愛する人よ
最近、この雪景色の向こうに続いているところについて思索にふけることがある。
地球という惑星は丸くて、同時期に寒暖が逆転する地域もあれば、常夏の国という一年中雪のない気候帯もあるそうだ。海に浮かぶ島国や魔女村ほど面積の狭い都市国家、連邦、植民地。そこでは文化や習慣の違う無数の人々が、わたしたちとはまだ出会わずして暮らしている。
複雑に絡み合う歴史の上に成り立って、今もなお一層の進化を遂げようとする最先端の現在と、途方もない可能性を秘めた未来。その中で、過去の遺跡に新しく発見されるものがある。遺恨の連鎖で止みようのない争いも存在するし、反対に、良い方向へと潮流が生み出されることもある。
知れば知るほど意識が広がっていく一方で、自分たちの特異性を明らかに見るようになる。外の概念からすれば、魔女村は異端中の異端だろう。【公表】されれば、世界という共同体がどのように変わっていくのか客観的に推測するのは難しい。未知が未知の領域に接触して、自己完結していたそれまでの社会構造に、想像すらしていなかった魔法の一石が投じられる。【公表】は衝撃を与え、瞬間的にも長期においても少なからざる影響を及ぼす。固定観念や世界観に改変の絶対命令を突き付けることになる。
魔女村もまた手探りの変革期を乗り越えなければならない。わたしたちは、これから見も知らぬグローバルな世界でどのように生きていくことになるのだろう。
通学中もそんなことをつらつらと考えながら、落葉した樺の樹に雪が積もるのを眺めている。卒業が間近に迫っているので、毎朝の登校ももうじき終わりだ。
深雪を踏みしめながら、門口を雪かきするモリーダスさんに向けて声を張る。真冬の耳当てが分厚いのだ。
「おはようございます!」
「おお~!おはよう~!もうそろそろ卒業だな~!光陰矢の如しだ~!」
大きく振り返った雪上のモリーダスさんは、でも夏の太陽のように元気があふれている。置かれたその場所に太く根を下ろし、四季に合わせた暮らしを営む質実さが頼もしい。そういう人が近くにいると、心が穏やかになる。
「昨日も白菜と大根ありがとうございましたー!シャキシャキして美味しかったですー!」
「そうか~!村の野菜は最高だ~!よく食べてよく寝る!それが基本だからな~!あ、それはそうと、」
やにわに声が萎える。冬でも麦わら帽子のモリーダスさんは、背を屈めてこそこそ話の態勢に入り口元に分厚い手を添えた。
「お母さんにな~、栓抜きはもう十分にいただいたからお土産の心遣いは無用だって暗に伝えてもらえないかな~?角が立たないように一つ頼む」
「栓抜きばっかり要らないですよね!承知しましたー!ママに伝えます!」
「ちょ、ちょっと声抑えようか」
たじろぐモリーダスさんめがけて、玄関を駆け出てきた二人の雪ん子坊主たちがタックルをかました。着ぶくれた親子は楽しそうに団子になり、モリーダスさんの叫び声とともに雪に埋没してしまった。
路傍に雪の積まれた朝の中央広場に、いつも通りの蹄の音が響く。最終学年の後期には登校時間に自由が許され、しばらく前から遭うことがなくなっていた。先日は世話になったし一度挨拶だけはしておこうと、冬の早朝に思い切って出てきたのだ。ちなみに公道の除雪作業は、夜警と兼ねてトッティが任されているらしい。
「おはようございます」
半人半馬の配達屋は、線の濃い二重の目を真円になるまで開ききって凍結した。気取っていようが停止中だろうが、どうあっても顔が濃ゆいのが最大の特徴だ。
「な、な、なんと、ベリィのお嬢さんが朝の挨拶を発声され…いやいや、これはどうも。こちらこそおはようございます」
(こちらこそって何よ)
「お、通常の脳内発語に戻りましたな。それにしても、今日もよい天気でございますね」
(猛烈に吹雪いてるけど)
「それなら、どうぞお背なに。さささ、悪天候もぴゅーんとひとっ飛びでございます」
(嫌よ)
「…ベリィのお嬢さん。否定のタイミングが一段早くなりましたな。空白の美、呼吸の間、待つ美徳を避けて省く時代の趨勢のようだ」
(あ、ママと同窓らしいわね。何を専攻していたの?)
「ええ、ええ。そうでしょうな。そうでした。現代っ子に話題転換など得意の早業でございますとも。『特技実習』ではブラッシングを学びましたよ、ベリィのお嬢さん」
(誰によ)
「学校と申せば疎外感の巣窟でございました。ヴァイオレットのお嬢さんも、ワタクシを非常に直感的な呼び名で呼ばれておりましたよ」
(馬でしょ。だって馬だもん)
舌打ちが聞こえた気がした。だが、すぐ取り繕うように再びどうでもいいダンディズムのポーズをつくる。
「実を申しますとワタクシ、聖オトのトナカイの末裔なのでございます。ご先祖である初代トナカイおじいさまが森で馬おばあさまの美貌に一目惚れをいたしまして、世にも珍しいトナカイと馬のハイブリッドが誕生したのでございます。それから、独自の進化を遂げてワタクシが今ここに」
(いや、肝心の進化の過程が意味不明だから。どうして人と馬との半々になるのよ)
「それはまぁワタクシにもさっぱりでございまして。この森の恩恵の妙としか言いようがございません」
(珍妙よね)
「うぉほん。赤ん坊だったワタクシの濃ゆい顔に辟易した産みの母に置き去られまして、森で泣いていたところをスイ団長に拾っていただいたのです。よく覚えてはおりませんが、泣いているうちに治癒魔女エリアのすぐ近くへ着いていたのでございますよ。適材適所で配達便を請け負うことに相成りました。薄給ながら、ご恩返しのため日々お仕事に励んでおります」
(中身の詮索はほどほどに、ていうかやめてください)
「ノンノンノン、ベリィのお嬢さん。まだまだご修行が足りないようでございますな。詮索もまたワタクシの職務の一部なのでございますよ。危険なことが迫ってはいまいか目を光らせ、もし変事あらばただちに注意を喚起する。治安を守るパトロールなのでございます」
(もっともらしいことを。ただの内偵じゃない。で、趣味兼ねてるよね)
「な、そ、そのような浅ましい考えなどあろうはずがございません。初めての外人であるミスター・ルウが駅に到着してすぐ思考を読み、危険因子でないと分析、判断したのはワタクシですぞ。むしろかの先生は良き人でございました。ペガサスに扮したロバどもを曇りなき眼でそう見抜いておられました。なかなかの慧眼でございます」
(あっそう。盗難事件は防げなかったけどね)
「さ、さ、どうぞお背なにお乗りくださいませ。再び共に風を切りましょうぞ」
(嫌)
思考読み取り能力は全くの無駄だ。本音を聞いてしまえば(濃い)とか(なんかキモい)とかとにかくマイナスな評価を被るから、旗色の悪い時はセンサーを切っている。耳の痛い言葉は黙殺してなおも背中を向けてくるケン・トゥ・ウルスを全力で撒いた。
母親の忌引からミセス・ゼムフィーラが教務復帰していた。長期の介護と弔いの諸事で疲弊しているようだったが、大きな哀しみを経て吹っ切れたような軽快さも同時に発している気がした。
「卒業までにまだ少し時間はありますが、今伝えなければ二度と語れない言葉があります。母という偉大な存在を送った私が、今伝えたいことをどうか話させてもらえますか」
本当は見送ったのは実の母親だけではない。ここではわたししか知らないことだが、ハックマン教授という恋した人もだ。先生は立て続けに大事な人を二人亡くしている。
クラスメイトたちはマザー・リバーの清水を打ったように静まり返って、咳払いの一つも聞こえなかった。
「魔法とは、それらしいフレーズを叫んで見せびらかす派手な超常現象ではありません。他者に施す真の祈り、辺境の私たちに授けられた守護の力です。自分だけの特質に誇りをお持ちなさい。公益のために何ができるのかを追求しなさい。手を携え、存在を顧みられることで人は幸福を得ます。そのためには、何よりもまずあなたがた一人一人がしっかりと確実に立つこと。与えられた一個の肉体を大切にして、現在を楽しみながら適所で励むことです。
圧倒的な未来があなたがたを怖気づかせるでしょう。悩ましい出来事に絡め取られて一歩たりと前に進めない時もあります。
でも、大丈夫。求めれば、拒みさえしなければ、必ず差し出される手があります。
迷って立ち行かなくなったら、きっと思い出して。また歩み出すために、少しの間なら戻ってきてもいいのです。巣立ってゆくあなたがたにとってはもう指導者ではないけれど、私たち教授陣は皆いつまでもわが生徒と思い続けていますから。これからも助力は惜しみません。それが、私が捧げる公益です」
その後卒業式に贈られた花束は、多過ぎて帰り道のミセス・ゼムフィーラをすっぽり隠してしまうほどだった。
アルバイトに明け暮れるアンナは、暇を見つけてははつらつと用務小屋へ通っている。村の財務不如意が知れ渡ったので、貯めたバイト代が相対的に紙くず同然だったと悟って呆然としていたが、タフなアンナはまた新たな目標を掲げた。外の大学に進んで知識を修得してから、委託運営者として直産ハウス‘‘まじょっち’’を継ぐ決意を固めたのだ。アルバイトながら既に右腕としてダリヤ店長からノウハウを教わっているので、彼女以上の適任者はいないということで異論は出ないはずだ。本人の言によれば、天文、治癒の威信に並べと、ヒット商品を飛ばして業務拡張、多角化経営をめざす考えだ。‘‘魔女サプリ’’の基幹産業化とともに、今後、薬草が魔女村の財政基盤を築いていくかもしれない。
ミスター・ルウは、ちょくちょくシスター・ソラを連れてうちのディナーに来るようになった。家族や仲間ができて楽しいようだが、ときどき瞼の裏に愛しのトゥーラを思い浮かべて悦に入っているらしい。くるくる、だのもじゃもじゃ、だのあまりに頭を揶揄されるので、中世以来頑固に変えなかった髪型を少しだけいじった。
アメリカの有名企業と独占契約を交わしたママは、少しだけ家にいる時間が長くなったが、【公表】に伴う課題リストの消化に余念がない。さらに、わたしたち二人で共同名義の作品を開発しようと画策もしているところだ。確かな安全と安心を各要素で実現するシリーズを目指している。
現代に生きるわたしたちは大きな変化に直面している。今この時点が、真新しい歴史の最前線だ。魔女村も世界に組み込まれて一歩ずつ進んでいくことになる。思わぬ進化もあれば、御しがたい難局も迎えるだろう。わかちあえる喜びも反省すべき失敗もうんと経験することになると思う。
生きていくといろんなことがあるのだと知った。出会って別れて。愛しかったり苦しかったり。痛手を負ったり恋をしたり。人それぞれの意志を持った一本のエネルギーが、ゆりかごから墓場まで自在に展開していくのだ。
今世で転生が終わるのならば、これからは新規の魂が生まれて人も共同体も更新されていく。わたしも、その無限の輪のうちの一つだ。
翻弄されても変わらないものがある。諦めない想いが通じる時はくる。だから、できるだけ多く愛を持てればいいと思った。大事な人と過ごせる時間は貴重な幸運なのだと学んだ。共に生きていること自体が恩恵なのだと教えてくれる人がいた。
いつ生まれていつ死ぬかはわからないが、誰にも等しく死は訪れるのだ。限りある世に縁でつながった全ての人といつか必ず別れなければならない。でも、だからこそ愛する意義が芽生えるのかもしれないと思えた。
生きる。それは、まるで祝宴のように。生かされる自分という存在を慶び、親しい人と集い合って活力の糧を得、笑い、未来のために祈る。楽しんで、感謝しながら使命を果たす。
生命の祝宴を見守る魔女の森は、どうしても生きようのない世界を追われた者たちが何世代もかけて形づくり、願いによって守ってきた聖域だった。わたしたちに授けられた魔法という術は、安全や幸福を実現するための得がたい手立てなのだろう。
他でもないここが、わたしたちの場所だ。魔女の血脈を継承し生かす森は、決して何者にも侵すことができない。祖霊たちの加護を受けて、これからもしたたかに生き続けていく。わたしたちは、魔女なのだ。何が起きても大丈夫だと思えば大丈夫だし、叶えたいことがあるなら必ず道は拓ける。生かされて精いっぱいに生き、天寿を全うしたらトゥーラのように後裔を守護する祈りになればいい。かけがえのない者を護りたいと願う気持ちが人を護る。祈りの力こそが魔法だからだ。愛して、愛されて、生命は連続していくのだ。
---親愛なる森よ。魔女たちを抱く永遠の守り手であれ。
---愛する人よ。いついつまでも幸せであれ。
最初の魔女が、そう願いをかけたのだから。
一年以上に渡った初連載でしたが、お読みいただき本当にありがとうございました。
未熟なままですが、ようやく完結できて幸せです。
ご縁のつながった皆さまが末永く健康で幸福ですように。
☆☆☆ページごとの背景色→語り手の区別☆☆☆
・紫色→ベリィ
・黄緑色→ローザ
・うすい水色 → ミスター・ルウ(アル)




