第14章 砦の議
皐月十日、午後。古砦の礼拝の間で、議が開かれる。
ヴィルマは北の村カルトブルンの娘で、壁の街の冒険者たちの道案内だった。その一行とともに、昨日の夕方、この砦へ着いた。今日の昼は倉の二階で黒パンと羊のチーズを食った。食後しばらくして、ヤラが迎えに来た。
「ヴィルマ。中では立って聞け」
「分かった」
廊下には灰狼の子が二人、壁にもたれてこちらを見ていた。片方は耳がぴんと立ち、もう片方は耳を伏せていた。石の床を、足の裏で踏むと冷たかった。廊下の空気は、外より少し冷たく、石と古い藁の匂いがした。子らの目は、ヴィルマの顔と、その後ろのダリオの剣を順に見て、またヴィルマへ戻った。ヴィルマが通りすぎても、逃げもしなかった。
礼拝の間は、砦でいちばん広い石の間だった。ここに鐘はない。ヴィルマは高窓から差す光の角度で、昼が過ぎたことを知った。光は床の上に細長い菱形を作り、壁の下のほうで止まっていた。間の中は、古い煤と羊毛の匂いがした。それに、石の冷えた匂いと、長いあいだ焚かれた脂の匂いが混じっていた。
天井の梁は、煤で真っ黒だった。梁の下の石壁に、古い蝋燭の溶けた跡が何重にも重なって、瘤のように固まっていた。瘤のいくつかは石の面を下りて、途中で硬く止まっていた。下の古いものは埃をかぶって灰色に、上の新しいものはかろうじて蝋の白さを残していた。長いあいだ、この間で灯が絶えなかったのだろう。ヴィルマはそれだけを見て、足を進めた。自分の足音が、天井に低く返ってきた。
部屋の奥に、半円に石の席が並んでいた。十二ある。
座っているのは八人だった。奥の四つは長老たちだ。口先の白い灰狼。鱗のつやの消えた蜥蜴人。羽に白まじりの鴉人。杖をついた土竜人のオド。長老たちは、ヴィルマたちが入っても、体を動かさなかった。手前の四つは若い者たちで、左の耳の欠けたヤラもその一人だった。
四つの席が空いていた。
ヴィルマは理由を知らない。考えたこともない。席は他の八つと同じく、座面が磨かれて光っていた。空いた四つにも、同じ光が当たっていた。ただ空いていた。
一行は、席の前の床に立って聞け、とヤラに言われて、壁ぎわに並んだ。ヴィルマはダリオの背の隣にいた。ダリオは腕を組んでいた。ケスは首を傾げて、石の席をじっと見ていた。リナは杖を両手で握り、袖口に指を埋めていた。ブリギッテが小さく声を出した。
「一、二……十一、十二。十二席ありますね」
「席は十二、尻は八だ」とダリオが言った。
誰も、残りの四つについて訊かなかった。
奥の壁の高いところに、古い刻みが並んでいた。正門の楣のものより、ずっと細く、数が多い。薄暗くて、ヴィルマには読めなかった。目を止めて、それきりにした。
*
オドが杖で床を一度叩いた。カン、と広間に音が響いた。音は壁に当たり、高窓の格子のほうへ抜けていった。
「坑のことと、水門のことを話す」
声はゆっくりだった。言葉と言葉のあいだが、長い。石の間は、そのあいだを静かに保って聞いていた。
「坑は三百年、水の底だった。この冬、水門の梁が朽ちて抜けた。水は谷へ流れ出し、坑が乾いた。乾いてから、底の者が上がってきた。雪潜は低い所へ下りた」
村の羊のことだ。ヴィルマは知っていた。囲いの柵の外の、六本の指の足跡。あれが、この坑から下りてきたのだ。
「直す道は一つだ。梁を入れ替え、水門を閉める。水が満ちれば、底の者は深みへ帰る。梁は六本、切ってある。だが水門の間に、あいつらの巣がある。梁を運び込むには、まず払わねばならん」
杖がもう一度、床を叩かれた。
「問いは一つ。壁の街の者を、坑に入れてよいか」
広間が静かになった。高窓の光が、石の床の上で少しずつ動いていた。光の中を、埃が一つ、ゆっくり落ちていった。ヴィルマは壁に背をつけたまま、動かなかった。壁の冷たさが、肩甲骨へじわと伝わった。隣でダリオの腕が、わずかに重くなった気がした。
八人が、順に立ち上がった。
一人ずつ、白い木札と黒い木札を一枚ずつ持っていた。木札は手のひらに収まる大きさで、縁が丸く削られ、長いあいだ手にされた艶があった。どちらか一方を、入口のそばの石の台の上の壺へ入れる。壺は焼き物で、口が窄まり、中は暗かった。壺の肩には、長いあいだの脂の跡が薄く光っていた。
灰狼の長老が最初に立った。立ち上がるとき、白い毛が一度膨らんだ。壺の前で札を落とした。カツン、と音がした。
蜥蜴人の長老。鴉人の長老。同じ音だった。
四番目にオドが立った。杖の音を頼りに、ゆっくり歩く。壺の前まで来て、手が空を探った。壺はもう少し右にあった。
ヤラが立ち上がり、壺を引き寄せて、オドの手の下へそっと置き直した。
オドは札を落とし、言った。
「動いたな」
ダリオが鼻を鳴らした。リナが袖口で口元を押えた。
残りの四人も順に立ち、札を落とした。ヴィルマは音を聞いていた。壺の底に当たる音は、白も黒も同じだった。カツン、カツンと、八つとも同じ甲高い音だった。どちらの札か、音では分からなかった。
八つ目の音のあとで、若い鴉人が壺を持ち上げ、札を手のひらへ出した。白い札を指で分けながら、数える。机に並べるのではなく、手の中で指先ではじくように数えた。
「三つ。……六つ」
黒い札は二つだった。
「白が六つ。黒が二つ」
オドが杖を叩いた。
「迎える、ということだ」
「黒は誰だ」とダリオが言った。
ヤラが答えた。
「訊かれたら答える。灰狼の長老と、蜥蜴の青年会だ」
口先の白い灰狼の長老が、ゆっくり立ち上がった。
「壁の街の者を坑に入れれば、壁の街は砦を知る」
それだけ言って、座った。
黒を入れた本人だった。
誰も、それ以上は言わなかった。
オドが杖を一度鳴らした。
「議は終わる。水門のことは、そのときまた詳しく話す」
八人が席を立ち、長老たちから順に広間を出ていった。
*
ヴィルマは一行のあとを追って戸口へ歩き、そこで足を止めた。一行の足音が、廊下の向こうで小さくなっていった。
パウルが一人、残っていた。
奥の壁の、あの読めない刻みの前だった。パウルは書物袋から紙と筆を出し、壁の刻みに紙を当てていた。
一画、書いては止まる。また一画。
墨の匂いが、石の冷たさの中に薄く漂っていた。筆先が壁の窪みをなぞるたび、紙の上に黒い線が湿って残った。外では子どもたちの声が遠く聞こえた。戸口の光の中に、埃がゆっくり浮いていた。
ヴィルマは訊かなかった。訊かれていないことは、自分も言わない。
卯月に組合で名を書いたときのことを、ヴィルマは思い出した。パウルは自分の名を書くとき、筆を一画ごとに止めていた。いまの筆は、あのときと同じ遅さで動いていた。




