第7話 その魔剣、呪いごとお返しします
「あなた自身に、まだ一万枚の価値があるとは思いませんね」
マルヴェンはそう言って、机の魔剣へ手を伸ばした。
俺を売らないとは言わなかった。
俺の右手は、机の縁へ出した鉄筒に触れている。
吊り帯を緩めた左の指は、剣の鍔の下。
肩から指先まで、焼けるように痛んだ。
それでも、離さない。
黒い糸を、鉄筒から剣へ戻す。
買ったときと同じ場所へ。
マルヴェンの指が柄にかかった。
俺は両手を引いた。
男は銀鏡を見る。
そこには、まだ机の剣を押さえる俺の指が映っていた。
呪いの文字は、ない。
「確かに、見事な解呪です」
男は剣を持ち上げた。
俺が名簿を抱えたままなのを見て、笑顔を消す。
「帳簿も、こちらへ」
「七人が路地を抜けたら、渡す」
「取引は、もう終わったでしょう」
剣が抜かれた。
裸の刃を見た瞬間、護衛も思わず半歩下がる。
マルヴェンはその反応を気に入ったようだった。
吊られた俺の左腕を、刃先で示す。
「指を失ってからでは、お仕事に障りますよ」
「今の剣、最初の一振りは気をつけろ」
男は聞かなかった。
俺の左手を狙い、刃を引いた。
その手首が、跳ねた。
銀の刃が、持ち主の喉へ向かう。
隔離布の襟が裂け、下に隠していた金鎖が切れた。
マルヴェンの笑顔が、凍った。
「手を離せ!」
俺の声に、男がようやく反応した。
柄を放す。刃は頬をかすめ、後ろの棚へ突き刺さった。
棚板が二枚、音もなく滑り落ちる。
床へ尻をついた男の頬から、赤いものが一筋落ちた。
喉へ手をやる。
そこに自分の首があることを、確かめていた。
鐘が鳴る。
男の手から落ちた、小さな鐘だった。
誰も動かなかった。
もう、首輪を着けている人間はいない。
「押さえろ!」
二階から隊長の声がした。
護衛が見上げる。その一人へ、上から投げ縄がかかった。
階段を下りてくる重い靴音。
俺は椅子ごと後ろへ退いた。
護衛の剣が、机の角へ食い込む。
隊長の盾がその腕を打ち、返した柄頭が顎へ入った。
「外の二人は押さえた! 伏せろ!」
伏せるつもりで立ち上がったら、膝が抜けた。
情けないが、結果は同じだ。
俺の頭上を木片が飛び、次の瞬間には護衛の腕が机へ捻り上げられていた。
戦うな。
外す場所だけ教えろ。
言われたことは、だいたい守ったと思う。
◇
「なぜ、鏡に映らなかった」
縄をかけられたマルヴェンが、俺を睨んだ。
問いというより、鏡への苦情だった。
俺は椅子へ座り直した。
リシェが戸口から戻ってくる。
彼女は隊長へ七本の指を見せた。全員、外へ出たという意味だ。
それを見てから、俺は布包みを開いた。
小さな手鏡。
競売で、割れた義眼から外した呪いの移し先だ。
俺が指を一本立てると、手鏡の中の俺も、同じ指を立てた。
もう遅れない。
「あんたの銀鏡へ移した。椅子に座って、手をついたときにな」
マルヴェンが、机の脇を見る。
銀鏡には、まだ誰も座っていない椅子が映っていた。
少し待つと、俺が座る。
今より十拍前の姿で。
「鏡の鑑定は正しかった。映しているものだけ、少し古かった」
名簿を抱えた俺の像が、ゆっくり右手を持ち上げる。
今の俺は、右手を膝へ置いていた。
この遺物は、目の前にある物を調べ、鑑定した文字を像に重ねて見せる。
義眼越しに見えた青い線は、鏡面の裏側へ回っていた。
呪いをつけた後も、その仕組みは動いたままだった。
剣も、文字も、鏡が見せる像の全部が十拍遅れる。
「足りるかどうかは、あんた次第だったけどな」
剣の呪いを戻してから、最初の一振りまで。
十拍以上かけていれば、鏡に警告が出ていた。
用心して剣をしまい込まれたら、隊長が来るまで帳簿を抱えて粘るしかなかった。
俺は、男の手元へ目を落とした。
「自分では一度も、危ない物に触らない。全部、人に使わせる。そんな商売の仕方をしてたんだろ」
鎧を着せられたエダ。
首輪を外されても、自分で歩いていいか尋ねた青年。
娘が目の前へ来るまで、腕を動かせなかった男。
「あれだけの剣を握ったら、俺に使ってみたくなるとは思ったよ」
マルヴェンが口を開く。
隊長が縄を引き、立たせた。
「続きは詰所で聞く。ほかの荷置き場も、全部だ」
リシェが俺の左腕を吊り直した。
布へ血が滲んでいる。
移すとき、指先の皮が裂けたらしい。
「剣を返してもらうために、わざと挑発した?」
「帳簿を渡す前に、来てくれればいいと思ってた」
「答えになってない」
俺は目を逸らした。
彼女は怒鳴らなかった。
その代わり、布の結び目を少しきつくした。
「次からは、私が合図を出すまで動かないで」
「……はい」
護衛を連れてきた衛兵が、俺たちを見て首を傾げた。
彼には、どちらが雇い主に見えたのだろう。
◇
名簿は、隊長へ渡した。
今度こそ、正式に。
差し出す直前、一枚だけ目に入った頁がある。
俺の名前が載った、赤い縁取りの頁だ。
出品協力者。
元の発掘団の名前。
俺を殴った団長の署名。
代金の欄は、空白だった。
俺が落札されてから、口止め料と一緒に払う約束だったらしい。
三年働いて、最後の支払いがこれか。
隊長は俺の視線に気づき、その頁を読んだ。
「この印に見覚えは」
「毎月、給料を払わない理由を書いてた印です」
「証言を頼めるか」
「いくらでも」
団長へ殴り返しに行く必要は、なくなった。
迎えに行くのは、俺より腕っぷしの強い人たちだ。
衛兵が、棚に刺さった魔剣へ近づく。
俺は慌てて止めた。
「抜くな。それ、まだ呪われてる」
リシェに小言を言われながら、剣の呪いをもう一度、元の鉄筒へ戻した。
今日は、これで最後だ。
移し終えた途端に、指から力が抜ける。
筒の蓋を閉めたのは、彼女だった。
「呪いって、捨てるところまで考えないと、仕事が終わらないのね」
「そういうの、三年やってたから」
腰帯を受け取り、筒の数を確かめる。
銀鏡に移した遅れの呪いは、今夜は回収できない。事情を伝え、誰も触れないよう隊長に布をかけてもらった。
明日、手が動いたら取りに来る。
七人のうちの少女が、外から戻ってきた。
護衛がいなくなったことを確かめて、父親の手を引いている。
「あの。あなたの、名前を」
「レイ。呪物の――」
処分係、と続けかけて止まる。
もう、辞めた仕事だった。
少女が俺の腰の道具を見た。
次に、鞘へ戻された魔剣を。
「また呪われた物を見つけたら、どこへ持っていけばいいですか」
俺はリシェを見た。
彼女の口元が、少しだけ上がる。
「……それは、これから決めるところだ」
俺に一万枚の値札をつけた夜は、終わった。
帰り道で欲しかったのは、金貨でも新しい剣でもない。
表に、自分の名前を書ける看板だった。
お読みいただきありがとうございます。
次話で第1章完結。競売の決着を経て、レイたちは自分たちの商売を始めます。




