第4話 俺を売るなら、売買の記録ごといただく
「実演料はいくらです?」
俺が尋ねると、白手袋の男は一瞬だけ口を閉じた。
客席から笑いが起きる。
「ご自身の商品価値を示す機会ですよ」
「売上が俺に入るなら、張り切りますけど」
男は笑った。
俺も笑った。
どちらも相手を面白いとは思っていない。
左手首の痛みが、もう一度強くなる。
義眼を持ち上げると、赤い札から名簿へ、細い糸がつながっていた。そこから俺の手首へ伸びる糸も、今度は切れ目がない。
魔力の印。
あの赤い札に、俺のものが記録されている。
「どうやって本人だと確認した?」
「長くお勤めだった発掘団から、ご協力をいただきまして」
ああ、と声が漏れた。
給料を払うときには、何度言っても必要な書類が見つからなかった。
俺を売るための書類なら、一日で見つかるらしい。
リシェが、俺の袖をつかむ。
白手袋はその仕草を見て、穏やかに言った。
「お連れ様には、何もいたしません。どうぞお静かに」
彼女のせいで俺が動けなくなる、と見込んでいる。
俺はリシェの指へ、自分の指を一度だけ重ねた。
離す前に、義眼を彼女の掌へ渡す。
「俺が舞台へ行く。その間、あの線の集まるところを見てくれ」
唇だけで伝える。
彼女はうなずいた。
「じゃあ、実演する。何を外せばいい?」
俺は立ち上がった。
白手袋の男が、舞台へ続く階段を示した。
「まずは、お名前の確認を。こちらへ」
赤い札を、名簿の横へ滑らせる。
素手で触れ、と言わんばかりだった。
◇
舞台の上は、客席より明るかった。
客の顔がよく見える。
楽しそうな奴。目を逸らした奴。何が起きているのか分からず、隣へ尋ねている奴。
全員を敵に回す必要はない。
俺は名簿の脇へ立った。
「俺の能力は、呪いを扱うものだ」
「存じております」
「なら、こんな物へ触れろと言って、気づかれないと思ったのか?」
赤い札に、指を置く。
〈転記:記録された魔力印を、親帳の登録対象へ接続する〉
ここだ。
名簿の契約を全部理解する必要はない。
俺とつながっている部分だけ、外せばいい。
白手袋の男が、ゆっくり身を乗り出した。
「気づくかどうかを、拝見したかったのですよ」
男の左手には、銀の指輪。
足元にいた二人の警備係が、こちらへ寄ってくる。
「それを解除なされば、あなたの能力を誰も疑わない。落札額も上がります」
「外したら、あんたが困るだろ」
「ご心配には及びません」
男は、手袋の指先を軽く引いた。
表面に銀の文字が走る。呪いを触れさせないための隔離布だ。呪物処理の現場で、神官が着けていた高級品。
俺に触られても問題はない、と見せている。
警備係のほうも、肌を出していなかった。
昨日と同じことができると思うな、という配置だ。
それは、俺も同じだった。
左の指で赤い札を押さえる。
右の掌で、腰へ下げた鉄筒の一つに触れる。
糸を引いた。
重い。
収納袋とは違う。舞台の名簿が、抜かれる糸を引き戻してくる。
指の関節が、内側から軋んだ。
白手袋の男が、俺の手首をつかんだ。
「無理は禁物です。お客様に、あなたの健康も保証しておりますから」
抜く動作を、途中で止めるための手だった。
俺は歯を食いしばる。
あと少し。あと一本。
視界の端で、リシェが立ち上がった。
彼女は舞台ではなく、客席の柱へ向かう。
天井へ続く青い線。その根元に、小さな配電箱があった。
下見で見た係員の動きを、彼女は覚えていた。
木の蓋を開き、中のレバーを倒す。
魔導灯が、消えた。
客席に悲鳴が上がる。
名簿の黒糸が、一瞬だけ緩んだ。
呪いが消えたわけではない。起動を支える魔力が、短く途切れたのだ。
俺はその瞬間に、糸を引き抜いた。
鉄筒へ押し込み、蓋を閉める。
左手首の痛みが消えた。
「実演、終了」
俺は白手袋の手を振り払い、赤い札を掲げた。
足元の非常灯が、札の文字を赤く照らす。
「俺と名簿の接続は外れた。次にこれを買っても、ついてくるのはこの札だけだ」
名簿の俺の欄から、淡い光が消えていた。
表面の顔料で描かれた名前と似顔絵だけが残る。
客席で、男が笑い出した。
次に、誰かが落札保証を問い質す。
白手袋の男の頬が、初めて引きつった。
「よくできました。では、別の方法で――」
警備係が俺をつかみに来た。
そのとき、俺はもう剣を抜いていた。
人間を狙うためではない。
名簿を机につないでいる、二本の鎖へ。
鎖が落ちる。
警備係が腕を伸ばす。
俺は机を足で押し、その間へ滑り込ませた。
名簿をつかむ。
重い。紙だけの重さじゃない。中に金属板でも挟んであるらしい。
昨日までなら、抱えて走るしかなかった。
今日は、袋がある。
口金を開き、角から名簿を差し込んだ。
黒い表紙が、袋の中へ沈む。
「置け!」
白手袋の声が、初めて荒れた。
俺は袋の口を閉めた。
「出品者の名前も、売買の記録も、この中だろ」
客席の奥で、椅子が大きく鳴った。
逃げようとした客がいる。
リシェは舞台の反対側へ回り、幕を開くための綱を切っていた。
分厚い幕が、警備係の前へ落ちる。
俺は階段を駆け下り、彼女の伸ばした手をつかんだ。
「左。搬入口につながってる」
「下見の仕事、最高だな」
「仲介料、覚悟してて!」
非常灯の下を走る。
剣はもう鞘に納めた。転んでリシェを切ったら、何のために買ったのか分からない。
袋は、身体にぴったりついている。
昨日、彼女が紐を詰めてくれたおかげだ。
搬入口まで、あと十歩。
大扉の閂が、内側から上がった。
俺は足を止めた。
助かったのではない。
入ってきたのは、灰色の全身鎧だった。
俺より頭一つ大きい。片手で大剣を持ち、もう片方の手で扉を閉める。
「退いてくれ。こっちは、まだ誰も斬ってない」
返事はなかった。
鎧の首が、ゆっくり傾く。
リシェが義眼を持ち上げ、息をのんだ。
「レイ。あの鎧――」
「分かってる」
近づいたおかげで、俺にも見えた。
首の継ぎ目に、黒糸が滲んでいる。
鎧の中からは、鉄を爪で掻くような音がした。
剣を持つ手が、意思に逆らうように小刻みに震えている。
動かしているものと、着せられているものが違う。
「……高そうだな」
俺が呟くと、リシェが睨んだ。
「今、査定しないで」
鎧が大剣を振り上げた。
お読みいただきありがとうございます。次話は、意思に逆らって動く鎧の攻略へ。
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