雪はしんしんと
雪は魔女の森にしんしんと降り積もり、ママは酔いつぶれてグラスの上に突っ伏しているが、夜が深まるにつれて吸血鬼の先生はより好調になっていく。
「それにしても、久しぶりに訪れた村は変化が激しくて驚いたよ。飛んで光る矢印リボンが道案内してくれたでしょ?そういうのは、一つ前の世代にはなかったんじゃないのかな。トゥーラたちの頃なんて全然見た目に映えるものじゃなかった。女性が本来宿す力を高揚させてたんだ。程度の差こそあれ、もともと雲の一切れぐらいなら誰にでも呼べると思うよ。社会も魔法も進化するね。スマホ、ロボット、仮想通貨。最近は時代の進むスピードがとても速い。中世で一生かけて集めた情報量が、今では一日で簡単に手に入る」
中世---四聖女が大義なき弾劾に翻弄され、命からがら落ち延びてきた魔女狩りの時代。
「あの四人の女性が暮らした<胎動する洞窟>はね、学校が建つ丘の麓にあったんだよ。地殻変動によって崩れてしまったけど。横穴で生活していたコウモリたちもいつの間にかいなくなった。校門に据え付けられたコウモリの彫像が、私の洞窟時代を偲ぶ縁だったよ」
「息が切れていたのに、坂道の終わりに猛烈なダッシュをされてましたね」
「学校のある場所、暗く狭い用務小屋、さらには歴史の教師。失われた人生の続きを見させてもらっている気分だった」
「先生、一つだけ確かめたいことがあるのですが」
ある推測が胸に芽生えていた。
「ピコリーナ先生がおっしゃっていました。今世で魂の生まれ変わりが終わるのだ、と。『人生の続き』には、昔懐かしい旧友も含まれてはいませんか。的外れかもしれませんが、もしかして、トゥーラ以外の四聖女は現時点に再来しているのではないですか」
死してなお村を守護してきた最初の聖女たちは、魂の輪廻が完了する今世に森へ戻ってきているのではないか。最初で最後の回帰に生を受け、激動の時代を迎える後進たちの集落を内側から保全するために。だけど、四聖女の筆頭トゥーラだけは、きっと魂のまま村を庇護し続けていたのだろう。
つやめく赤いグラスを置いたミスター・ルウは、正答した生徒を労う眼差しを寄越した。
「ピコリーナも興味深い人だね。問いかけに関しては、その通りだと答えよう。よくわかったねぇ。君だらこそ、かな」
「いえ、ただの希望的観測です」
「お察しの通り、治癒魔女の初代オトの生まれ変わりはスイ団長だ」
「え!?…それは察していませんでした」
「若干雰囲気が変わったけど、邪気がなくて芯の強いところがそっくりだ。オトはどちらかと言うと無口だったけど」
「聖オトってわりと厚かましいタイプだったんですね…」
聖像が小さなトナカイを連れているから、なんとなく可憐な雪国の少女をイメージしていた。
「むしろ直情径行のスイ団長こそが幼女の心を失っていないのかもしれないよ。そして、ベアトリスの魂を持ったのは、」
天文魔女の先駆けである聖ベアトリスは、現在でも用いられる星占の基盤を築いた人物だ。
「ミセス・グローリアだよ。先日亡くなった、ピコリーナとミセス・ゼムフィーラの母君の。他の皆より少し早めに生まれたんだ。最初の日、副団長の自宅へ行くのに途中まで送ってくれたでしょう?派遣教師として協議団との顔合わせの場が用意されてね。そこへグローリアもやって来たんだよ。痴呆症を病んでいたのに、あの日は不思議と受け答えがはっきりして、『OGとして連れて行け』と粘ったらしい。根負けしたピコリーナに伴われて現れたグローリアは、晩年のベアトリスに瓜二つだった。私の方へ迷いなく矍鑠と歩んできて息を呑んだよ。しかも微笑みかけて『おかえり』と言うんだから。ベアトリスも品格ある頭のいいお嬢さんだった。話し方がびっくりするほど似ていた。居合わせた協議団の面々は、呆けた老人の戯言と聞き流したかその中にも何かを感じ取っていたのか。その一言だけ言い残して、意識の混迷へ引き戻されてしまったから、来て早々連れ帰られる羽目になったけどね。私は、密かに郷愁を禁じえなかった。心の底から嬉しかったんだ。ベアトリスが『おかえり』と言ってくれた。結果的には妻はいなかったわけだけど、初日にして予想だにせず洞窟の全員に再会できたんだから」
温度を感じない分、長い時を過ごしてきた分だけ、ミスター・ルウの胸には、ほのかに灯るものが決して冷えない温かみを与えている。
「ベアトリスには罪があった。グローリアとして生まれ変わり、彼女は彼女で前世のカルマを清算したようだったけど、それがまた遺伝することもあるんだね。母と娘というのは測りがたい。ミセス・ゼムフィーラは教鞭をとりながら、外の知識や技術を駆使して公益に利するように立ち回るだろう。反省と教訓を生かして」
「はい」
カルマと言えば、ハックマン教授のことはわたしも当事者なのだ。事情を知った時からずっと命の重みがのしかかっている。故意でなかったとはいえ、結果論としては心臓停止となるきっかけを講じてしまった。懺悔することすら許されない。だが、一生涯の宿題として贖っていかなければならないということは胸に刻んでいる。わたしの手で対策を施すのだ、二度と同じ不幸な過ちが起こらないように。
「公益のためにも、これからすべき最善を考え抜くつもりです」
「頼んだよ」
ミスター・ルウの笑顔は優しい。冷然と突き放すでもなく、過保護に甘やかすでもない、そっと側で見守ってくれる人の笑顔だ。
「皆に共通して言えることは、同志を全力で守ろうとする殊勝な姿勢だ。トゥーラも喜んでいるだろうな。『人のために生きる』ことを何より志していた。この森がこれほど発展して生命力に満ちあふれていると知って、子孫たちがたくましく生き支え合っているのを見て、きっと今もあの黒目を感動に輝かせて嬉しそうに笑んでいるだろう」
ハロウィンの夜に還ってきた聖トゥーラが、家族を守り切って苛酷な最期を遂げた彼女が、そう思ってくれていたらいい。施術に行った療院でピコリーナ先生が言っていた。創始者が遺した意志が繁栄を望む良い願いだったからこそ、わたしたちの村はここに在り続けてきたの、と。
「彼女は森を去ってからもずっとこの地を、皆を心から愛しているよ。その懐深く全てを受け入れ、許し、無償の愛を注ぎ続ける聖なる母のように」
トゥーラは、魔女村の聖母だ。安らかであれ。愛し愛されて健やかであれ。最初の魔女はそういう魔法をかけたのだ。ひたむきな強い冀望が、今でもわたしたちを丸ごと保護している。
「あ、もちろん魂が転生したといっても別々の自己を持つ個人個人だよ」
「あの、ミスター・ルウ、わたしたちの草分け的存在である聖ローザの生まれ変わりは誰なんですか?」
形式上質問したものの、わたしはかなりの確信を持ってこの人こそと推せる魔女を知っている。小さな頃から一緒に育ってきた親友、自他共に認める明るさと気風の良さが自慢の薬草魔女アンナ・ラージックだ。
「アンナが聖ローザなのではありませんか」
しかし、自信ある指名はミスター・ルウにあっさり否定される。
「いいや。ローザは、」
それなら、聖ローザの丸薬を独力で再現したママかしら。意外なところでは、薬草エリアの農場を経営するモリーダスさん?でも、四聖女のような伝説級の魔女でも男性に転生するということはあるのだろうか。
「君だよ。ベリィ・ウスペンスカヤ」
え---。
「ローザは、やや頭は堅いけど、怪しい新参者にさえ分け隔てなく接する寛大な女性だった。私は当時も今も幾度となく助けられたよ。困った時には何でも言え、と親切な声をかけられたし、ユリのチョークもつくってもらった。墓地ではトッティから庇ってくれたでしょ?例の乾燥パンのことは覚えてないみたいだけど、仲間を見守るローザの温かさを、君は確かに受け継いでいるよ。魔女村を守ろうという気概も持ち合わせている。
初めてここへ来た日、駅で出迎えてくれたスイ団長に会った時にはまだ確信が持てなかった。だけど、教会の入り口に立ったあの時だ。トゥーラが、すぐそこにいた。それに、彼女だけじゃなかったんだ。オト、それにローザが、古い友が時代を超えて確かに私の目の前にいて、私に向かって話しかけていた。生きて動いて、わいわい喋って、呑気に笑っていた。その時『帰ってきた』と思った。震えるほど感激した。許されるなら、すぐにでも駆け寄って抱きしめたかった。『ずいぶんと久しぶりじゃないか。今までどうしていたんだ』と声をかけたかった。そして、言いたかったんだよ。前世の記憶はないだろうけど、ありがとう。また出会ってくれて、ありがとう、って。勇気を出してここへ飛び込んできて本当によかった」
「お礼を言われるような大したことはしていません」
わたしが聖ローザの生まれ変わり---驚きはしたが、魂の再来だと言われても、教会に聖像として据えられる聖ローザは遠い歴史上の人物でしかない。
「それより、先生こそです。ミスター・ルウ」
「え?」
「あなたも持てる資質で村を、わたしたちを守ってくれました。ハックマン教授は巡り合わせの悪い痛ましい事故になってしまったけど、あなたはとっさにわたしたちを庇った。ひいては村そのものを。外の人を被害者にした事件などが起こってしまえば魔女村は薄氷を踏むことになります。きっと【公表】するなり世界の脅威として反発され困難な立場に立たされたでしょう。財政破綻という現実的な問題もあるし、反魔女の機運が高まってわたしたちの独立や平和な生活が脅かされる危険性もあった。先生はそこまで見越して、人に対して封印していた牙を使ったんですね」
「いやぁ、久方ぶりの人の血は濃すぎてね。一気飲みしなきゃいけなかったし消化不良起こしちゃったよ」
一瞬間だけ魅力的な大人の男の余裕を見せたが、すぐに無理は崩れ去って、思い出すのも辛いというふうにもじゃ頭を抱え込む。そして、見る者全てに友愛を抱かせるとぼけたかわいさで情けなさそうに眉を下げるのだった。
「そうだ。歴史の先生らしく村にまつわるエピソードを教えてあげよう。生き字引による本当の裏話だよ。覚えてる?」
「どの件か分かりませんが。というか、全て覚えてないです」
「そうだよね。うん、それでね。君、あ、いや、ローザとオト、ベアトリスが買い出しに出かけた市場で、売れ残りのクリスマスグッズを買ってきたんだ。フェルトでできたとがり帽子をオトが気に入ったようだった。内側に空気が溜まって防寒がいいとベアトリスも喜んだ。帽子のつばに雪が積もると、下から小枝で突ついて落としていた。おそらくそれが杖の原形だね」
「へぇ、魔女村の正装にそんな由来があったんですね」
その時、むにゃむにゃと寝言を言っていたママが眠ったままはっきりと叫んだ。
「‘‘魔女サプリ’’の商品化が決まったわよぉ!アメリカの一流企業と契約ー!一流企業ぉ!」
不意打ちの大声に、ミスター・ルウは胸を押さえて飛びのいた。脈拍がないのだから心臓を守る必要もないと思われるが、反射反応なのだろう。ウケ狙いの演技と思えなくもない大げさなその動きに伴って、期待を裏切らずもじゃがびよんと揺れている。
「おめでとう、ママ」
無防備な背中に植物の繊維で編んだ毛布をかけておく。小声の祝意と精いっぱいの労いの気持ちを込めて。
「そういえば先生、催眠かける時やたら古風な言葉遣いですよね」
「私は存在自体が時代錯誤だからね。って、君も大人しげな顔して言う時は言うよね。『あなたは…』『あなただったんですね』とか溜めに溜めてじわじわ発言するんだもの。お待ちかねの解決編みたいだったよ。しかし、完全に鬼畜扱いだったよね?変態を見る目だったよね?この心広い功労者を捕まえて」
「解決ヘンって何ですか?」
「まぁ、それはおいおい…」
ミスター・ルウが、またミスター・ルウに戻っている。




