い出す。
「そっか……俺たち昨日ここ泊まったんだ」
「そうそう。勢いで新居初夜しちゃいました☆」
「ルナちゃん!言い方ぁ!!」ルナは布団の上で寝返りを打ちながら笑う。
「いや〜、でもベッドじゃなくても意外と寝れたね」
「うん。歩き回って疲れて気絶してた説あるけど」
「あと、あんた途中で寝言言ってたよ」
「えっ!?マジで!?」
「“ルナちゃんそれは攻めすぎ……”って」
「ふぇっ!?何の夢見てたんだ俺!?」
「「あははっ!」」静かな新居に笑い声が響く。
窓の外では、椰子の葉がさらさら揺れていた。
まるで、ここだけ別世界みたいに穏やかだった。
湊はぼんやり天井を見上げる。
「……なんか、不思議だな」
「ん?」「世界終わってるのに、普通に朝が来る」
ルナは少しだけ目を細めた。
「……でも、その普通がちょっと嬉しいかも」
「……うん」
一瞬だけ静かになる。でも次の瞬間。
「ほらっ!」ルナが湊の頬をむにっと引っ張る。
「いつまでダラダラしてんの!」
「いひゃいっ!」「今日は引っ越し準備するんでしょ?」「あっ、そうだった」
マンションには、まだ荷物が残っている。
食料も服も、生活用品も。
「というわけで、」ルナは立ち上がり、大きく伸びをした。
「新婚夫婦のお引っ越し作業スタートで〜す☆」
「終末世界でそのテンション出せるの強すぎるって……。しかも…夫婦なんだ…♡」
「えっ?何不満?ねぇ?朝ご飯前にもう一回する?」
「えっ!?」「あははっ!冗談♡」
「嘘だ!絶対半分本気だった!!」
ルナは笑いながら、湊へ服を投げる。
「ほら、準備!」「はーい……」
湊は苦笑しながら起き上がった。
世界は壊れている。それでも二人は、まるで普通の同棲カップルみたいに朝を迎えていた。
◇◇◇
二人がマンションへ戻った頃には、昼前になっていた。
「うわぁ……なんか久しぶり感ある」ルナが玄関へ入りながら呟く。「昨日まで普通に住んでたのにね」湊も靴を脱ぎながら部屋を見回した。
見慣れたソファー。小さなテーブル。二人でぐだぐだしていた空間。でももう、“帰る場所”という感じは少し薄れていた。
「……なんか」ルナがぽつりと言う。
「元カレの家に来たみたい」「いやいや、ルナちゃん家だしっ!」「「あははっ!」」二人は笑いながら荷物をまとめ始めた。
◇◇◇
「これは?」ルナが謎の置物を持ち上げる。
「いらないでしょ!」「早っ」
「じゃあこれは?」「それもいらないでしょ!」
「え〜、あんた生活に彩りなさすぎ」
「終末世界に彩り求めてる場合かな!?」
湊はクローゼットから服を引っ張り出しながら苦笑する。
「とりあえず必要なのは、水、服、食料、薬……」
「あと推し忘れんなよ♡」「それは最優先で確保済みです」「あははっ!よろしい!」
ルナは楽しそうに段ボールへ荷物を詰めていく。
だが次の瞬間。「……ん?」湊の手が止まる。
引き出しの奥から出てきたもの。細長い箱。
「……」「……」静寂。
湊は無言で取り出した。「これは?」「っ!!」
ルナの顔が一瞬で赤くなる。
「ちょっ!?なんで今それ出すの!?」
「いや普通に荷物整理してたら出てきたんだけど!?」湊の手に握られていたのは、ピンク色の電マだった。
「……これいる?」「…………」ルナは視線を逸らす。
「……いる♡」「いるんかい!!」「あはははっ!!必要だろっ!」ルナは腹を抱えて笑う。
「いやだって!終末世界ストレス溜まるし!」
「用途が終末世界向きじゃないのよ!」
「湊が死んだ時の非常用♡」「どんな非常時だよ!!」二人の笑い声が部屋へ響く。
外ではゾンビがうろついているのに、
この部屋だけ、相変わらず空気がおかしかった。
◇◇◇
数時間後。
「……よしっ」湊は段ボールを閉じて息を吐いた。
「こんなもんかな」「あんまり減らないね」
「まぁ、本当に必要な物だけだしね」
新居へ運ぶ荷物は、意外と少なかった。
服。生活用品。食料。少しの思い出。
「……」湊は荷物を見ながら少し考える。
「どうしたの?真面目な顔して」
「ん〜……車いるね」
「……あ〜」ルナもすぐ納得した顔になる。
新居は少し離れている。徒歩や自転車だけでは、これから厳しい。
「湊、運転できるの?」「一応……ペーパードライバーのオートマ限定だけど……」「ふふっ、急に頼りない」「“限定”って言うと弱そう感あるよね」
「「あははっ!」」
湊は窓の外を見る。放置車両はそこら中にある。
「たぶん鍵付きの車も探せばあると思う」
「……危なくない?」「まぁ危ない」即答だった。
「でも、車ないと今後きついし」
「……うん…これ運ぶの何往復?」少しだけ真面目な空気になる。
湊はリュックを背負いながら言った。
「ルナちゃん、ここで待ってる?」
「うん。そのつもり☆おんぶしながら車探すの大変でしょ?」
「まぁね〜」「どうせまた“重い”って言うんだから」
「いやだって実際」「でも夜は“乗って♡”とか言う癖に」「わぁぁぁっ!?!?」湊が顔を真っ赤にする。
ルナはケラケラ笑いながらクッションを投げた。
「変態〜♡なに想像してんの?腰にでしょ??」
「わぁぁぁぁ!そっち?否定できないっ!!」
「あははっ!」そしてルナは、少しだけ優しい顔になる。
「……気を付けてね」「うん」湊は笑って親指を立てた。
「オッケー。すぐ車見つけて戻るよ!」
「はーい。ルナちゃんはお留守番してま〜す♡」
湊は笑顔で部屋を出た。静かな廊下。遠くで響く呻き声。でも今の彼には、“帰る場所”があった。
◇◇◇
マンションを出た湊は、ひとり街を歩いていた。
「さてと……車、車……」
道路には、相変わらず大量の放置車両。
軽自動車。ワゴン。高級車。営業車。選び放題ではある。
「うわぁ……逆に迷うなこれ」湊は適当に一台を覗き込む。
「おっ、ベンツ」高そうな黒い車。
「……いや、終末世界でベンツ乗っても“金持ちゾンビ”感すごいな」却下。次。
「おっ、プリウス」なんか安心感ある。
「でも静かすぎて逆に怖いな……」
ゾンビに囲まれた時、“近付いてるのに気付かない”とかありそうだった。
「あと終末世界でプリウス乗ってると、“燃費を信じる男”感あるし……」次。
「……スポーツカー」真っ赤。
「うわ、絶対乗りにくいやつ…しかも車高が低い。ゾンビ轢いた瞬間フロント終わるでしょこれ」想像して少し笑う。
「いや待って……」湊は急に真顔になる。
「今って、ゾンビ轢いても事故扱いになるのか?」少し考える。「……警察も忙しそうだしな」一人で納得した。
すると近くのゾンビが反応する。
「ぅぅぅ……」「うわっ、独り言に寄って来た!」
湊は苦笑しながら後ずさる。
「いや君らさぁ……ほんと音フェチすぎない?」ゾンビはふらふら近付いてくる。
「じゃあ試しに……」湊は小さく手を叩いた。
ぱちん。ゾンビ、ぴたり。キョロキョロ。
「うわっ、犬みたい」「ぅぅ……」「おすわり」もちろん座らない。「いやそこは座ろうよ!」
一人ツッコミしながら歩いていると、ふと視界の奥に見えた。
「……ん?」大型の車両。迷彩色。
「おぉ……!」湊は思わず駆け寄る。
「これ、自衛隊のジープじゃん……!」
ごつい車体。太いタイヤ。いかにも“終末世界で生き残れそうな車”。
「ん〜〜〜、これ最高じゃない?」
窓を覗き込む。鍵は刺さったまま。
「えっ、マジ?」中へ入る。
「おぉ……広っ」そしてシフトを見る。「……オートマだ!!」湊、感動。
「ありがとう!オートマ開発者!!」
さらに燃料メーターを見る。「満タン!?!?」
もうテンションが限界突破だった。
「はいぃぃぃ!これもうSSR引いたでしょ!!」
湊は嬉しそうにハンドルを握る。
「いや〜〜〜、急に“終末主人公感”出てきたなぁ……!」
◇◇◇
数十分後。ジープはマンション前へ到着した。
ゴゴゴゴ……と重たいエンジン音。湊は窓から顔を出して叫ぶ。
「おぉぉぉいっ!!ルナちゃーーーん!!」
しばらくして、マンションの廊下からルナが顔を出した。
「静かにしろってぇぇ!!えっ、なにその音……」
そして車を見た瞬間。「……でっか…」
湊は得意げだった。「すっごい車手に入れた!」
「いやいやいや!」ルナは吹き出す。
「もっとこう……ポルシェとか想像してたんだけど!?」「終末世界でポルシェ乗ってどうすんの!?」「でもまぁ……」ルナはジープを見上げる。
「この世界ならポルシェより強そうか♪」「でしょ〜?」湊はドヤ顔だった。
◇◇◇
二人は荷物を運び始める。
「これ後ろでいい?」「うん、そこ置いといて〜」
段ボール。水。服。食料。その時だった。
「……あら」背後から声。二人が振り向くと、同じマンションの住人らしいおばさんが、ドアから顔を出していた。「あんたたち、引っ越すのかい?」
「あっ、はい」ルナが笑う。
「ちょっと彼氏と住むことになりまして♡」
「っ!?」湊、急に照れる。「ちょっ、言い方ぁ!」
「あははっ!」
おばさんは優しく笑った。
「そうかい。若い子が一緒にいるのは良いことだよ」
「……ありがとうございます」
「でも外は本当に危ないみたいだからねぇ。気を付けるんだよ」「「はい!」」
短い会話。でも、その“普通の近所付き合い”みたいな空気が少しだけ懐かしかった。
◇◇◇
荷物を積み終えた頃。
「あっ」ルナが何か思い出した顔をする。
「大家さんに一応言ってくる」「えっ、今?」
「だって黙って消えるの感じ悪いじゃん☆それに家賃引き落とされてたら腹立つし!」「いやまぁそうだけど……」
二人は廊下の奥へ向かう。大家の部屋。
ルナがインターホンを押す。ピンポーン。
「……」返事なし。「大家さ〜ん?」もう一回押す。 反応なし。「……あれ?」ルナがドアノブへ手をかける。
ガチャ。「開いてる……よ」「うわぁ、嫌な予感する」湊が顔をしかめる。
そーっと扉を開ける。「大家さ、、」「ぅぅぅ……」「「うわぁぁぁっ!!?」」
目の前。大家ゾンビ。血走った目でこちらを見ていた。バタンッ!!二人は全力で扉を閉めた。
「…………」「…………」数秒、沈黙。
中から、ドンドン……と扉を叩く音。
ルナが真顔で言う。「湊……見なかったことにしよ」「うん。それが一番平和な解決だと思う」湊も真顔で頷く。
「俺も何も見てない」「うん」
「じゃ、行こうか」「うん」
二人はものすごい早歩きでその場を離れた。
後ろではまだ、大家ゾンビがドンドン扉を叩いていた。
続




