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第4章 糧の村

皐月四日の朝。晴れ、風なし。


四つ目の一里塚近くの野営地で、ヴィルマは火跡に石を被せた。石は先に拾っておいたものだ。灰は石の間へ蹴り込む。煙の匂いが外套の裾にこびりついていた。夜あけに残る炭の匂いは、街の石炭の匂いとは違った。乾いた草の匂いがした。


周りでは仲間たちが支度をしていた。ダリオが黒パンを割って配る。マスターがくれたパンは、もう半分を切っていた。干し肉は袋の底で薄くなっていた。


ケスが岩の上から降りてきた。羽の縁に、夜露の湿りが光っていた。


「水場は大丈夫だ。夜のあいだ、近寄ったものはない」


ブリギッテは東に向いて、短く祈った。リナは杖の革紐を締め直す。パウルは書物袋を肩にかけた。白い法衣の裾の泥は、乾いて白くなっていた。


出発した。


*


五つ目の一里塚を過ぎると、赤い棘草が疎らになった。地面の色が、荒れ野の灰色から少しずつ、土の色へ替わっていく。棘草の間に、背の低い草が増えていた。六つ目では、もうない。ブリギッテの袖に絡んでいた実も、二つになり、一つになった。


ヴィルマはその最後の一つを、ことわりもせず抜いて、道端へ落とした。


荒れ野が開けた。灰色の道、灰色の岩、そして麦畑。尾根のふもとに沿って、青い畑が続いている。畑と畑の間に、低い石の垣があった。石を積んだだけの垣だが、手が入っている。


風の向きが替わった。土の匂いがした。湿った腐葉土の匂いもない。乾いた、よく耕された土の匂いがした。


ヴィルマの足が、速くなった。


(速い)


気づいても、足は緩まなかった。荷物の重さは同じだ。歩幅だけが勝手に伸びていた。何度も歩いた道だ。背中に鎌を背負って歩いた道だ。子どものころは、道はもっと長かった。歩いて歩いて、村が遠かった。いまは、畑の端がもう見える。


土の匂いが、街の周りの平野とは違う。自分の村の土だった。


「北の姐さん、飛ばしてんぞ」


後ろからダリオが言った。ヴィルマは少しだけ緩めた。


「近いんだ」


道は下る。麦の向こうに、煙が二つ。ひとつの脇で、白い塊が動いていた。羊だった。羊の動きは、遠くから見ても分かった。


*


夕方五つごろ、村に入った。


カルトブルン。石と泥の家が、四十ほど。低い柵、囲い、土埃。家々の壁は、日が照って乾いて、白っぽく固くなっていた。柵の向こうから羊の声がした。たくさんの、たくさんの羊の声。足の踏む音と、鼻を鳴らす音が、混じって聞こえた。


ダリオが立ち止まって、囲いを見た。しばらく動かなかった。囲いの中では、羊が寄り添って、ゆっくりと草を食んでいた。毛先が、夕の斜光に土色に光っていた。


犬が一声吠えて、やめた。


家々から女たちが出てきた。一人は水桶を担ぎ、一人は薪を抱えている。ヴィルマを見つけて、足を止めた。


「おや、ヴィルマじゃないか」


「帰ってきたのかい」


子どもがどこかへ走っていった。村の中心に着くころには、女たちがもう集っていた。四人、五人。手に物を持ったまま、顔を寄せる。誰も荷物を置こうとしない。置いてしまうと、集まれないからだ。


「無事かい」


「この人たちは?」


「仕事だ。山へ行くんだ」


ヴィルマは短く、順に答えた。女たちはダリオの剣を見、ケスの羽を見、白い法衣を見た。水桶の陰から子どもが覗いていた。ケスが首を傾げる。子どもは引っ込んだ。


女の一人が、声を落とした。


「山の衆に、知らせたかい」


「まだだ」


女はうなずいた。それ以上は訊かなかった。荷物をもう片方の腕に持ち替えただけだった。


山の衆が何なのか、誰も訊かなかった。


ダリオは、羊を見ていた。


*


ヴィルマの家は村の東側にあった。藁葺きの屋根、低い戸、石の柵。戸の前の石段は、踏み面だけが白く薄くなっていた。戸を開けると、羊毛と煙の匂いが出てきた。


「母さん」


ベアタは竈の前にいた。小柄だ。両手に粉がついている。振り向いて、まず笑って、それからヴィルマを抱いた。抱く腕の力は、小柄な体から出るものより強かった。


「まあまあ。また痩せて」


「痩せてない」


一行が家に入った。戸枠が低いので、ダリオは背を丸めた。それでも、戸枠に頭をこすった。リナが笑った。


ベアタが卓にパンを並べた。焼きたての黒パン。重い。手のひらに、じんわり熱が残る。横には厚く切ったチーズ、木杯の山羊の乳。卓の真ん中で、羊の脂の灯が燃えていた。羊の脂の灯は、煤が多く、匂いが強い。ヴィルマは街の油の灯に慣れていた。戻ってきて、匂いを思い出した。


「お名前を、教えておくれ」


ヴィルマは名だけを紹介した。ダリオ。リナ。ケス。ブリギッテ。そして、白い法衣のパウル。


ベアタは順に頭を下げた。パウルのところで、目が法衣の白さの上で止まった。笑いが少しだけ止まった。それから、また戻った。


「座りな座りな。パンはあるよ」


「お手伝いしましょうか」


ブリギッテが台所を覗き込んで言った。


「いいんだよ。お客さんは座ってな」ベアタが笑って制した。


ブリギッテがチーズを一切れ取って、鼻に近づけた。


「街のチーズと、匂いが違います。なんだか、温かい匂いですね」


「街のは牛だろ」


ベアタは笑って、チーズを包丁で割った。


「こっちは羊だ。冬でも固いんだよ。よく噛んでお食べ」


ダリオはチーズをそのまま齧った。歯が立たない。ダリオが力を込めて引く。チーズは負けなかった。リナが笑って、自分の分は包丁で削った。ケスはパンを小さくちぎって、一つずつ食べた。


ベアタがダリオの髭を見て、目を細めた。


「あんたの髭、右と左で長さが違うねえ。左右で違う人が、二人いるみたいだ」


ダリオが髭を撫でた。先に右、それから左。


「伸びる」


「そう。なら、夏を楽しみにするよ」


ケスが首を傾げて、髭を見た。先に左、それから右。


パウルは黙って食べていたが、ひとことだけ言った。


「おいしいです」


ベアタがヴィルマを見た。


「山へ行くのかい」


「ああ」


ベアタはそれ以上言わなかった。パンをもう一つ、卓に置いただけ。


食べ終わって、ヴィルマは水を汲みに出た。柵の向こうの麦畑に、夕方の光が降っていた。穂はまだ青い。風が通ると、青がいっせいに揺れた。青い穂の匂いが、風に乗ってきた。


ヴィルマはしばらく見てから、水を汲んで、家に戻った。


*


夜。一行は竈の周りに毛布を広げて寝た。ブリギッテが最初に落ちた。ダリオのいびきが始まった。パウルは壁にもたれて眠った。ケスは屋根へ出ていった。


ヴィルマは竈の前に座って、父の道具箱を膝に置いた。


鉄の金具のついた木箱だ。錠は古い。道具巻きから細い針金を取り出して、差し込んで、二度回す。錠は音もなく開いた。開け方を、父から教わったのではなかった。見て覚えた。


中には鑿と槌と、鉄の楔。鉱夫の楔だ。父は鉱夫だった。村の鉱は、父の代で閉じた。閉じた年の道具は、この箱の中に、使える形のまま入っていた。


ヴィルマは楔を三本選んで、道具巻きに足した。楔は冷たく、重かった。


蓋を閉め、錠を回す。箱を、いつもの場所に戻した。


ベアタが竈の火を埋けていた。炎が沈んで、部屋には煙の匂いだけが残った。


「村長が、明日の朝、待ってるよ」


ベアタは灰を均しながら言った。


「分かってる」


ヴィルマは灯の芯を切った。闇の中で、羊毛の匂いが、少しだけ近くなった。


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