第9章 雪潜
朝の冷えは骨に入った。毛布の面に白い霜が降りていて、ダリオはそれをばらばらと払ってから起き上がった。関節が鳴る。年のせいではない。岩場の寝床が硬いだけだ。
昨夜、ゴルムが去っていった方向の足跡は、朝の気配とともに凍りついて、硬い凹凸になっていた。ダリオは腰の剣の刃を親指で押してみた。昨日の夜、石で囲った火の灰はまだわずかに温かく、白い息と一緒に空へ昇っていく。
火は石の囲いの中で小さく寝ていた。ゴルムの忠告どおり、夜のあいだそうしておいた。ダリオは灰をかき、火を完全に消してから、昨夜のことを一行に話した。
「夜中に雪を掻く音がした。北の尾根のほうへ遠ざかった。ゴルムが言っていた上の二匹だろう」
「では、今日、出くわすかもしれませんね」パウルが言った。色白の顔に、朝の冷えでうっすら色がついている。
「出くわしたら、俺の後ろにいろ。いいな、リナ」
「は、はい。ダリオさん」
朝の飯は黒パンと干し肉だった。パンを灰の上に置いて炙ると、縁が焦げて香ばしい。リナは干し肉を小刀で薄く削り、自分の分だけきちんと数えて岩の上に並べていた。ダリオはそのやり方を真似した。昨日に続き二度目だ。そろそろと削る。今度は岩に落ちなかった。
*
ケスは朝のうちに高みへ上がった。鴉人は高い所に登りたがる。岩の棚を伝って登っていき、やがて見えなくなった。
一行は沢沿いの道を登った。道は北向きの斜面にかかる。斜面には雪が残っていた。日が当たるといくらか雪が緩み、靴が膝まで沈むところもある。抜くと、雪解けの泥と水が靴紐に絡む。リナが足を取られてよろめき、慌てて隣のハイマツの幹をつかんだ。「冷たい」と彼女は言い、濡れた手を服の裾で拭った。
ヴィルマが先頭で、足場を選んで歩いた。彼女は時々立ち止まり、雪の上の何もない場所をじっと見てから、また歩き出した。ハイマツの低い茂みを抜けると、風に松脂の匂いが混じった。
日が高くなって、昼の鐘のころだろうというとき、斜面が開けた。右の沢が見える。沢沿いに、雪が長く残っている。雪の白さと、そこに横たわる岩の灰色が、静かに境界を引いていた。
頭上の岩の上から、ケスの声が落ちてきた。
「二つ。白いの。右の沢」
*
ダリオは剣の柄を握った。冷たい鉄の感触が掌に馴染む。
「リナ、ブリギッテ、岩の陰へ。ヴィルマも下がれ」
「はいっ」
三人が岩の陰へ動く。ヴィルマは腰の道具巻きの紐を一度引き締めて、岩の陰に入った。
ダリオは前に出た。雪の上に一歩、また一歩と進んで、思いきり足を踏み鳴らした。振動だ。雪潜は目が弱い。音と震えで探る。振動が靴の裏から脚へ伝わり、雪の下の何かに届くのを、ダリオは自分の足裏で感じていた。
雪の下が、二か所で動いた。
白い背が雪を持ち上げ、雪が割れた。出てきたのは、馬二頭ぶんの長い胴に、短い足をいくつも並べた獣だ。毛皮は白く、頭は平たい。目は小さい。昨日、ゴルムが棒にぶら下げていたのより一回り大きい。雪の中から出てくる音は、湿った布を引き裂くような、鈍い音だった。
「氷、やります!」
リナの声とともに、氷の穂が雪を割って立った。だが雪潜の足元ではなかった。氷の穂は、獣の頭上を大きく越え、ダリオの右横の雪に突き刺さった。散った霜が、ダリオの右の髭の先に張りついた。
(後で覚えとけ)
ダリオはもう一度踏み鳴らした。二匹の頭が、振動の主――つまり自分――へ向く。その瞬間、リナが杖を振り直した。
「火、いきます」
火が走り、上の手の一匹の顔面を舐めた。毛が焼ける臭いが、冷たい山の空気に混じって鼻をついた。白い毛皮が黒く焦げ、獣がのけぞって雪を転がる。火と熱に弱い。
ダリオは焦げた一匹へ踏み込んだ。剣を振り下ろし、前足を斬る。骨に当たる感触があった。獣が悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げ、白い毛皮に赤い筋が走った。
もう一匹が跳んできた。ダリオは剣の腹で受ける。爪が剣を滑り、右の頬を掠めた。熱い。獣は体を翻して雪を掻き、斬られた一匹の後ろへ回ると、二匹そろって北へ走り出した。足を斬られた一匹は、引きずるように走った。爪が岩を擦り、雪を蹴散らしながら、二つの白い塊は雪の斜面を下って消えた。
頭上からケスの声。
「北へ。尾根の向こうへ入った」
「追わん」ダリオは剣を収めた。「坑のあるほうだ。追っていい場所じゃない」
*
あとは静かだった。
雪の上に、黒い血が数滴落ちている。日なたの雪の上で、その色はすぐに薄くなった。ダリオの右横の雪に、氷の穂が一本立っていて、日を浴びて光っていた。ハイマツの影が長く伸び、風が雪面の上を滑っていく。鳥が一羽、頭上を横切っていったが、鳴かなかった。
リナが駆け寄ってきて、ダリオの顔を見て、固まった。
「ダリオさん、右の髭が、白く……」
ダリオは右の髭の先に触った。凍っている。指で弾くと、カチッと音がした。
「これで左右……」
左の先は、街の祝福の日に行列の蝋燭で焦げて縮れている。右の先は凍って白い。揃わなかった。
リナは杖を握りしめたまま、頭を下げた。「外しました。すみません」
「髭はいい。頬のほうが先だ」
爪に掠められた頬を、指で拭うと赤く濡れていた。かすり傷だ。岩の陰からはヴィルマが出てきて、手の甲を押さえている。獣が翻るときに払った爪が掠めたのだ。細い切り傷が一条、手の甲に走っている。
「薬箱の、二人分だ」
「はい! 座ってください。ダリオさん、ヴィルマさんも」
ブリギッテは袖をまくり上げ、薬箱を開け、水袋の水で二つの傷を流した。それから掌に灯をともす。小さな、暖かい光だ。それを傷に当てると、じんと熱が染みて、痛みが引いていく。
「かすりだ」ヴィルマは言った。
「かすりですから、心配はいりません」ブリギッテは早口で続けた。「でも、今日は砂や灰を入れないでください。夜、もう一度見せてください」
「了解だ」
パウルは岩の陰から出てきて、北の尾根を見ていた。杖は下げたままで、術の気配はない。
「坑のほうへ、向かいましたね」
「ああ」ダリオは頬を確かめながら答えた。「俺たちは砦へ行く。北の雪の中へは入らない。腹の中では、そう決めてる」
腹が鳴った。戦いのあとの腹は正直だ。ダリオは干し肉を一枚齧り、水袋で流し込んだ。リナはまだ少し、杖を握りしめていた。
「次の氷は、当てます」リナは言った。誰にともなく。
「ああ、楽しみにしてるよ」
荷を担ぎ直すと、一行はまた登り始めた。ヴィルマが先頭だ。ダリオは声をかけようとして、やめた。
ヴィルマは、逃げた雪潜の掻き跡ではなく、尾根の向こうを見ていた。それから、何事もなかったように、足場を選び始めた。




